社会福祉を”学ぶ”とは、何だったのか
先日、自立支援医療と手帳の申請のための手続きをしてきた。
細かく言うと、申請のために必要な書類の申請をしてきた。何ともまどろっこしい。
その帰り道でふと思った。
あぁ、私、何の躊躇もなく、特別な感情も抱かなかったな、と。
何も思わなかったのだ。今考えても、何もなさすぎるくらい何もなかった。
自立支援医療の申請が通ったら、精神疾患のために福祉サービスを利用している人になる。
手帳の申請が通ったら、行政上の精神障害者になる。
そのことに、何ら抵抗感を抱かなかったことに驚いた、というか、何も思わなさすぎて抵抗感を抱かなかったこと自体に気づかなかった。そしてひとまずの手続きを終え、電車で揺られているときにふと気づいて驚いたのだった。
私は、大学4年間かけて社会福祉を学んできた。
あの頃は、社会福祉を「学びたかった」。言ってしまえば、自分と切り離された何かとして、学問として、実践として、社会福祉に触れていた。
その中でいったい何を身につけたのだろう。
社会福祉士の資格は取った。ただ、資格は資格でしかない。それ以上でもそれ以下でもない、看板のようなもの。
私はいったい何を身につけたのだろう。
私には、あの4年間で何が残って、何が変わったのか。
その答え(仮)のひとつが、この出来事から見えた気がした。
社会福祉を施しだと感じないこと。
公共交通機関を利用するように、福祉サービスを「利用する」感覚であること。
行政の福祉サービスを利用することは、権利であると考えること。
福祉も、それを利用する人も、特別でないということ。
私はきっと、これらの思考を身体に染み込ませてきた──身につけた──のだ。
これは抽象的な話だが、具体的な場面でも4年間の手応えを感じることがある。
支援する側が知りたいことが何となくわかること。どうすれば支援を受けやすいか、換言すれば、自分がどう動けば支援者が援助しやすいか、当たりをつけられること。
おかげで、クライエントとしての私も、支援者としての誰かも、お互いやりやすくなっている。
実は、この具体的な部分は以前から感じてきた。
ただ、その度に複雑な気持ちになっていた。
私は相談(面談)に行くときによく資料を作ってきた。
相談相手、すなわち支援者が知りたいことを推測し、必要な情報を整理してWordでまとめるのだ。
大学の支援部署との面談においては、所属や指導教員の名前、これまでの学業の進捗状況などを盛り込んだ。
病院のソーシャルワーカーとの面談では、主治医の名前や健康保険の情報、生活状況などを記した。
そして最後に「私があなたに求めるもの」を書いた。
たとえば、「○○の場面で△△という配慮を受けられないか」とか、「□□の申請のタイミングはいつがいいと思うか意見がほしい」とか。
たくさんの資料を作った。同じ人間のことを記しているのにこうも違うのかというほど、内容も書き方も異なる。
相手によって、何がベストなのかは異なるからだ。
できるだけ箇条書きのような形で短くコンパクトにしておいたほうがいい場合、時系列に沿って並べたほうがいい場合、細かく心情などを書いておいたほうがいい場合……。
本当に様々なのだ。Wordの書体や文字の大きさまで違う。ここで見せられないことを残念に思うくらい、細部まで調整するのだ。
そういう資料を持って相談に行くと、相手が変わる……変わっていると、思う。何せ”そうでないとき”を知らないのでなんとも言えないのだが、おそらく変わっていたのではないかと思う。
支援者の口から何度も聞いた。
「さすが福祉の人だなと思った」「わかりやすくまとめておいてもらえて助かる」、と。
それらの言葉は嬉しかったし、嫌だった。
資料作りにはそれなりの努力を必要とするので、その努力に目を向けてもらえることは嬉しかった。
でも、それより、嫌なときのほうが、たぶん多かった。
何が嫌だったか。
相談する側、すなわちクライエントのスキルによって支援の質が左右されているような感覚が、心底嫌で歯痒かったのだ。
クライエントにクライエントとしてのスキルが求められるというか、クライエントとしてのスキルがないと支援を受けづらくなる現状。
支援者のスキルに加えて、クライエントのスキルが支援を動かしている現状。
それがほんとうにもどかしくて嫌だった。
私には、福祉について学んでいた4年間で身につけたスキルがあった。それは幸運だった。そう、幸”運”だった。
ただの、運。
運で支援の質や多寡が決まっていいのか。
運に巡り合わずにクライエントになった人は、どうすればいいのか。運が悪かったと状況を甘んじて受け入れるほかないのか。
それが果たして支援なのか。社会福祉といえるのか。
納得できなかった。
でも、支援を受けられないと困る、個人的かつ切迫した事情もある。
その間に挟まれてきたし、これからも挟まれるのだろうと思う。挟まりを感じられるか否かさえ、また運なのだ。
あの4年間でいったい何を身につけたのだろう。
あの4年間で何が残って、何が変わったのか。
現時点でその答えは、時に希望となり絶望となる、辛辣なものだ。
そして──本筋から外れるが──、この文章を書いていて気づいたことをひとつ言って、この文章の区切りとしたい。
私は、社会に怒っている。