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20220319_思考のいたちごっこ

これから髪を切りに行くけど、なんにも決めてない


今なにか思いついたんだけどな…忘れてしまった。こういうことがしょっちゅうある。用事があってその場まで移動して着いた瞬間に「あれ、今何しようとしたんだっけ」はザラ。なんであれ、着いた瞬間に、頭から消えるんでしょうね。ほんとに、着いた瞬間、そのときに忘れることないのにさ。自分の感覚としては「忘れる」よりも、「消える」のほうが合ってるかもしれない。そっからう〜んう〜んと考えてやっと思い出すのだが、最近の思い出し方は、ここにくる前は何してて、それでそうして、そうしたら…ああそうだ思い出した、で、いちいち自分の行為を巻き戻してなんとかやっている。

「なにしようとしたんだっけ」系の忘れ、自分の「行為」の忘れ、はまだ自分としては別にいい。いや、良くはないのかもだけど(実際仕事でやるとすごいイライラする)、結局その時は、ま、仕方ないかくらいに治る時が多い。

それよりも私が今治したい、治したい?というよりも、もったいないと思っているのは、「行為」の忘れではなくて「思考」の忘れだ。

例えば、これいいこと思いついた!と思った次の瞬間に他のことに気を取られたり、人に話しかけられたり、なんか仕事が降って沸いたりした時。その用が終わって我にかえると、その思いついたいいことは大体もう戻ってこない。1番わかりやすい例だ。もっというと、アイディアみたいなわかりやすい思考だけじゃなくても、ぼ〜っと考えを泳がせてああだよなぁこうだよなぁと考えてたことが、場所も時間もいったん離れたとき「そういやあのとき何考えてたんだっけ」と思うと大体覚えていない。もっというと、その場を離れたりしなくても、考えた次の瞬間にはもう消えることもある。

考えては消えて、思い出そうとして、その消えたものの残りかすや影をなんとか捉えて、そういうものを散文で残す。今みたいにスマホでやったり、ノートに書いたり。

いつも頭の中は何か、レース(race)をみてるような感覚なのかもしれない。フリフリのレースじゃなくて、競争のレース。私は観客で、選手なのか、車なのか、馬なのか、わからないけど、目の前を一気に走り去る。それを捕まえるなんてできないし、なんなら写真みたいにその走る瞬間をとらえることもできない。見えるのは残像。残像と、その走り去る瞬間の疾走感、音の記憶。今、この瞬間を感じることも楽しいだろうけど、わたしはどうしても何かに残したがるらしい。残したがるし、残す行為=書く行為そのものの瞬間も楽しみたいらしい。


さっき近所のスーパーの中に入ったら、焼き芋の甘い匂いがした。もう3月なんだけど、その瞬間だけ冬を感じた。焼き芋の匂いはそろそろ嗅ぎ納めかな。

2022/03/19 10:40

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