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20220428_愚痴じゃなくて父

家族がいれば ひとまずよし


昨日はちょっと色々重なってコンディション悪かったけど、ああやって文章書いて、一息ついて少しだけ回復した。から完全に落ちる前に軌道修正できた。上がったり下がったりを繰り返して、多分どこかでちゃんと休めないと結果下がって落ちてくから、注意しないと。

調子が悪くなる原因のことをここで書いたって、ただの愚痴になってだれも得しない。自分はスッキリするんでない?と思われるかもしれないけど、私にはそんな効果はない。何かに対する意見じゃなくて、自分のことを棚上げした状態で発する愚痴は、あとでそれを見た時に自分にマイナスエネルギーとして跳ね返ってくる。あんなこと言った自分…と自責の念に駆られる。

だったら、苦しい原因のことをああだこうだ言うんじゃなくて、今自分がどんなふうに苦しいのか、どんな状態かを書いたほうがよほどスッキリするし、後から見て「あぁ、あの時はこういう状態だったのか、次またその兆しが出た時はもっと早く対処しよう」と未来の自分のためにもなる。読んだ人にも、「わたしはこんな状態になったことないから大変そう」とか逆に「わたしもこんなふうになったことある、共感する」とか「こんな状態、わたしにとっては大したことない、もっと酷い状態を経験したことがある、だから甘えてるだけだな」とか、自分と読む相手との感覚差を測ることができる。

それは多分、愚痴でも同じことができるのもしれないけど、愚痴と違うのは愚痴を言われてる「第三者」の存在が現れないことだ。そういう存在を出してくると、攻撃対象になってきてしまう。攻撃することで、ある程度スッキリするのかも知れないけれど、わたしはややこしくて、攻撃していた自分を後で思い出してそのことに落ち込んでしまう。だからそれを回避するために自分の状態だけを書いたり話したりする。まぁでもこれは話してる方はいいけど、聴いてる方は人によっては具体的な話がないからさっぱりで聴いてても「はて…」って感じになっちゃうか。書きながらそう思った。

そうだ、こういうことを言いたかったんじゃなくて、こういうマイナスな状態のことは、詩とかなにか他の表現に昇華できうる、って話をしたかったんだわ。落ち込んでる時は、逆にクリエイティブになる、そういう話だよ。愚痴って発散できない代わりに、あれこれ組み替えて、文章にしたり、絵にしたり、で昇華させた方が、自分もスッキリだし、周りにも迷惑はかけない。うん、これだ。


電車降り逃した。


降り逃して次の駅で降りたけど、いいことがあった。乗り換えるために歩いていると、東京メトロの路線図マップ、A4サイズの紙のマップが配られていた。これ欲しかった!と思い一枚抜き取る。こういう路線図をただ眺めるのが好きなので。でもその瞬間、ふと思い出した。

2月に種子島の実家帰った時、父親が東京の思い出についていろいろ話してた時に、あそこはどうやっていくんだ、みたいな話になった。父親は、こういう時のために、と言わんばかりに、東京に住んでいた時に使っていた手帳を引き出しからだした。手のひらサイズの手帳の中には最後のページ付近に、メトロの路線図が書いてある。それを見ようと、小さな手帳を開いてみてみたが、次の瞬間

「小さすぎて読めねぇや」

と苦笑いしていた。そのまま手帳を引き出しにしまっていたが、ちょっと寂しそうだった。東京に私たちが住んでた頃、大変なことだってあった。だけど東京への懐かしさ、恋しさみたいなものは今でも少なからずあるようだった。わたしはこの時、もうちょっと大きい路線図があったら、なんかのついでで荷物に送ってあげようと思っていた。

そして今日見つけた。なんなら5月に帰る予定だから、その時手渡してあげよう。A4サイズだったら、まだ読めるでしょう。そう思いながら、もう一枚抜き取った。


父は昨日、手術を無事に終えたらしい。はやく元気に会いたい。


2022/04/28       8:29

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