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コミュニティー

どうも、エビフライが好きな山本の人です。

ついに11月で僕の始めたコミュニティースペース。
『鷹匠カフェユニ場』が一周年になろうとしています。

それこそ、今回はどうしてそのコミュニティーを立ち上げようと思ったのか、長々語らせていただきます。

先ず最初に、元々僕は中学の間不登校をしていたので不登校中の外に出られない感じがとてもよく分かっているつもりです。

行き場のない不安感と、自分に対しての憤りと、酷く困憊した精神。
今思うと空の青さすら腹立たしく思えてたなぁ、なんて思い返します。
そんな状態の中で学校に復帰するなんてまず難しくて、一人でいるとさらに自分を追い込む。

酷い両刀論法ですよね。(あの有名な言い方忘れてしまった!)
ですが、僕の場合そういう場所、
「人が集まっていい場所」には少し、顔を出しやすかったと思うんです。

「人が集まらなければならない場所」ではなく「人が集まっていい場所」
どういう意味かと言うと。
「人が集まらなければならない場所」には強制された人が多数集まるはずです。

普通コミュニティーと言うのは自ら進んでいく場所、何か目的が必要なはずです。
集まる方の「統一された何か」が必要です。
コーヒーが飲める、~さんに合える等々。

たとえ話ですが、群れを作るときに何かしら念頭に置いた目標があるはずです。

狩の時に一人では心もとないから。
集落を作り安定した資源を手に入れるため。
現代だと、
お金を手に入れるために会社に行く。
この会社のやっている事が自分の夢と合致しているから。

等、色々あると思いますが、何かしらの目標があって群れを作りますよね。

なら学校ってどうですか?
学業に努めるため?
遊ぶため?

親御さんは統一された意思をはっきりと感じます。
「子供に幸せになってほしい」それだけのはずです。(親になったことが無いのでそれ以上の事を思っている方はごめんなさい!)
ですが子供となるとそこに統一された意思なんてあるのでしょうか?

無論学校で趣味を見つけた、友達が出来た。
行けば必ず発見はあるはずですが、その事を学ぶのに学校は最も効率がいいのか。もっと言えば学校でなければならないのか。

現在の学校教育ではどうしても自分のやりたい事と、努力の方向性が違って見えます。

確かに、夢の無い人が一時的に勉学に勤しむのはいい事ですし、勉強から夢を作る人もたくさんいると思います。
ですが勉強で夢を見つけられなかったのに、それをいつまでも生きがいにしていては、人生がおざなりになる気がします。

僕にとっての学校での学びはたぶんコミュニティーの形成つまり、友達作りでした。

でもその学校というコミュニティーに馴染めない人はどうすれば良いのでしょうか。

それこそ、ここで指す『コミュニティー』は友達などを含めた学校という場所の事を指しています。
その学校に来れない人、行きずらい人は自らリアルのコミュニティーを探す必要があるはずです。

人間、一人で生きていくことは不可能なので、不登校になったら何かしら行動を起こす必要があるはずです。

例えば、商店街の店主さんたちと仲良くなる。
とか。
特別支援教室に行ってみる
とか。
今いる場所を離れて別の地をさまよう
とか。

一応自分が不登校中にやったことなのですが、一番はまず手ごろなコミュニティーに参加する事だと思います。

特別支援教室とか。
英会話の集まりとかチェスの集まり、ゲームの集まり。(つまり、あなたの好きな事の集まり)

その不登校の方や疲れてしまった方の場所、cafeユニ場はそういう場所にしようと思っています。

つまり手頃なコミュニティー。

僕はうれしいことにあの「不登校時代」から抜け出すことが出来ました。
父、母のおかげですし。
支えてくださる皆様のおかげです。

だからこそ次は僕がその場所を作る。
それが僕の夢です。

実は『cafeユニ場』は僕の夢の第一歩です。
行く行くは「日本にペニーユニバーシティーを作る!」
これを目指しています。
簡単に説明するとペニーユニバーシティーはコーヒー一杯で大学並みの学びが出来る場所でした。
画家、音楽家などが集まり弟子を募るような場所です。

これが日本の形に合うかどうか、まだはっきりとはわかりませんが、それでもこういう場所を作りたい。

僕は毎回不登校関連のニュースを見るたびに、不登校の親御さんの集まりに出席するときに思うんです。
まるで不登校を不幸で可哀そうな人たちの様に言うんです。

僕は正直、学校には行った方がいいとは思います。
最初の一歩を作れるのは学校の様な安全で保障されたコミュニティーだと思うからです。
でもそれをいつまでメインにしているんだろう。と思うのです。

不登校は学校というコミュニティーを抜け出して、初めて自分でコミュニティーを探すための素晴らしい機会だと思っています。

確かに、学校のように保証されたコミュニティーじゃないので失敗することは幾らでもあると思いますが、自分の学びたい事を効率よく、その上楽しく学べるはずです。

だから僕はCafeユニ場の様な場所を作ってみました。
今の状態のcafeユニ場ではまだ僕の目指す場所には届きませんが、それでも少しは歩みを進められていると思っています。

僕は学校で先生に落ちこぼれと言われたことがありますが、
正直学校で落ちこぼれていようが、「落ちこぼれた」だけなんです。
死んだわけじゃないです。

落ちてこぼれた先には地面が広がっていて、また別の場所に移ってやりたい事を努力すれば良いだけです。
僕はそう思って今まで生きてきましたし、色々な方法があると思います。

僕はまれにどうして人間の脳みそはリットル数が多いのか考える事があります。
それはたぶん体に秀でた能力が無いからです。
チーターの様に走れないし、猿のような腕力もない。
だから生きるために死に物狂いでコミュニティーを発明したはずです。

先祖の最大の発明品を生かさない手はないと思います。
だから将来の夢はコミュニティーを作ることなんです。

あなたはどう思われますか?

2022/9 山本紘彰

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