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末永幸歩『13歳からのアート思考』

みなさん、こんばんは。NOZOMIです🍃
今回紹介するのは、末永幸歩さんの『13歳からのアート思考』です。「美術苦手だったんだよなあ」というあなた!ちょっと待った!ビジネスパーソンから主婦の方まで美術嫌いなあなたにこそ読んでほしい教育にまつわる一冊です。教育学の視点を交えながら、独自の視点で考察していきます!さあ、いってみよう!

アートの正体

 アートは「変化する」こと。私たちはずっと昔から変化するものに対して、美しさを感じてきました。この「無常観」を昔の人々はさまざまに表現しています。

「花の色は うつりにけりな いたずらに 
 わが身世にふる ながめせしまに」

百人一首 9番 小野小町

 例えば、平安時代の女流歌人小野小町は桜の花の色がむなしく色あせていく様子と老いていく自分の姿を重ね合わせて、その切ない「無常観」を訴えています。

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。
おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。
たけき者もつひには滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。

平家物語

 時代を同じくして、平家物語の冒頭部分でも同じように「無常観」が語られています。あれほど大きな勢力を持っていた平家一族も、壇ノ浦の戦いをもって衰退したことから、どんなにさかえている人やえらい人でも後に滅びていくことを意味しています。その栄光は長い歴史で見たら一瞬の出来事に等しいのです。

(余談ですが、平安から鎌倉の時代の変化は激動で面白い。歴史は自分なりの読み解く視点をもつとさらに面白い。これについて、別でnote更新したいと思います。思わず独り言を呟いてしまいました。笑)

このような、「滅びの美学」は日本古来より私たちの考え方に深く根付いています。「真のアーティスト」とは、誰もが価値を見出していないものごとに対して、一度立ち止まって考え、自分だけの視点を与え、新たな価値を創出できる人だと筆者は主張しています。

「真のアーティスト」とは「自分の好奇心」や「内発的な関心」からスタートして価値創出している人

p.300

 私たちが日頃から使っている「アーティスト」という言葉は、「絵を描く人」や「歌を歌っている人」など職業や属性を表す意味で使用されていることが多いですが、この定義に基づくと町中の至る所に「アーティスト」が存在し得るのです。個人的には、世の中に発見や気付きを与える研究者こそ「アーティスト」だと思います。ものづくりで経済成長してきた日本では、「技術者」や「職人」などに対するリスペクトが高いように思います。この本が今注目を集めているのは、ひょっとすると世の中の人々が「技術者」や「職人」とは違うモノ(価値)を創る「アーティスト」を求めているからかもしれません。

アーティストの活動

 では、アーティストとは何をしている人を指すのでしょうか。末永さんは以下のように定義しています。

「アーティスト」は、目に見える作品を生み出す過程で、次の3つのことをしています。
①「自分だけのものの見方」で世界を見つめ、
②「自分なりの答え」を生み出し、
③それによって「新たな問い」を生み出す
「アート思考」とは、まさにこうした思考プロセスであり、「自分だけの視点」で物事を見て、「自分なりの答え」をつくりだすための作法です。

p.13

 この記事を書いている筆者は修士課程で「教育哲学」という学問分野を専攻していました。この「アート思考」はまさに「哲学すること」と一緒じゃん!と突っ込んでしまいました。哲学専門の方、そう思いませんか?

 日本の学校教育では「人から言われたことを効率的に誠実にできる人間を育てている」と指摘する声があります。この背景には、明治から昭和、平成にかけて、日本の学校では大量の「技術者」や「職人」を育てていたと解釈することができるかもしれません。もちろん、そうでない側面もあると思います。では、「アーティスト」を生み出す「アート思考」とはどのように培われていくのでしょうか。

時間を忘れて没頭できるものはありますか?

 世の中に新しい価値を生み出し続けている国の1つにアメリカがあります。iphoneをこの世に生み出したスティーブ・ジョブスの言葉からアート思考のヒントを得ていきましょう。

仕事は人生の大部分を占めます。だから、心から満たされるためのたった1つの方法は、自分がすばらしいと信じる仕事をすることです。そして、すばらしい仕事をするためのたった1つの方法は、自分がしていることを愛することです。もし、愛せるものがまだ見つかっていないなら、探し続けてください。立ち止まらずに。

p.302

 たった1つ。自分が心から素晴らしいと思える1つの愛するものがあれば、どんな苦悩や失敗からも立ち直れると説いています。「愛」という言葉は身近に存在するのですが、その意味を自分に落とし込むには少々難しい言葉に感じます。自分が愛していると思っていても、いつの間にか愛せなくなっていたらそれは愛ではなかったのかもしれない。どうゆうことだろうと考えた結果、自分なりの答えに辿り着きました。

 それは、時間を忘れて没頭できること。また、もし何もかも全て失ってもそれさえあれば生きようと思えるものであること。なのではないか?と。

 一寸の光のように小さいですが、思い当たる節がありました。今の私はそれを的確に鋭い言葉で表現することができませんが、社会人ドクターとして今している仕事の中に、たしかなる愛すべきものがあります。今後、その光をもっと大きくしていきたいものです。

みなさんは今の仕事を愛していますか?

アーティストは複雑な仕事をしている

 本書を通して、「真のアーティスト」は社会的に何者であるか定義されづらいことが分かりました。「教師」といった職業名で分類されるような単純なものではなく、その人を説明することはもっと複雑なのだと思います。本業は何でしたっけ?と言われるような周囲からするとよく分からない人々かもしれません。これは組織に属さないことを推奨しているのではありません。個人では達成できないことも、組織に属することで「アーティスト」としての仕事の可能性が大幅に広がることがたくさんあるからです。

大切なのは、「興味のタネ」から「探究の根」を伸ばせる環境に身を置いておくことです。常に身軽でいるということでしょうかね。

「常識」や「正解」にとらわれず、「自分の内側にある興味」をもとに、「自分のものの見方」で世界をとらえ、「自分なりの探究」をし続けることが欠かせません。

p.305

唐突ですが、この間の9月の3連休に静岡県・伊東へ行き、海に潜るダイビングのライセンスを取得しました。

地球は、3割が陸地でそれ以外の7割が海。日本の島の数は約6,800。あなたはそのうち幾つの島に行ったことがある?

沖縄に足繁く通う小さなダイバー

なぜなら、この言葉に「ハッ」とさせられたからです。思わず瞳孔が開きました。そして、しばらくこの言葉が頭から離れませんでした。わたし日本のことですら、まだまだ何も知らないじゃん。本州、北海道、沖縄、九州、四国、そして屋久島。26年かけて日本のいろいろなところに行っていると思っていましたが、島に加えて海の中となると、まだまだこんなに楽しめるのか!少し考えたら分かりそうなこの事実にこれまで気付かなかったなんて、なんと私はちっぽけで儚い生き物なのだろう。

そして、私は思わず吉野源三郎著『君たちはどう生きるか』にある「人間分子の関係、網目の法則」で語られるひとりの人間として経験できることには限りがあるという教えを思い出しました。

だからこそ、人類の今までの経験をひとまとめにした学問を通して、私たち人間は過去から学んで進歩していく。

(え、やっぱり学問って最上級に豊かな生産活動じゃん。人生かけて絶対飽きない贅沢な趣味だ。やっぱり大きな大学や図書館・博物館の近くに住むのがいいな、うん。やけに納得しました。ここでも思わず心の声が。笑)

余白を持つということ

 これまでの話からも分かるように、「アーティスト」は消費活動ではなく、「生産活動」をしています。しかしながら、ほとんどの人が「消費」「消耗」の激しい生活に知らぬ間に陥ってしまいます。この生活から脱却するためには、「アート思考」を獲得せねばなりません。思考力を鍛えるためには、まず「余白づくり」から始まります。

 「余白づくり」とはどういうことなのでしょうか。言い換えると、捨てることから始めるということです。人は捨てることで、新しい何かに挑戦する力が湧く。もしかしたら、次に出会うその新しい何かがあなたの人生をもっと豊かにするかもしれない。こう強く実感した経験が過去にあります。今回はそれを紹介しようと思います。

 私は大学生の頃に、社会人リーグに出場する女子バスケットボールサークルに所属していました。同級生の仲間は私を含めて4名でした。1人目のエントリーは日本酒好きな小さな酒豪、2人目はカードキャプターさくらを愛する小さなオタク、3人目は話し出せば笑いが止まらない小さな笑い上戸。

大学1年生の頃はみんなで楽しくやっていたのですが、大学2年時に当時大学4年だったワイン好きキャプテンが留学に行くことになりました。その後、スヌーピー好き副キャプテンがキャプテンを務めるようになり、そこから私たちのサークルはギスギスしていきました。

ある日、日本酒好きな小さな酒豪に相談があると言われ、話を聞くことになりました。「サークルがしんどい」「やめたい」という相談内容でした。

私はそこから悩み始めます。限りある大学生活を何に捧げようか。バスケットボールなのか。どのような決断が最適解なのか。私はどうしてこのサークルに入ったのか。毎日がバスケに夢中だった高校生の頃以上に熱中しているか。。。。

2週間くらいで結論が出ました。「同級生みんなでやめよう」と。
そこからは速かったです。スヌーピー好きの先輩に話があると連絡して、アパートまで行き、正直に話しました。バスケットボールは失いましたが、カードキャプターさくらを愛する小さなオタクに言われた「あの時ののぞみは勇者に見えた」という言葉を今でも時々思い出します。出会いから8年経った今でも私たちはつながっています。バスケットボールはいつでもできますが、こうした仲間に出会えたことは何にも代えがたい幸せがありました。

バスケットボールを捨てた4人はそれぞれ新しいことに挑戦していきます。8年経った今、彼女たちはその後どうなったのでしょうか。その1人を紹介します。

日本酒好きな小さな酒豪は、その後、余白を埋めるために一緒に始めたマラソンに目覚め、今や実業団の選手と肩を並べています。東京マラソンなどただ走るだけでなく、トライアスロンやトレイルラン、ウルトラマラソンなどその活躍の広がりは目を見張るものがあります。走っている彼女はとても生き生きしています。(そんな私は現在全く走っていません。あの頃は同じくらいのペースでしたが、今の彼女は意味わからないくらい速いです。笑)

一番最初に「やめたい」と切り出した日本酒好きな小さな酒豪の可能性はこんなにも未知数だったんだと考えさせられます。彼女はバスケではなく、マラソンに適性があったのです。こうして、日本酒好きな小さな酒豪は世界各地を走る小さなランナーという新しい自分を獲得していきました。このように、人間の可能性はその本人も想像できない領域にまで広がることがあります。その可能性の限界を決めるのはいつも自分です。あの時の彼女はバスケットボールによって人生の時間を消耗していて苦しんでいたんだと思います。それは彼女だけでなく、私自身も少なからずありました。もし改善が難しい場合や改善に時間がかかりそうな場合は、思い切って捨てることも大切だと学びました。あの時、自分の違和感を無視せず、勇気を出して「やめたい」と主張できた彼女に心から拍手を送りたいと思います。よくやった!

「空白の庭」は、鑑賞者の想像によって、無限に変化し得るのです。

p.176

末永さんは個人研究員として研究をしながら、美術教師もされています。
これは、小学校教員をしながら博士課程に在籍している私が目指している生き方に近いです。夢中になる授業には本当にさまざまな工夫や仕掛けがあります。授業もアートですよね。授業が面白いって本当にスゴイことで、専門性が求められることなんです。このことをどうやったら理論化できるのかもやもや考えています。

この記事を通して、少しでも末永さんの魅力が伝わったら嬉しいです。

最後までお読みいただきありがとうございました💛


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