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シロとヘリコプターペアレントと私

1.私の大きな賭け

アルコール依存症のシロとの生活で私は本当に精神がすり減っていた時期があった。

比較的どんなところでもポジティブ人間と言われて生きてきた私だったから、人間って環境が変わるとどんな人でもこーなってしまうんだなぁと学んだ時期だった。

生きてる意味が正直わからなくなってきた。自分が何のためにここにいるかもわからないし、色んな理由で死にたい。誰にも理解してもらいたくないし、してほしいわけじゃない。自分がずーっと前に決めた事わかってるのに自分でもイライラする意味がわからない。理解されたい人に理解されないのが辛い。全部自分で決めた事やのに、こーやってグチグチ言ってる自分がキライ。性格悪い自分が嫌い。他人を許せない自分が嫌い。負けず嫌いな自分が嫌い。こーやってこだわってる自分が嫌い。そのことを認められない自分が嫌い。(過去の日記帳より)

その頃は、シロが毎日お酒を浴びるように飲んでいて、半年たたないうちに約70万円ぐらいがお酒だけに飛んでった時期だった。その頃には私がせっかく結婚式や新婚旅行のために貯めていたお金も既に全部お酒に消えていた。お酒用のお金を渡していたわけではなかったけど、タンス貯金や貯金箱のお金を気が付かない間に全て抜かれていた。気づいた頃にはもう時すでに遅し…なくなってしまった私のお金よ…どこからか戻ってきておくれ(T_T)笑

ちなみに、半年でなくなった70万円はシロの退職金だった。

でも、その時には既にシロの両親と同居していたし、こんな時でも運よく前みたいにシロの世話+住むところや食べるもののためにお金を稼がなくてよくなっていたから、とりあえず、シロが稼いだお金はこれを最後にシロに好きなように使わせようと思って何も口出ししないようにした。

それでも、やっぱり目が覚めたらお酒を飲んでフラフラで、出かけるのも億劫になっているから家から出たがらないシロを見ていると本当に辛くて…病院に運ばれる直前なんて毎日毎日朝から晩までお酒を飲んでは吐くの繰り返しで…それを見ているのが辛かった。それがその時シロがしたかった事だったから…というか、シロの脳が欲していた事だったから仕方なかった。毎日吐いても吐いても、シロはお酒を飲みたがっていた。何がそんなに辛いのかその時はまだ理解できなかったけど、シロにとってはお酒がその時の生きのびるためのツールだったのだ。私自身、それを見るのが辛かったけど、これはシロの戦いだから私はただ傍で見るだけしかできなかった。

ただ傍で見るといったのは、依存症患者に「やめなさい」と言っても通用しないから。「やめなさい」といったところで、それは依存症患者のストレスでしかなく、それが理由で引き続き依存行為を加速させるのである。だから私は何も言えずただ傍で見るだけしかできなかったのである。

その頃の私は、シロのアルコール依存症発覚後5年目にしてようやくカウンセリングの先生からも色々と学び、依存症という病気にしっかり向き合おうとしていた。とりあえず、1年間シロの全部を受け入れて、シロの心を全力でサポートしよう。だから、本当にシロがやりたいように、とことんやらせてあげよう。そう決めたから・・・今までは、何かが理由でお酒を飲んでいたシロ。私が怒ったせい、社会が悪いせい、国が悪いせい・・・飲む理由なんて何でもよかったシロ。でも、シロはシロなりに、自分で人生の選択を出来ないことについて必死に知らせようとしていたのかもしれない。(実は、自分の人生の選択を自分でできない理由には、シロの両親が大きく関係していたのだけれど・・・)

だから、本当にこの1年は全部シロの希望通りにしてみることにした。なんでもシロに決めさせて、私は何もできないフリをして生きてみた。私自身ぶっちゃけ、変な意味で頑張るのをやめたのである。それまで私は頑張って仕事して、シロがお酒で仕事できなくなったから私がお金稼いで、シロがお酒でつぶれてるから、家事も全部必死で頑張って、シロのお世話も頑張ってしていた・・・全部頑張って生きていた。でも、それは結果シロとの幸せにはつながらなかった。シロがお酒に逃げが原因のひとつは、私が忙しすぎてシロと一緒にいる時間がなくて「寂しかったから」だった。依存症の根本はもう少し別のところにあるんだけど、お酒が酷くなったスタートがこれだった。私は何も知らなかったとは言え、これを聞いた時はショックだった。

私が頑張れば頑張る程シロに負担をかけていて、シロが寂しい思いをしている時、シロの気持ちに気づけなかったから、今回は全力でシロの隣にいてあげようと思った。

だから、今回は本当に私にとって、人生最大の大きな賭けでもあった。

シロの両親と同居しだして、シロの家族を見てから少しずつシロのお酒を飲む原因が見えてきたような気がした頃。見えたからこそ色んな葛藤が私の中であったのが辛かった。どんな時でも寝れるのが特技だった私が、その頃は寝れない夜が続く事があった。寝たいのに、疲れているのに寝れないって感じだった・・・まさか自分がこんなことになるとは思いもしなかった。


2.ヘリコプターペアレント

シロの両親はいわゆるヘリコプターペアレント。超がつくぐらい過保護な親だった。シロと私が二人で生活していた時、シロにお酒を飲むお金を渡さないでくださいと頼んでも、シロにお金を私続けていた親。その結果、両親の元にシロを送り返す事になった・・・

私も覚悟はしていたけど、まさかこれほど酷いとは思わなかった。同居しだしてからの、シロの両親のヘリコプターぶりはこんな感じ…

・私とシロが出かけている最中に、私たちの寝室や個室に勝手に入って隅から隅まで(たぶん引き出しの中とかも)チェックする。

・私もシロも成人してるけど、どこに出かけるか必ずチェック

・家族のイベントには強制参加

・人の日記も勝手に読む

・両親のお願い事(お手伝い)は絶対

・両親の希望が通らない場合、頼んでいないのに、プレゼント攻撃で私とシロの罪悪感をアップさせて、両親の希望を通そうとする

こーゆーことについて私は予想もしていなかった。ちなみに私の両親は放任主義というか、私のプライバシーを尊重してくれる親だったから、こんなことを心配する必要はなかった。だから、同居しだしたとき、まさか引き出しの中や日記の内容までチェックされているなんて考えもしなかった。

ただ、シロのお母さんになんとなく、私たちがいないときに私たちの生活スペースに来ているかを聞いてみたところ

「シロの部屋には入っているけど、お酒を隠していないか確認するためよ。それに、家族なんだから、隠し事なんてしなくて大丈夫よ」

ということだった・・・

家族だけど、隠し事とかそーゆーんじゃなくて、プライバシーは尊重してくれと正直思った。笑

この時私はシロのお母さんに

「家族に隠し事しなくていいのはわかってるけど、私はそーゆー風に育っていないから、もう少しプライバシーを尊重してください。私は元々パーソナルスペースが大きいので、人に個人的なものを見られたり触られたりするのは不快に感じるんです。ちなみに私の両親はこんなことしなかったけど、両親は私の事を信頼してくれているし、私も両親の事を信頼して尊敬しています。」

とはっきり言ってみた。笑

ちなみに、両親が私たちの生活スペースを勝手にのぞき見してると分かったのは、シロのお母さんが私の前でうっかり「そーいえばこないだシロたちの冷蔵庫みたらパンパンだったゎ」と笑い話をしてしたから。それから、私はもしかしたらと思い、色んな所に仕掛けをしてみることにした。デスノートの主人公が自分の部屋に色々仕掛けていたように、私も色々仕掛けてみた。笑

すると、私とシロが帰ってきた時には全部私の仕掛けが作動していたのである。そう、シロの両親がしっかり部屋のチェックをしてくれていたのである。笑

この後、シロに両親が勝手に寝室に入ってきてるかもしれないということを話してみたところ、

「そーかもね。僕が子供の頃から、お母さんは僕の棚の隅から隅まで毎日チェックしてたよ。嫌だけど…でも、もー慣れた。」

と寂しそうに話してくれた。この事を聞いた私は「これ普通じゃないから。ホントにこれ普通じゃないよ。」とシロに話し、対策を打つことに決めた。でも、シロは私に「どーせ無理だよ。いつもお母さんに邪魔されるから」と言ってきた。

シロによると、シロはこれまで兄や妹が上手く両親の目を盗んで人生を生き抜いてきたことにより、両親の目が全て自分に向いてしまったことについて話してくれた。

小学校の頃から大学に入っても、毎日お母さんが部屋を隅々までチェックしていたこと。中学や高校に上がっても、友達のところに遊びに行くと言えばお母さんが必ず送り迎えをしたり、大学で一人暮らしをしたいシロの希望を叩き壊し家から通える大学に進学させるようにシロに仕向けたりしたこと・・・でも、シロは「両親を傷つけたくなかったから、両親の希望を聞いた」と言っていた。でも、それはどこか自分にも言い聞かせているようでもあった。

シロの両親と話していて感じたのは、「言っても通じねー」ということ。元々の考え方が違うから、理解してもらうのにはかなり時間がかかることがすぐに理解できた。それから、私も結構いい大人だけど私に対して、小中学生相手のようにいつも話してきた。私はそれにいつも違和感を抱いていた。

そこで私が最初にしてみたのは、私とシロの寝室、個室のドアを全て鍵付きにすること。それも両親に話さずこっそり勝手に変えた。笑

鍵を付けた後、シロのお母さんには、シロのお酒を心配するのはもちろんだけど、それ以前にまずシロに対してプレッシャーをかけて欲しくないから、私を信じて1年ぐらいはそっとしておいてほしいと伝えた。遠回しにシロと私のプライバシーを尊重してくれという意味も込めて・・・

面白いことに、シロの両親は家族に問題があるとき、それを家族で話し合ったりしない両親だった。だから、私がドアにカギを付けた時も、特にそれについて話したりはしてこなかった。でも、私からすると変な気持ちだった。お互いに知っているのに話さない。問題があるのに話し合って解決しないなんて、本当に変な家族だと思った。たぶんこーゆーところも、シロの依存症に繋がっているのかもしれないなと思ったりした。

シロがある時私に、自分が大学入学後、ちょっと遅めの反抗期で、両親に黙って顔中にピアスをした話をしてくれた。鼻と口と両耳にピアス・・・その時、両親は驚いていたけど、何も言わなかったらしい・・・笑

まだドアにカギを付けていない時、毎日家を空ける時にお腹が痛くなった。それは、私とシロがいないときに両親が私たちの部屋に入っているかもしれないと考えると気持ち悪くなったからだ。だから、鍵のアイデアが浮かんだ時、私はできるだけ早くホームセンターに行って鍵付きのドアノブを買いに行きたかった。

鍵を付けてからは、出かけるときに各部屋の鍵を閉めるのは正直面倒だった。でも、心の平穏のためと考えると大したことない犠牲だった。

この経験から学んだのは、「親しい仲にも礼儀あり」ということ。

どんなに親しい間柄でも、それが家族であっても、お互いのプライバシーを尊重する事は大切だと言うこと。子供の年齢にもよるけど、ある程度大きくなってきたら、親だからって全て子供の事をチェックする必要はないし、子供は子供で親だからって遠慮することなく、嫌な事は嫌だとはっきり言えるような、そんな関係が理想だと思う。

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私は今もまだカウンセリングに通っています。カウンセリングを通して、まだまだ勉強したい事が盛りだくさん。このnoteの投稿数が増えた頃、文章が上手くかけるようになったころに、私がカウンセリングで学んだ事もご紹介できればと思っています。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

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