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しあわせのつくりかた

こうしたら、絶対にしあわせになれる、という方法はおそらく存在しない。

「善く生きる」方法なんて、ソクラテスの時代から人は考え続けているのに、いまだに多くの人が考えている。

でも、しあわせはつくれる、と私は思う。


しあわせのアイディア10


まずは、私のしあわせな時間の過ごし方をご紹介しよう。

夜更かしして、映画を観る 
休みの前日がおすすめ。映画館でレイトショーを観るのもいいし、家でゴロゴロ観るのもいい。

岩盤浴に行く
サウナが流行っているけれど、私は岩盤浴派。ゴロゴロしたい。休憩スペースで漫画や雑誌が読めるとなおよい。

・レストランでおいしそうな前菜をいくつも頼む
前菜、というのがポイント。主菜や主食はたくさん食べられないから。
新しい味を覚えると、普段の料理のレパートリーも広がる。

・小説をちびちび読む/一気に読む
小説の世界観がとても好きなとき、一度に読むのがもったいなく感じられて、ちびちび読む。ミステリーなど物語の展開が気になるものは一気に読む。どちらの読み方も好き。

・美術館でのんびり過ごす
美術館は、展覧会を観るのももちろん面白いけれど、庭を散策したり、カフェでお茶したり、ショップを眺めたり、資料室で本を読むのも楽しい。

・晴れの日のお昼寝/雨の日のお昼寝
お日様にあててふかふかにしたタオルケットでのお昼寝も、雨の日に雨の音を聴きながら眠るお昼寝もいい。

・図書館で本を選ぶ/本屋さんで本を選ぶ
図書館は本の値段を気にせずに、読みたいものを好きなだけ選べるのがうれしい。自分の部屋の本棚に置くところを想像しながら、本屋さんで本を選ぶのも好き。本をレジまでもっていく間も、お店から家まで持ち帰ってくる間も、本の重みを感じているだけでうれしくなる。

・たまに食べるジャンク・フード
ケンタッキーとか、カップラーメンとか、アイスクリームとか、ハンバーガーとかを、たまに食べたくなる。夜中とか、罪深い時間に食べると、なおおいしい。おぬしも悪よのおと言いつつ食べる。

・ココアを淹れる
ココアというと、冬のイメージがあるかもしれないけれど、夏に飲んでもおいしい。私は、豆乳ココアが好き。それにちょっと生姜を入れる。これを飲むと、身体のだるさが取れる気がする。

・カフェセラピー
カフェまで歩く(徒歩圏内にカフェがあれば)。カフェには、お財布とノートとペンだけ持っていく。スマホや本は家に置いていく。カフェでは、ひたすら思いついたことをノートに書く。歩いて身体もすっきり、カフェでノートに書いて頭もすっきり。デジタルデトックスにもなる。


しあわせのかけ算

上に挙げたようなしあわせな時間を、もっとしあわせな時間にする方法がある。

その方法とは、好きな人たちと一緒にする、ということ。

たとえば、私なら、

夫とお昼寝する
妹とジャンクフードを食べる
友達と本屋さんに行く、など。


一人で過ごす時間も好きだが、誰かと一緒に楽しむと想像するだけで、わくわくする。

一人でいるときに昼寝してしまうと、少し時間を無駄にしてしまったような気持にもなることもあるが、休みの日に夫と昼寝するのはとても楽しい。

妹と一緒にケンタッキーを食べたときはすごくおいしかったのに、一人で食べたときはそうでもなかった。

本屋は一人でも楽しいが、本好きの友達と本屋に行くと、おすすめの本を教えてもらえるから、普段自分では買わない本にも出会える。


「なにを」するかより、「だれと」するかが大事かもしれない。

先週末、私は夫と出かける予定だったが、目的地の最寄り駅まで着いてから、目的の場所が臨時休館だと知った。他に行きたい場所が思いつかず、私たちはただ家に帰ってきた。そのあとは昼に、冷やし担々麺を食べて、夕方まで昼寝した。夜には、夫がハンバーグをつくってくれた。

それは、客観的に見たら、電車代を無駄にしただけの、つまらない1日にしか思えないと思う。

でも、私はその日もしあわせだと感じた。

暑いねといいながら自転車を漕いで駅まで行ったのもいい運動になったし、いい運動のあとの担々麺はめちゃくちゃおいしかった。いい風が吹いていたから、気持ちよく眠れた。夫の寝顔がかわいかった。昼寝していただけだから、お腹は空いていなかったけど、夫がつくったハンバーグがびっくりするくらいおいしかったから、私はおかわりした。

いま思い返してみても、いい1日だなと思う。



しあわせのつくりかた


私は、上で大事な人と過ごすから、しあわせな時間になる、というような書き方をしたけれど、本当はちょっと違う。


そもそも、大事な人って、どういう人だろう。

その人が大事な人だから、大事にするのか。

私は、その人を大事にするから、大事な人になるんだと思う。


時間も大事にしようとするから、大事な時間になるんじゃないかな。

しあわせな時間と不幸な時間がはじめから決められているわけではなくて、いつだって、しあわせにもできるし、不幸にもできる。


私自身、なんて不幸なんだろうとしか思えなかった時期がある。
いま思い返すと、そんな時期にも、しあわせだと感じられる時間もあったし、しあわせになろうと思えば、いつだってしあわせになることもできたはずだ。

そのときの私は、できないと思いこんでいたから、できなかった。

しあわせなそうな人を、はっきり言って、鬱陶しいと感じていた。

でも、私を不幸から引きずりだしてくれたのは、私がしあわせそうと感じていた人たちだった。

彼らは、不幸に浸っていた私に、「いつだって、いつからだって、しあわせをつくれるよ」と教えてくれた。

私は、しあわせはつくれるんだと知ることで、しあわせになれた。
しあわせを感じられるようになった、と言った方がいいかもしれない。


ちょっと鬱陶しいかもしれないけれど。

しあわせを感じられるようになった私は、日々のしあわせを綴っている。

「しあわせは、つくれるよ」と声をかけるような気持ちで。

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