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世の中は答えのないもので溢れてる

私の主治医が以前に薦めてくれた本。
「ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力 」

「ネガティブ・ケイパビリティ」とは
「課題や問題の答えを焦って出そうとして、中途半端な意味づけや知識で
未解決なものに対してせっかちに帳尻を合わせるのではなく不確実さや懐疑の中に居られる能力」みたいな意味を持つ。

今の日本の教育では問題に対して的確かつ迅速に対処解決する能力(ポジティブ・ケイパビリティ )が求められていると私は感じていて、私はとても生きづらく感じていた。でもネガティブケイパビリティはそういうことをしない能力のこと。

人の脳は
目の前に訳の分からないものや不可思議なもの、嫌なものが放置されていると落ちつかずその気持ち悪さを回避しようととりあえず意味づけし分かったふりをして安心感を得ようとする。その究極がマニュアル化でマニュアル化によって脳が悩まなく済んだ結果マニュアルにない事態が起こると思考が停止する。

私の職場の理念の1つに「自分たちの暮らす地域のhappyの為に常にalways whyで最適解を探し続ける」というものがありスタッフは対話をしながら、日々の中で「なぜ?」や「本当にこれでいいのか」などを意識する努力をしている。そうやって意識していても私の脳はすぐに逃げて思考を停止しようとする。

この本を読んだ頃、私は仕事で新規の利用者さんとマンツーマンで関わる時間を沢山もらった。その中で「関係性を築こう。」「何かしないと。」と焦るあまり目の前のその人との生身の対話がおろそかになってその人の表情、振る舞い、言葉を豊かにするのではなく、今まで習った教科書の理論や今までの少ない経験の中に当てはめてその人を理解しようと逃げている自分に気づいた。恐ろしい。

本の中でネガティブ・ケイパビリティの能力を邪魔をするものに「欲望」、「記憶」、「理解」というものが書かれていた。
今の日本の教育の試験は課題解決能力を試すもので、点数など到達目標(欲望)があることで時間に追われながら詰め込み方式の「記憶」でとりあえず「理解」したように錯覚する。

私は本来の教育は学べば学ぶほど未知の世界が広がる面白さを伝えたり、答えの出ない問題を探し続ける力を育てるものだと思っている。

だって世の中はむしろ答えのあるものの方が少なくて、どうにも変えられない取り尽くす術もない事柄が溢れてるはずだから。
今、進行形で世界の課題であるコロナウイルスだって。

問題解決ばかりに重きが置かれると問題そのものが平素化してしまって本来もっと複雑な問題なはずなのにそれが削ぎ落とされてしまっている。単に外出自粛といっても「何のために」とか「なんで散歩はいいんだっけ」とかが1人1人が意識していないと駅前はお店が閉まっているから人が集まっていないけど海などは人が集まる、みたいななんだか本末転倒な事が起きている気がする。
本には「ネガティブ・ケイパビリティの能力は対象の本質に深く迫る方法の一つになる。相手を本当に思いやったり、共感する力だったり、その人が何を考えているのか想像する力になる。」というようなことが書かれていた。

いま世界中の人がこの何が正解かわからない中でコロナウイルスと闘っている。だからこそみんな不安だ。だからこそこ個を攻撃するのではなく思いやりの心を大事にできたらいいなと思う。

「stay and watch」

本の中で私が印象に残った言葉。
「逃げ出さず踏みとどまって見届ける」

私の母は私がどんなに摂食障害の症状で罵声を浴びせても裏切っても娘の今の状況がわからなくても何に不安なのか向き合って逃げ出さず一緒に時を過ごしてくれた。

誰かが自分のことを思ってくれている、苦しみをわかってくれる人がいるとそれだけでだいぶ変わった。
今私が楽しく生きてるのはそんな風に見守ってくれる人が沢山いるから。
そんな感謝と共に私は今仕事でもプライベートでも目の前の人の事、すぐにはわからない。けど今一緒に過ごしてる時間を味わいたいと思っている。きっとそんな中で何かお互いの心地よさとか安心の感情や感覚が通じ合う時が来ることを信じて。
だからコロナの世の中も色んな人と悩みや困っている事を打ち明けながら自棄にならず乗り越えられたらいいなと思う。

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