憧れの先輩なんて、いない。いらない。

「尊敬できる人がいないのが辛いです」
と、尊敬できない先輩の一人である私に相談してきた後輩ちゃん。

だからスパっと言い放ちました。
私も同じことを1〜2年目の頃感じていたこと。
それに本気で悩んでいたこと。
でもそんな人みつからなかったこと。

私が考えた末に落ち着いたのは、
尊敬できる人を社内に見つけようとすること自体に疑問を持つべきってこと
・そもそも尊敬できる人とはどんな人なのか?
・尊敬できる人が社内にいないといけないのか?
・社内にいないと仕事できないって言うなら、会社変えるべきよね?
ってこと

私自身は、社内に尊敬できる先輩はいない。
そもそもその定義付けが自分の中にないので、該当者がいない。
みんな尊敬できないかもしれないし、みんな尊敬できるかもしれない。


そもそも仕事ぶりが素晴らしい人=尊敬できる先輩?

仕事ぶりに対してのあこがれを抱くこと自体が少し疑問というか、
私の場合は、仕事だけでなくプライベートも謳歌している人こそ
私の中での「憧れ」であり。仕事と私事を両立している人(もはやその垣根がない人)を憧れと定義したい。(今考えた)

そうなると、該当者は社長ぐらいかも。1人いるからいいか!ってなる

そしてその後輩ちゃんに私の場合の話をすると、
「あ、わたしも社長は尊敬してます」となる。

できない自分の能力不足を、会社や素晴らしい先輩がいないこと(環境)のせいにするなら(本当にそれが原因だと思うなら)、さっさとその環境に行ったほうが良い。とも伝えた。
会社の人間としてではなく一人の人間として感じたことを。

心のモヤモヤに向き合う

こうした心のもやもやを、人のせいにしながらいつまでも
同じ組織に居座るよりかは、今回のようにしっかりと
それに向き合って、自分の意思でその先を決めていくことが
大事だと思う。

それを、口には出すけどしっかりと向き合って考えてる人
どれくらいいるかな?
社内を見渡しても少ないよなぁ〜。
でも社内でもそんな感じってことはきっと社会もそんな感じだよね・・・
って思ったのでした。

社内という最も身近な環境の人を変えられなかったら、
社外のことなんてますます変えられないよね〜
自分が目指す環境を自ら作ることを
まずは放棄しちゃだめだよね。

自分が変わるか、自分が変えるか。


とはいえ同じことを私も数年前に感じていたわけで、
2年目の頃に感じていた苦しみについてはとても共感できる部分があった。
憧れの先輩、ほしいよね〜
お手本となる人、ほしいよね〜
その人に学べばすべてがうまくいくのではないか?という期待。
すべてはこの期待のせいでした。

自分の行動は自分で考えて起こすことに意味があり、
そうすることで、自分の意思や行動に責任も持てるようになる。
自分で意思決定するほうが、人生も仕事も楽しいはずなのに、
なぜかこうして、その選択を放棄しちゃうのよね〜若いからなのか。
近道しようとしたり、失敗を避けたりしがち。

社会人5年目にして早くも中堅の私は日々そんなことを考えているのでした。






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