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『希望の海 仙河海叙景』(熊谷達也 集英社)



2011年3月10日がどのような日だったか、覚えているだろうか。

誰かの誕生日だったかもしれないし、結婚記念日だったかもしれないし、卒業式だったかもしれない。昔の男に再び心惹かれ、経営するスナックの今後に悩み、退院した母親の世話をしていたかもしれない。

リストラ宣告されたことをようやく女房に伝えたものの、すぐに相談しなかったことに激怒され、いつものごとく DV 被害を受けていたかもしれない。将来像が描けないでいるところに親の離婚を告げられ、妹と喫茶店で話し合っていたかもしれない。

それはきっと、本当に何気ない 1 日だっただろう。昨日の続きである今日、そして明日に続くはずの今日。

本書は、架空の町「仙河海市」で生きる人々の日常を切り取った群像劇である。

穏やかで、時に不穏で、街に生きる人々の息遣いがすぐ傍で聞こえてくるような小話が連続し、繋がっていく。小さな地方の町で、実際に人々の生活が繋がっているのを追いかけているように。

しかし、題名の「仙河海市」、リアス式海岸の情景、港の様子、前日である3月9日におきたマグニチュード7.3の地震。それらから、小説内に切り取られた日常は、気仙沼市をモデルにした宮城県内の町、東日本大震災の前日の情景であることがわかる。

人々は笑い、悩み、生きている。日本のどこにでもある地方の町の人々と同じように。酒を飲み、ミニ四駆を改造し、タバコを吸う。親に反発し、子を思いやり、セックスをする。

11日のことは語られず、物語は同年の8月へとぶ。3月10日の日常にいた人々は、どのような夏を過ごしているのか。

断裂してしまった時間が新しい日常を紡いでいっているようでいて、ずっと繋がり続けているものもある。日々は、大きく変わってしまったようでいて、変わらないようにも見える。そもそも日常とは何が起こったとしてもそのようなものではないか、とも思える。

被災し、書く言葉を失った仙台市在住の作家の最新作(2016年当時)である本書は、佐藤泰志『海炭市叙景』(小学館文庫)に励まされたものだという。

華やかなエンターテイメントではない。心くすぐる恋愛小説でもない。ただ淡々と人々の生活が描かれているだけだ。その生活の情景こそ、この作家が再び筆を走らせ、世に出したいと願ったものだ。『希望の海』と名付けられた物語は、温かな生きる力を湛えている。



(帝国データバンク寄稿分より)
『希望の海 仙河海叙景』(熊谷達也 集英社)

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