ダイエットって一生続くよね、という話
テレビを見ていて「あれ?」と思った。馴染みのある男性タレントが、にこやかに面白いことを喋っている。
それはよいのだけど、気になったのは、その体型。ダイエットに成功したはずなのに、元通りの太めの体型に戻っていた。
そのタレントは、それこそテレビCMでも有名なラ○ザップの指導の下、ダイエットを敢行し、数十キロ痩せたことを番組で誇らしく語っていた。キツい食事制限と運動を実行し、努力の末にダイエットできたことを、満面の笑みで話していた。その肉体が、すっかり元通りに。
努力と時間をかけたことによる成果は帳消しになり、ラ○ザップは痩せられる!という宣伝効果だけが残る結果に。数十キロ痩せたのは、紛れもない事実。根気と労力を使い、男性タレントがダイエットに成功したのも、紛れもない真実である。その成果に対して動いた多額のお金があったのであろうことは、まあひとまず置いておいて。
その男性タレントの元通りっぷりを見て、思った。「ダイエットってやっぱり、一生続くんだよね……」
一時痩せることができても、それがずっと続くことがなければ、本当の意味でのダイエット成功には多分ならないのよね、ということを、しんみりと思ったのだ。
適切な食事制限と運動によって体重を減らし、理想の肉体を手に入れる。それ自体は素晴らしいことだと思う。仮に食事制限のみのダイエットであったとしても、この飽食の時代において甘いもの、カロリーの高い美味しいものを我慢するのは、並大抵のことではない。少なくとも、私にとっては。ケーキ大好きだから。すみません。
それらの誘惑をはねのけ、カロリー計算をしっかりと行ったうえで適度な運動をし、スリムなボディを手に入れる。その日数だって、けっして短期間ではないだろう。ボクサーのような急激な減量でもないかぎり、何ヵ月、下手すれば何年もかけて、贅肉を削ぎ落とす必要がある。ぼく、わたし、なに食べても太らないんだ~な人種以外は、そうやって地道に、堅実にダイエットを敢行していく必要があるのである。
しかし、しかしだ。そうして血の滲むような努力をして体重減少を叶えて、さあ、大好きな体になったぞ、これでもう大丈夫だ、では済まないのが、ダイエットの難しいところ。たしかに一度終わってはいるが、そうではない。今度はその作り上げた肉体を、維持していかなければならないのだ。
維持するにはどうするか。カロリーを制限し、運動をする。その日々を続け、体重が増えないようにする。結局は、同じことだ。スリムな体を保ち続けたい場合、ダイエットとは、一生をかけて自身の食欲を筆頭とした欲望を長期的に制限していくこと、そして健康的で活動的な生活を続けていくことに他ならない。一時的に体重の減少を叶えたとして、その後に元の日常に戻してしまっては、意味をなさなくなる。痩せた努力や結果を単なる過程にしたくなければ、太らない努力を懸命に行っていくしかないのである。
少しぐらい、緩んだ日があってもいい。よいことがあった時ぐらい、ビールをしこたま飲んで、美味しいものをたらふく食べて、羽目を外す瞬間があってもいいと思う。人間だもの。
しかし、それが続けば、日常になってしまう。酒を飲み、ご飯を食べ、カロリーを過度に摂取する。それが普通になってしまう。結果、どうなるか。太る。太らないためには、どうするか。ハイカロリーを体内に入れたことを自覚していれば、消費するために運動する。しばらく高カロリーなものを食べないようにする。ダイエットに勤しんでいた日々を思いだし、自身の苦労を噛み締め、目の前の糖分にノーを突きつける。肉の脂身に、炭水化物に頭を下げ、逃げる。たまには会ってもいい……?と涙目で手を振り、逃げる。そうして肉体を維持していくのが、本当のダイエットと呼ばれるものなのだと思う。結局は体だけでなく、心も変えていかないといけないのだ。むしろ心を変えていく作業が、ダイエットと呼ばれるものなのだと感じる。
○○ヶ月で○○キロ痩せました!という笑顔の報告。それ自体は、素晴らしい。汗を流し、誘惑を断ち切り、目標に向かって懸命に走り続けた成果に違いないからだ。だが、その後に食生活を元に戻してしまったら。○○ヶ月で○○キロ戻ってしまいました!となりかねない。
ダイエットとは一生続く、修行のようなものなのかもしれない。
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