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人は星になり、どこへ行くのか?

 5月某日。東京・田端にて、20席のシアターひとつのみの小さな映画館「シネマ・チュプキ・タバタ」のロビーで、わたしは三ツ矢サイダーを飲んでいた。開演時間までまだ待つので、壁いっぱいに書かれたサインを眺める。先ほど店員さんが「この間監督がトークショーに来られたんですよ」と教えてくれた箇所をよく見てみるが、タイトルの付近にいくつかあるサインのどれが監督のものかはわからなかった。とりあえずミーハー根性から、スマホで写真を一枚。

 今回わたしが観にきたのは、小林且弥監督『水平線』だ。

 わたしは予告編を含め事前情報を頭に入れずに映画を観るので、「ピエール瀧が散骨業をする話らしい」というなんとも曖昧な認識のみで今作に挑んだ。正直な話、「ピエール瀧」が「散骨をする」というキーワードだけで飛びついてしまうほど、わたしはピエール瀧のファンである。

 上映が始まると、散骨するための遺骨を砕く主人公の背中から物語は描かれる。粉状になるまで砕かれたそれは、きれいにパッキングされて舞台である福島の海へ運ばれる。そして漁船の上から、とぽんっと海へ葬られる。
 一連の動作の中に非礼な点はない。しかしわたしのイメージする散骨とはかけ離れた、その儀式はとても事務的なものだった。

 作中では娘と衝突した主人公がぽつりと呟くシーンが、とても印象的だった。

「はやく夜にならねえかなあ」
「夜になったら星になった人は集まって、ネオンを焚いて酒を飲んで、夜明けとともに千鳥足で水平線へと帰るんだ」

 うろ覚えであるが、主人公の死生観と現状への苦しみがにじみ出た台詞であった。わたしは、その言葉にとても胸を打たれた。

「死んだ人は星になる」だいたいの物語はそう教えてくれる。だが朝になり昼になり、星が見えない間は死んだ人はどこに行くのか?
 夜に瞬く星々は、夜明けに水平線へ帰っていく。陽の光にかき消されることなく、水平線の向こうでまた夜が来るのを待っているのだ。


 今作語るところはたくさんあれど、わたしの死生観をアップデートしてくれた主人公の言葉が印象的だったのでピックアップさせていただいた。
 小林監督はデビュー作とのことだが、とても素晴らしい作品だった。二作目もまた観たいものである。


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