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美しい世界 とか 愛 とかに毒されては、人は縮こまってしまうよ。

ブルーハーツのある曲に「どーぶーねーずみ、みたいに。うーつ-くーしくなりーたいー」という歌詞がある。思春期だった私はストレートに思った。「どぶねずみは普通に、美しいよ」。そして続く歌詞が疑問に思えた。「写真には写らない美しさがあるから」。私の知るどぶねずみは、そのままでも美しいフォルムと注意力と知恵と決断力があった。

最近よく聞く思想や通念として、個人的に気になるものを挙げてみる。

一つ、愛。やさしさ。思いやり。美しいこと。きれいなこと。

一つ、前向き。ポジティブ。希望。可能性。未来。

一つ、苦労をしたから、わかる。どん底を味わったから、這い上がった。

あーあーあー、どれも真実で正しくて真っ当で、だから息苦しくなるよ。

誰もがそうありたいと願う形であり、だから反する思いに後ろめたさを抱えてしまう。抱えて隠してバレないように、偽りを演じる。

「発言小町」が相変わらず人気なのは、人の悩みや不幸に対し顔を隠した上で堂々と本音が言えるからでしょう。悪意すら平気で発言でき、それを正義だと誇る気持ちさえ持つことができるから。

SNSで揚げ足取りが流行っているのも、インパクト動画が絶えないのも同じような心の反動なんだと思う。その反応がとてつもなく多いのも。

どれだけ正しいことを「その通りだなあ」と心から納得しても、反する思いは必ずある。なぜなら調和を取るためには「互いに対立と依存を保つ」ことが必要だからである。コップの水がコップの水であるためには、コップに土台があり水は空気の圧力によってコップの中に停滞している必要があるというように。

コップの水ですらーーー対立と~調和で~均衡を~保ってんのよーーーー♪思想とか理念とかイイとかワルいとか、こうあるのが素晴らしいとか、美しくないものはダサイとか、、、なんか不自由じゃないか?息苦しくないか?

私は、息苦しい。かっこいいことを言えないから。かっこいいことを言おうとしている自分が恥ずかしいから。ぐだぐだで鬱々で情緒不安定な自分を認めるのが怖いから。他の人が立派に見えて恥ずかしさのあまり縮こまってしまうから。

それは、ここで私自身が反発している「こうあるべき理想」の檻に入っちゃってるってことだ。自分が作った檻に。

あーあ。もうやめよう。とりあえず今は。