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悪者がいないという地獄(後編)

母親が子を殴り、人格否定しながら育てた場合に、「でもお母さんもお母さんで大変だったから仕方ないじゃない」が成立するのかについて、子供たる私の考えを書く。

なぜその問いにたどり着いたかは前編に書いたのでよかったら見てください。

さて、まず、お母さんも大変だったのか、事実から書いていく。多分大変だったんだと思う。色々な事実から、恐らくだが、母の生育環境にも何らかの問題があったのだろうと思う。

また、父と結婚したのちは、祖父母との折り合いは決して良くなかったし、家のことを当然のようにこなしながら仕事もしていた。私が生まれてからは母方、父方の祖父が相次いで闘病の末亡くなったが、どちらの世話もしていた。

だから、大変だったかというと、多分、大変だったのだろうという結論になる。では、大変だったから仕方がないのか。

10年前、そんな事が許されてたまるかと思っていた。嫌なら産まなきゃよかったし、産んでから気づいたなら他の手もあった。しかし母は私が欲しい愛のようなものをたまに、本当にたまに気紛れに与え、それ以外の時は「あなたのためだから」と言って厳しく行動を制限して手元に留め続けた。逃げられないようにした上で毎日人格を否定する言葉を投げつけてくるなんて、どんな理由があっても許せない。そう思っていた。

でもそのうち、母も一人の人間に過ぎないのだから、そこまで求めるのは酷なのかもと思うようにもなった。私は可愛げのある子供ではなかっただろうし、もしかしたら自分が育てられたのと同じように私を育てただけかもしれない。見ている限り、母と母方の祖父母との関係は決して悪くないし、母が両親から「愛されて育った」と思っているなら、その育て方を否定するのは困難だろう。

母は自他境界が曖昧なところがあり、私は母と同じように感じることを強要されるのだが、それも母は悪気があってやっているわけではない。例えば母と同じ料理を口にした時、私が「美味しい」と言って、母が美味しくないと思っていた場合、「こんなものが美味しいと感じるなんてあなたはおかしい」と詰られるのだが、母の世界では自分の娘が自分と同じように感じ、考え、行動するのが当然であるというだけで、意地悪で言っているわけではない。

母もただの人間で、悪気があったわけではないから仕方がない。そう思うと同時に、私は母に愛されていたのかも知れないという気づきが生まれた。私にとって母はすごく不可解な存在で、私をスポイルすることばかりするくせに、私に異様に執着する。母はそれしか愛し方を知らないだけで、私が憎くてやっているわけではないのかもと思った。

この考えは一つの救いで、これをきっかけに自分の生存を受け入れられるようになった。これまでは親にすら愛されなかった私は無価値な人間なんだと感じていたが、その虚しさが徐々に晴れて、自分を自分で台無しにするようなことは少しずつしなくなった。付き合う人に関しても、それまでは母と同じように私を否定する人の近くに好んでいたが、以降母と同じ匂いがする人には近寄らなくなった。

以前は、自己評価がマイナスだったので、私の価値を否定する人の言葉に納得感と安心感を覚えていた。私のことを評価したり大事にしてくれる人の傍は、あまりに自己評価とのギャップがありすぎて、騙されているんじゃないかとか、勘違いしてるんじゃないかとか、本当の私がバレたら捨てられるんじゃないかとか考えてしまい長居できなかったのだ。

一度自分は無価値ではないと思えるようになると、起きたことや言われたことを素直に積み上げていけるようになった。バケツの底に空いていた穴が埋まったような感じだった。

これで母のことは片付いたと思っていた。しかし事態はもう少し複雑で、やはりまだ母と会い、母のルールで愛情表現たる何かをされると怒りや悲しみを感じる自分がいた。だが、母のせいではないので仕方がないという見地に立つと、そこで怒りを感じるのはナンセンスのはずだ。なぜならそれが母の愛情表現のやり方なのだから。

その上、私のなかにある一般道徳が「育ててもらった親に怒りを抱くとは何事だ」と私を責める。母を許せないと明確に思っていた頃は意識的に眠らせられていたのだが、母のせいではないので仕方がないと考えるようになってぶり返してきた。

このギャップには相当苦しんだ。母が悪いわけではないから母を責めてはいけない、私まで母を責めたらかわいそうという気持ちと、実際母を目の前にしたときに感じる黒い感情との乖離。自分の中で得た答えと、自分の感情の矛盾を直視したくなくて、何年も母と会わず、連絡も無視する期間が続いた。LINEの通知や着信履歴があると2、3日胃が気持ち悪くなった。

会わなければ楽かというとそうでもなく、常に、不器用ながら自分を愛してくれた母へこんなことをしていていいのかという罪悪感と闘っていた。それがまた母から言われた数々の言葉になって、夫や世間との関わりのなかで少しずつ回復していた自分の人間性への自信を蝕んでいく。時には自ら価値のない人間であると証明するようにわざと人を裏切るようなことをしたりして、一進一退の状態が続いた。

今はそれから少し変わって、母の土俵から降りる事ができるようになった。たとえば母に「〜〜だなんてあなたはおかしい」と言われた時、以前はおかしくないと反論したい気持ちが怒りとなっていた。逆に言えば、母が私をおかしいと断じることを受け入れてしまったら、私はおかしいことになってしまうと恐れていた。今は、お母さんはそう思うんだね、私は私の感じ方をおかしいと思わないから意見が違うんだね、と受け止められるようになった。本当の意味で、母と私は別の人間なんだと捉えられるようになったのだと思う。

各論になるが、おかしいかおかしくないかという判断もナンセンスだと感じるようになった。意味があるのは、たとえば食べた料理を私がおいしいと感じたことであって、それを誰に批判されようと、仮にその感覚が世間とずれていようと、何の問題もない。価値判断を何か一つの「正解」に収束させる必要はないし、私が批判されても訂正するために無理に戦う必要もない。

だから、私が、悪気がなかったとしても母からされたことを許さなくても問題ない。

母と自分を切り離して、ようやく自分という人格を手に入れた気がする。自分の感じているままに感じ、考えているままに考えることは、怖いけど、手応えがある。そうでないときは何をしても現実からどんなフィードバックが返ってきても他人事だった。だから大事にしていた人に酷いこともできたし、つまり誰かを大事になどできてなかった。

自分の人生を生きるということは、関わる人への責任を負うことなのだなと思った。これまではそれを放棄していた。どうせ私なんてと言って、自暴自棄な行動をとりながら、関わる人たちをスポイルしていたのだろう。

冒頭の「でもお母さんもお母さんで大変だったから仕方ないじゃない」が成立するのかという問いに対する答えは、母も母で大変だったから仕方ないとは思うし、母は私のことを愛していたと思う。でも私は母のしたことを許していないし、そのことは誰からの断罪も評価も受けない。悪者がいないことと、悪者ではない人に怒りを抱いてはいけないことは全くもってイコールではない。これが10年かけてたどり着いた私の答えだ。



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