自分が働けなくなって知った、父の想い


父は、仕事が嫌いだ。

私が幼いときから、父は、「嫌な仕事を続けるのは家族がいるからだ」と、口にしていたし、態度にも出していた。

私は、そんなふうに言われるのが嫌だった。

大人になったら、父のようにいやいや仕事をしたくないと思っていた。



父は、いつも怒っている。

その性格の厳しさは、おそらく父の生まれ育った環境も起因しているのだろう。

父は、母親からの愛情を受けずに育った。

父は、3歳のときに実母を亡くしている。父の父、つまり私の祖父は再婚し、父は義母ができた。義母は、自分の実子ができ、実子には甘く、継子にはとても厳しい人だったという。

父が、自分の子供時代を語るとき、義母への恨みや憎しみが滲む。

父は、自分の子どもである私たちに接するとき、自分の子どもにはつらい思いをさせたくないという気持ちと、自分の幼少期とは異なる恵まれた環境にいる私たちへの嫉妬のようなものが入り混じっているように思えることがある。

父は、誰よりも早く起きて、毎日遅くまで残業して、休みの日も家事を誰よりも多くこなす。
私が、食器を洗おうとすると、そのままにしておいていいよと言う。

でも、ときどき、コップから水が溢れるように、父の我慢が限界に達してしまう。
どうしてみんなはやってくれないんだと、嘆く。
親にこんなにやってもらって恥ずかしくないのか、と責める。

「やって」って言えばいいじゃん。
私たちがやる前に、お父さんが全部やってしまっているじゃない。

私たちは何度もそう言う。

努力しても努力しても愛してもらえなかった過去が、父をそうさせているのかもしれない。

父は、適応障害と診断されたことがあるが、病院に通わなくなった今も、完治したのかどうかわからない。


父は、私のことを、ほとんど褒めてくれたことがない。

私は、学校では優秀だった。
いつも体育は3で、それ以外はオール5だった。

しかし、成績表を父に見せても、
「成績が良くたって何も偉くない」としか言われなかった。

偉いとか、偉くないとかじゃなくて、ただ私を褒めてほしかったのに。

絵のコンクールで賞をもらっても、私の描く絵のよさがよくわからないと父は言った。


父は、勉強なんてできなくてもいいから、もっと家の手伝いをちゃんとして、きちんと生活をできるようになりなさいと言った。

家で勉強や好きなことばかりする私が、父にとっては、とてもわがままに見えていたのだと思う。

学校で優等生の私は、家では劣等生だった。


父にとっては、働いて生活をすることが何よりも大事だった。

残業が続いていると、父は、自分が不機嫌なことを隠そうとしない。
不機嫌な態度が、全部仕事のせいで、生活のために仕方がなくこんなにも嫌な仕事をしているのだと語る父に、私は素直に感謝できなかった。


私は、父のようになりたくない、大人になったら好きな仕事をするんだ、と心に決めていた。


私は、大学卒業後、なりたかった職業に就いた。美術館の学芸員になった。

心のどこかで、父のことを見返せるんじゃないかと思っていた。

いま思うと、育ててもらった恩義を親に返そうと思えなかった私は、すごく嫌な人間だと思う。

気持ちが歪んでいたのだ。

私は、大学の学費を親から払ってもらわなかった。
高校生の頃は、塾にも行ってない。学費も留学も、奨学金を給付してもらって賄った。学費を親に出してもらうのを当たり前のようにしている人たちが周りにたくさんいたから、生活は親に頼り切っていたにもかかわらず、私は自分で道を切り開いたのだと錯覚していた。


しかし、働き始めてほどなくして、私は働けなくなった。

精神科で抑鬱状態にあると診断を受け、仕事を休んだ。

私は、猛烈に恥じた。自分自身を。

自分が働けなくなってはじめて、自分がいかに驕っていたか気づいた。


父は、適応障害と診断されながらも、仕事をつづけていた。

仕事がどんなに辛くても、1日も遅刻せずに通っていた。

すべて、私たち家族のためだった。

父は、私たちを養うために、不機嫌になる気持ちを抑えられなくても、仕事をつづけていた。おそらく私が父を不機嫌だと感じていたのは、適応障害の症状でもあったのだと思う。

父のようになりたくないと思っていた自分を、殴りたかった。

自分が病気になって、父が職場に行くことがどれほど苦しくてつらかったのかようやくわかった。


父は、私がひと月の休職後に復帰して、また体調を崩しかけているとき、

「無理をするのは、やめなさい」と言った。

働くこと、生活することを何よりも大事だと言っていた父なのに。


父は、「命より大切なものはない」と私に言った。


私は、そのとき、悟った。

父が大事にしていたのは、働くこと、じゃない。

父は、私たち家族の命を、何よりも大事に思っていたのだと。

会社でどんなに嫌な思いをしても、自分が守ると決めた家族を必死に守ってくれていたのだと。


「つぎに働けるようになるまで、父さんは、見捨てたりしない。親のことを頼れるうちに頼りなさい。」

そう父は言った。

父は逃げなかったのに、私を逃がしてくれた。


私は、まだ自分の命を守ってくれた父に何もお返しができていない。

私は、学芸員を辞めてから、博物館で非常勤職員として働き、いまは大学院に通いながら美術館で非常勤学芸員として働いている。道半ばだ。


でも、いまは以前の私とは違う。

今は父を見返したいとは思っていない。

父に恩返ししたい、と心の底から思う。


そして、父のようになりたくなかった私は、父のように大切な人を守れる人になりたいと思っている。