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「褒められたい」という感覚②

今日は「承認欲求」の負の側面について書いてみようかなと思います。

「誰かに認められたい」という思いは、
「嫌われたくない」という思いと表裏一体な気がする。

「嫌われたくない」という思いが強くなればなるほど、
みんなから好かれたいという思いが強くなり、
みんなに好かれる「いい子」でいたくなってしまう。

結果として出来上がった自分が誰かに認められると、
今度はその人たちを「裏切りたくない」という思いから、
その「いい子」の殻を破れなくなる。

でも「いい子」は、それ以上でもそれ以下でもない。
大多数から嫌われない代わりに、特別好かれることもない気がする。

言い換えれば、「面白みのない子」「害のない奴」


ここから少し、私の話をします。

小学生までの私は(これも褒められたいからってのもあったけど)、代表とか目立つことが好きだし、自分の意見もはっきり言うし、頑固だし、
先生にはずっと好かれるけど、友人関係においてはまぁまぁ敵を作るタイプだったと思うし、人とぶつかることもあったと思う。

中学生になったらその「褒められたい」って思いが強くなるのと反比例するように、自己肯定感も低くなっていく。いや なっていったのか、元々低かった部分が露呈したのかはわからない。けど、人生で一番自己肯定感・自尊心が低かったのはこの時期だと思う。
(まじな話、人の目を見て話ができなかった。それで親友に怒られた記憶がはっきりとある。)

恐らくその頃から、無意識に「好かれる自分」を演じる癖がついていた。
でも、小学校から知っている仲間(私にとっては新体操のクラブチームで一緒だった子たち)の前では「好かれる自分」でいる必要ではない訳で、
これまた無意識に好きなことを好きなようにしていた。だから、その二面性に苦しんで、「本当の自分はどれ?」なんて悩んだりもしていた。

そこから高校生になり、新しい環境に身を投じる中で、
この「好かれる自分」と「好きなことを好きなようにする自分」の切り替えを無意識かつ自然にできるようになっていた。

未だにその癖は残っていると思う。
でも、良いのか悪いのか、二面性とも取れるこの状況下で、どちらの自分でいることも苦しくはない。

ただたまに ふと「あ、今私”好かれる自分”だ」と気が付いてしまった時に虚しくなる。「私って面白みのない奴なんだろうな」なんて思ったりもする。

ただ好かれる自分と好きなことを好きなようにする自分の共通項は
・基本笑顔でいること ・基本優しい ・基本困っている人は助ける
ことだと思う。

好かれる自分と好きなことを好きなようにする自分の差は
・自分の黒い部分を表面に出すかどうか
簡単に言えば、愚痴を言うかどうかな気はする。あと本気の真顔になるかどうか。

、、、考えてみるとこれって、単にTPOを弁えているだけなのかななんて思い始めた。

私みたいに、無意識のうちに自分を演じ分けてる(この言い方が悪いのかなとか思い始めたけど)人って多いんじゃないかな。

逆に「周りの目なんか気にしません!私は私!」みたいな人ってたまにいるけど、かっこいいなぁなんて思いつつも、実際どうなんだろなんて疑っちゃう。


でも、この「承認欲求」という厄介者と、私たちはこれからも付き合っていかなくてはならない訳で。

この「認められたい(=嫌われたくない)」って思いは、私の中での一生の課題です。

強く生きよう!



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