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トイレの女神様を見る…のか

頻尿ー。
要はトイレに近くなること。私は子供の頃からこれに悩まされていた。

授業中も度々トイレのために席を立った。当然恥ずかしいし、めんどくさいし、何より担任の先生が正直のところ良い顔はしてくれない。先生の理解を得たいがために母親に連絡帳の記入を求めたが応じてもらえなかった。母親の気持ちになってその理由を考えたりもするけど結局今でもよく分からない…。

まあそれはいいとして。
私は子供の頃から「頻尿」には悩まされ続けた。

大人になると今度はドライブだ。
高速道路SAは各駅停車。相手が男性だと気を遣う。女友達でも気を遣う。そういえば、同じく頻尿憑き(妖怪か!)の女友達と2人だけで行った遠出のドライブはトイレの”セッション”だったっけ。

各々おのおののタイミングでトイレに駆け込むものだから”ハモり”というか、カエルの歌のような”輪唱”というか、とにかくトイレ三昧な旅だったな。

泌尿器科を受けたこともある。
先生「心因性ですね」
一番困る心因性。要は心配しすぎ、プレッシャーだということだけど具体的に何がいけないのかが分からない。コーヒーやお茶などの利尿作用の高い飲み物が要因の一つかも知れない。はま寿司のコーヒー最高だから。でもでも心因性と言ったら心因性。

精神修行ってことなのか。今こそ東洋の神秘「瞑想」なのか。
ヨガで攻めるか。仏教で攻めるか。
そうそう、仏教の瞑想の教えでは

現一切色身三昧げんいっさいしきしんさんまい

というものがあって、瞑想の境地で変幻自在の身体を手にする状態をいうのらしい。瞑想のあかつきには「頻尿」を克服し、いてはエンジェリックな美少女戦士になれるかも知れない。いや、美少女王に俺はなる!!

こんなこと言ったらお寺さんに怒られるのでこの辺で慎みます。
ところで仏教には

烏枢沙摩うすさまみょうおう

という「不浄」を焼き尽くしてくれる神様がいて、宗派によってお坊さんはこの烏枢沙摩明王に真言しんごん(=短いお経)をお唱えしてからトイレに入るみたい。

人が満たさないと死んでしまうと言われる三大欲求。食欲。睡眠欲。排泄欲。
(「性欲」という場合もあるけど性欲の我慢では人は死にはしないので、今回はすっ込んでいてもらいますね。)

排泄欲ー。
食べれば”出る”。暴飲暴食に比例する。排泄を生理現象として”当たり前”にするもしないも、それは人それぞれ。烏枢沙摩明王にお祈りするのはある意味キリスト教でいう「懺悔ざんげ」なのかな。食欲を満たしたわけだし。”命”をいただいたわけだし。トイレは汚れて当たり前、否、すぐに掃除しなきゃ。それこそが”いただいた命”の浄化。私の罪の浄化。不浄の焼き尽くし。

泌尿器科の先生はこう言ったっけ。
「おしっこが出るだけいいじゃない。出せない人もいるのよ」
確かにだ。私の職場は透析のクリニック。
患者さんは腎不全により尿が出なくなり、その結果、老廃物が身体中で大変なことになる…。

私はありがたいのかな。

どうやら「頻尿」というものについて若干の改めが必要な時が来た…のか。烏枢沙摩明王。私のトイレの女神様かな。
「トイレには〜♪ それは〜 それは綺麗な〜 女神様がいるんやで〜♪」

次回「便秘な私」お楽しみに。


↑烏枢沙摩明


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