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物憂げな雨の一日。

今日は雨だ。灰色の雲が空一面に垂れこめていて、空気も湿っぽく、どこか息苦しい。花や作物やカエルは喜んでいるのだろうけど、私は部屋のなかで頭が痛いなあ、ボーッとするなあ、と思いながら、ただ静かに横になっている。雨の日は、体調がよくない。そうなると、気分も落ちこんでしまう。それがちょっと、悲しい。


年齢を重ねたせいか、気圧の変化の影響を受けるようになった。雨や曇りの日は不調になることが多くなり、頭痛や眠気に襲われることも少なくなくなった。そうしたときには小林製薬のテイラックという漢方製剤を服用すると症状が楽になるのだけど、今日はあいにく切らしてしまっており、買いに行く気分でも体調でもないので、家のなかでじっとしている。横になりながら窓から外を眺めると、切れ間なく雲が空を覆っていて、太陽は今日はおやすみとばかりに顔を隠している。ちょっとでいいから、出てきなよ。その願いもむなしく今日は一日中雨が降るらしく、つまりは私の体調も良化しそうにないので、眠気に支配されながら、スマホを目的もなく眺めていた。さっきまで。


しかし、なにもしないのも、つまらない。気圧に従属するというのも、少し腹立たしい気持ちだ。気圧め、私は今日は世界のためになるような素晴らしい行動をとろうと思っていたんだぞ。嘘だけど。ドラマを観ようと思っていたのである。


ただ、なにもしないのは面白くないというのは本心なので、体調が思わしくないなかでも書けるエッセイはなんだろう、と考えて、アプリをYouTubeからnoteに切り替え、こうして執筆を行っている。頭に濃い霧がかかっているために、単語やいい表現はいつも以上に出にくい状態だけれど、それでも文章を書く楽しさは体調の良し悪しに関係がないようで、ポチポチ文章を打っていると気分だけは晴れてくるような気がしてくる。


よし、私の気分はちょっと晴れたぞ、そっちはどうだ!? と空をふたたび眺めてみたけれど、相変わらずの曇り空だ。空と私の気分は連動していないらしい、という当たり前の感慨を抱きながら、エッセイを書き続ける。スマホで執筆するのは、いい。クッションに頭を預けながら横になるという、だらしのない格好でもエッセイを執筆することができるのだ。そのようにして指を動かしていると、いつの間にか千字書くことができていた。今日のエッセイは特に独り言の要素が強いように思うけれど、投稿するというのが大事。推敲して、画像をお借りして、投稿を終える。今日も、エッセイを書くことができた。それが嬉しい。


明日は晴れるといいなあ、太陽よ顔を見せておくれと思いつつ、ひとつあくびをする。物憂げな、雨の一日である。

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