道徳の内容項目 『相互理解、寛容』について考えてみた
相互理解には寛容さが必要?
今年の夏は、特別の教科道徳の内容項目について、ひとつひとつじっくりと向き合って、わたしなりに考えを深めてみようと思う。
第一弾『相互理解、寛容』
学習指導要領では、5.6年生において、
わたしからすると、まず相互理解ってなんぞやって話しで、そこから考えてみる。
相互理解というんだから、互いのことを分かっているということなのかな。
それは言葉にして表していることも、表していないことも含めるのかな?
非言語のボディランゲージとかもOKなのかな?
これもコミュニケーション伝達の手段のひとつといえるから、言葉に表していることだけのやり取りと一概には言えないのかな?
相手の良いところだけではなくて、悪いところもお互いに見せ合える関係性でないと相互理解にはならないのかな?
相互理解をしていくには、寛容さが必要なのではないだろうか?
chat GPTに聞いてみたら、
相互理解とは、異なる立場や視点を持つ人々が、お互いの考え方や感じ方を理解し合うことを指します。
だそうで。
ひとつひとつ言葉を分解して考えることで、無意識に使っていた言語をあらためて意識の下に照らすことが、わたしに謙虚さの必要性を伝えてくる。
「理解し合う」って大人でもむずかしいぞ。
わたしの中では理解ってのは共感とはまたひとつちがって、ただこの人はこのような考え方をするんだなって胸に留めておくことなのかなと思っている。
理解するってのは、自分の胸の前で言葉のボールを受け取ることで、
共感するってのは、言葉のボールを胸の中に入れることのような気がする。
受け止めるってのと、受け入れるっていうことばのちがいが、わりとしっくりきたりなんかする。
その時に、ポイントになるのが「寛容さ」な気がしていて。
思うに他者に対して寛容だから、理解がすすむし、それが一方通行ではなく双方向であれば、相互理解ってものに繋がってくるのかなぁと。
そうなってくると、他者理解においては、理解できる総量は寛容さに比例するのかなと感じる。
寛容な人ってのは、ちがう人間同士のことを知ろう、理解しようとする姿勢が育っている。それを人は謙虚な心をもっているって表現したりするのかな。
またchat GPTに聞いてみる。
寛容とは、他人の意見や行動、信念、価値観などに対して、理解し受け入れる態度を指します。これは、違いや多様性を尊重し、他人の過ちや欠点を許す心の広さを表します。寛容な態度は、対立や摩擦を減らし、平和で協力的な人間関係を築くために重要です。
だそうで。
森岡健太先生の本には、
相手のことを「推し図る」ということは、言葉で言い表すことのできた部分も、表すことのできない部分も含めて相手であるということを理解した上で関わっていたり、相手の状況を察してコミュニケーションを図ろうとする姿勢だったりが求められているってことなんだろうな。
相手に対してリスペクトの姿勢が自然と芽生えている状態で、もっと相手のことを知りたいという姿勢が共鳴し合うことが、相互理解なのかもしれない。
おもしろいもので、低学年の内容項目には、入っていないのよね。
逆に、中学生になると求められるのは、他者に寛容であることは、しいては自分を高めることに繋がっているよね、ものの見方を広げていくことになって、周り回って自分のよりよく生きていくための栄養になっていくよねっていうフェーズになるみたいで。
自分はまだまだ何も知っちゃいないということを知っている人こそ、他者から学ぼうとする姿勢があって、謙虚さが見られるのだろうな。
それは自分の自己成長に必要なことで、人としての魅力が増していくということで、海のような広い心が育っていくという土壌になるんだろうな。
発達段階というか、必要な力を分解していくと
①まずは自分の考えをもつこと(低学年〜)
②相手に自分の考えを伝えること(低学年〜)
③相手の考えを聞くこと(低学年〜)
④相手は同じテーマに対してどう考えるか知る(他者理解への一歩)
⑤自分の考えと照らし合わせてふたたび考える内省の時間
⑥他者の考えを理解する
突き詰めていくと
行動として相互理解をしていくには、
心の動きとして寛容さが求められているよねってところで腹落ちした。
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