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私がやってみて生きやすくなったこと

1.共依存の始まり

「自分軸で生きる」「自己肯定感」最近はこんな言葉が流行っていますが、シロが浴びるようにお酒を飲んでいた時の私を振り返ってみると、その軸がかなりズレていたなぁと思います。

元々、自分の軸はしっかり持っていたはずの私。シロもお酒でダメになる前、まだ二人が初々しい時…自分の好きな事に没頭し、いつでも行動的な私だから好きなんだとシロが言ってくれていた頃の私…

シロのお酒が酷くなってから、その自分軸がかなりズレまくっていました。

面白い事に、依存症の家族は「共依存」であることが多いらしい。

共依存
共依存(きょういそん、きょういぞん、英語: Co-dependency)、共嗜癖(きょうしへき、Co-addiction)とは、自分と特定の相手がその関係性に過剰に依存しており、その人間関係に囚われている関係への嗜癖状態(アディクション)を指す[1][2][3]。すなわち「人を世話・介護することへの愛情=依存」「愛情という名の支配=自己満足」である[4]。共依存者は、相手から依存されることに無意識のうちに自己の存在価値を見出し、そして相手をコントロールし自分の望む行動を取らせることで、自身の心の平穏を保とうとする[5][3]。(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)

私が「共依存」と言う言葉を知ったとき、シロのお母さんはまさにその通りだった。特にこの部分…

共依存者は、相手から依存されることに無意識のうちに自己の存在価値を見出し、そして相手をコントロールし自分の望む行動を取らせることで、自身の心の平穏を保とうとする

シロのお母さんは、こっちが頼んでもいないのに、何でもしようとしてくる。私も成人しているのに、私の洗濯物を勝手にしようとしたり、こっちが「大丈夫」だと100回ぐらい言っているのに、何度も「今日の晩御飯は?」「食べるお金ある?」「交通費ある?」「何かいるものない?」「お母さんが買ってこようか?」とノンストップの質問の嵐。

反対に、私はこういう扱いに慣れていなかったし、自分の事は自分でするのが当たり前の家庭で育ってきたので、いつも「今は大丈夫だから、助けが必要な時はすぐに声をかけます。」と返事をしていた。でも、日々の生活でそれ程助けが必要な事はなかったので、少しシロのお母さんの事を放置していると、お母さんは私とシロの前ではあからさまに不満そうな態度を見せてきた。

それから、シロのお父さんは、人とのコミュニケーションに難ありの人だった。いわゆるKYな人。私はいつもシロのお父さんのジョークは理解できず笑えなかったし、話の内容はいつも、よくわからない仕事での機械の事とかだったから、それ程真面目に話を聞いてなかった。(笑)すると、お父さんはよく私とシロの事をバカにしてきた。そーゆーのを見たときに、すごく失礼な人だと思ったけど、私はそれすらもスルーしていた。

同居生活で両親を観察してみたものの、こんな環境+両親からのガチの監視下で毎日生活を続けていると、不思議な事に段々おかしくなっていった事にも気づけなかったのです。

おかしくなっていったというのは、段々と自分に自信がなくなっていったり、今までの自分が間違っていたのかな?と自問自答しだしたり、自分への価値が見いだせなくなってきていたということ。

シロの両親と同居しだした時、1年間は必死にシロとのアルコール依存症に向き合うと決めたから、私は仕事も辞めていて、外との関わりがなくなっていた。

それから、シロのお酒の生活のせいで、「シロをお世話するのが当たり前」みたいになっていた。いわゆる「共依存」の始まり・・・

自分に段々と自信がなくなってきた事もあって、シロに何かあると、だんだんと自分を責めるようになっていた。それから、シロも「自分は悪くない」の一点張りだから、そーなると私が原因か・・・的な・・・

でも、そんな私を救ってくれたのがカウンセリングの先生だった。

2.自分軸の大切さに気づく

先生はある日、シロの体調が心配だからと、シロを一人ぼっちにできなくなっていた私に

「シロ君の事は置いといて、ノンちゃんは自分の為に今どんな事したい?」

と質問した。

以前の私だったら、即答できた答えだと思う。趣味はいっぱいあったし、やりたい事、夢も沢山あった。

でも、その当時の私は、先生にこの質問をされたときに頭が真っ白になった・・・

「分かりません…」

私はそう答えた。

その後から、カウンセリングの先生と一緒に、もう一度自分に軸を戻す訓練をするようになった。その効果が段々と出てきた頃、私の中で何かが吹っ切れたのか、ベットで私の隣に寝ていながらも吐き続けているシロに対して

「もう限界!こんなゲロまみれの部屋で寝れるかーーー!私は別の部屋で寝ます。もしくは、あなたが自分の書斎で寝てください。」

と言った。笑

それから、シロが何処で吐いていても掃除するのを辞めて「私はシロのゲロ清掃員じゃないから、自分のものは自分で処理してね」と言うようになった。すると不思議と、今までそこら中でゲロゲロしていたシロが、吐く時の範囲を狭めて、家じゅうにゲロの匂いが散漫しなくなった。それに加えて、私はシロの洗濯物もしなくなり、私の洗濯物は私が、シロはシロで自分の洗濯をしてほしいと言うことも伝えた。とりあえず、シロの世話をするのをきっぱり辞めたのである。

この時、私がシロに対してお酒の事で不満がある時はオープンに抗議をするようになっていた。そんな中でも、シロと話す上で私が気を付けていたのは、

「絶対にシロの人間性を否定しないこと」

例えば「あなたはお酒ばっかり飲んで最低な人間だ!」とか「お酒飲んでるあんたなんて嫌い!」とかそーゆーことは言わないように、とにかく細心の注意を払った。

その代わり「私はお酒が憎い。シロの健康を奪うお酒が嫌い。」「私の優しいシロを病気にしたお酒なんて最低だ!」と言う風に、私の敵はシロではなくあくまで「お酒」だということを強調した。

今思い出すと、お酒の瓶に向かってイライラを吐き出した事もあったし、それはそれで滑稽だった。(笑)ある時は、お酒の瓶に向かって

「お酒である君のせいで私はこんなに苦労してるんだ!お酒のバカヤロー!!!」

と、ありったけの怒りをぶつけたこともあった。

喧嘩する(した)時、私が気を付ける点、言い方など
・シロを責めずに「私はお酒に怒っている」と、怒りの矛先をお酒にする。
・お酒がないと楽しく過ごせるのに、「お酒が障害」で私がイライラすることを伝える。
・お酒のお金で旅行できるし、二人の楽しい思い出がたくさん作れる。
・お酒がなかったら、こんな風に喧嘩してないし、私もイライラしてなかったはず。
・お酒のせいで同居する羽目になった。(これはシロが嫌だった事)
・お酒にお金を使ってなかったらいい所に引っ越しできたはず。
・とにかく私とシロの間にある障害は「お酒」だと言うことを理解する。それから、絶対にシロの人格は否定しないこと!
(過去の日記帳より)

それから、「私は価値のある人間だから、私にはいい人生を生きる権利がある」とか「私はゲロまみれの生活をするために生きてるんじゃない!」というようなことを、シロに対して常に言うようになった。でも、あんなに辛い思いをしても何故かわからないけど、本当にシロの事は愛していた。だから、シロを思う気持ち、シロが私にとって本当に大切な人である事は毎日忘れず伝えていたし、だからこそシロに早く健康になって欲しいということも伝えた。それから、シロが何かしてくれた時は、意識して必ず感謝の気持ちも伝えるようにした。

でも、「私の人生は私のもの」「あなたの人生はあなたのもの」ということを、本当に理解できるようになったのはこの頃からだったかもしれない。

これは別に、いわゆる「自分自分で他人はどーでもいい」とか「自己中」というような事ではなくて、他の人を幸せにするためにはまず自分が幸せにならないといけないという考えからだった。

芸能人のりゅうちぇるさんが、いつかのYoutubeの動画で言ってたけど、愛情をコップに入っている水に例えて、「自分のコップに水が溜まって、それが溢れて初めて人を愛することができる」というような話をしていた。自分のコップが愛で満たされていないのに、他の人を愛することなんでできない。まさに、その通りだと思った。

(8分16秒~10分30秒が愛とコップの話しです)

でも、まずは自分を大切に、幸せにしてあげる事を始めてから、自分の周りの色んな事が本当に上手く回り始めて、「ゲロを吐いてるその人生は、私の人生じゃなくて、それはシロの人生なんだからね。シロはそれで幸せなの?」と言うこともシロと話すようになった。すると、シロの顔つきがいつしか、いい意味で変わってきたような気がしていた。(相変わらず毎日ゲロを吐いていたけど・・・笑)

そんなある日、まだ薄暗い朝の5時頃、シロが私を叩き起こして一生懸命伝えてくれた。

「僕、このままじゃ嫌だ。お酒辞める!辞めたい!!!」

それは、私が自分の軸を取り戻し始めてから、数か月が経った頃だった。

一昨日シロが、朝いきなりやってきて「お酒辞める!」と言ってきた。「またまたぁ」と思ったけど、シロの顔見たらいつもと違ったので、話を聞いてみた。そしたら、「毎日咳して辛い。吐いて辛い。こんなままで生きていたくないから、健康になる。」ということだった。「リハビリ施設」って響きにシロは抵抗があるようだったから、とりあえず「病院」という表現で話していった方がよさそうだな。「病院でしっかり治療しよう」って(過去の日記帳より)

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これは丁度シロが断酒をする1年程前の記録です。ここにたどり着くまで、私がカウンセリングをしたり、シロの依存症に真面目に取り組み始めてから、実は1年半ぐらいかかりました。でも、シロの両親が同居をさせてくれたおかげで、私はシロの治療に専念できたので、色々あったけど、今は本当にシロの両親に感謝しています。シロの両親とはまだまだ乗り越えていかなければいけない壁は沢山あるけど、自分軸の大切さを理解した今は、前よりも格段に自信を持って彼らに接する事ができています。

「自分軸で生きる」は、本当に人生が生きやすくなるコツだなと痛感しました。

今回も私の投稿を読んでいただき、本当にありがとうございます。



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