見出し画像

見えているって思っていたけれど

健康診断で視力が著しく下がっていることが判明して約3か月。
「眼鏡を変えなきゃな」とか「コンタクトにしようかな」とか考えたり。

電車の電光掲示板が近くまで行かないと見えなかったり、ボルダリングの課題も近くまで行かないと見えなかったり、多少の不便はあるものの、電車の時間も見えなくてもスマホで調べられるし、ボルダリングの課題も近づけば見えるし、眼鏡も車の運転の時くらいしかかけないので、普段、自転車生活の私は、日常生活でたいそう困っていなかった。

困っていないから、目の前の仕事や、藤沢に行くだったり友人との約束など、「目の前の楽しみ」を優先をしていたら3か月経った。

今、働いている自立援助ホームに入居している子どもたちには、「早く病院に行きな!」とか促すくせに、自分も、目の前の楽しみや仕事を優先して後回しにしている。

そして、久々に何も予定を入れていない休日だった昨日、「暇だな」そう思い、やらなきゃリストを眺め、「眼科に行くか」と家の近くに眼科があるのか調べた。意外と近くにあり電話をしたら、「今なら空いてます」と返事が来たので、早速行くことにした。

「子どもたちも日常に困ってなかったら、病院より遊びを優先したくなるかあ」とか「『病院の待たされるのがイヤなんよ』ってそういえば子どもたち言ってたな。『今なら空いてます』って言われなきゃ私はまた延期していたかも」など最近の仕事の出来事と重ねながら、眼科へ向かう。

検査をするとどうやら乱視らしい。
今の生活からしてコンタクトの方が楽なので、人生初のコンタクトを購入。

見えていると思っていたけれど、最近、私が見ていた世界は、だいぶぼやけていたらしい。視界がクリアだ。電車の電光掲示版も遠くから見えるし、家のプロジェクターの画面もいつもよりクリアに見える。ボルダリングに行くのが楽しみだ。

「○○のつもり」とか、思い込みって怖いな。

視界がクリアになったら、少し気持ちもスッキリした。
「最近の私は目の前のことばかりに意識が向いていたな」
そんなことを思う1日だった。

読んでいただいて、ありがとうございます。 自分のために書いた文章が 誰かの心にも何か残ったら嬉しいです。