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人生旅録 人との出会いは旅のスパイス

ワーホリ中初旅行

 私は現在、オーストラリアでワーキングホリデー7ヶ月目をやっている。最初にたどり着いたByron Bayで6ヶ月を過ごし、この後はいわゆるFarm workのために隣の州にお引越しが決まっているのだか、せっかくなので新しい仕事を始める前に3週間のお休み期間を設けて旅行に出ることにした。行き先はメルボルンとニュージーランド。どちらも念願である。

メルボルン到着

 メルボルンは、6年前に一度来たことがある。英語を話せるようになるよりも前で、人生初の海外旅行だった。たったの5日間の滞在だったけど、当時は結構楽しんだ記憶があって、そのあと留学を経て英語を話せるようになってからは、「初めて来た海外」であるメルボルンを再訪することは、バケットリストの一つであった。オーストラリアに1年間滞在すると決めてからはずっとメルボルン旅行のタイミングを伺っていて、ついに日程が決定してからは、相当楽しみにしていたのだ。
 空港に着いてテンションは最高潮、二階建てバスの一番前ど真ん中に座り、洋楽バラードに浸りながら市街地まで揺られること1時間。見覚えのある地下駐車場でバスを降り、見覚えがあることに感動して、さらなる感動を期待しながら街に出た。

再会と違和感

 あれ、なんか違う。一瞬で感じた。いや、街の形は確かに同じなんだけど、自分の反応が想定と違うのだ。もっと、うわぁぁ!!って、感じるはずだったんだけど、いまいち感動が浅い。というか、感動まで辿り着けない。

空が狭い。
広告がうるさい。
音もにおいもごちゃごちゃしてる。
人が多い。

みんな颯爽と歩いていて、
私だけ時の流れに追いつけないみたいで、
空気が澱んでいる気がするのに、
うるさいのに、
恐ろしく世界に温度がない

私ここでは強くいなきゃって、
こんなこと前も感じただろうか。

まあでも確かに見覚えはある。
ああ、こんなだったかも知れない。
6年ぶりって、
なんかよくわかんないこともあるんだな。

 感動の前に湧き上がってくる感情の多さに困惑しながら、それでも覚えている景色には再会のあいさつをしながら、消化しきれない気持ちを抱えたままホステルの部屋に着いた。

幸せな日曜日

 翌日の朝は早く目が覚めたから、私以外まだ全員寝ている10人部屋を静かに出て、朝ごはん探しがてら散歩に行った。ピンと来るものがなくて、ブラックコーヒーだけ買ってホステルに戻ると、同部屋の男の子が朝ご飯を食べているところだった。ホステルに着いた昨日の夕方、唯一部屋にいたのが彼だった。私が部屋に入って数分、発した言葉はHelloの一言だけなのに、1発目から「日本人ですか?」と鋭い質問で話しかけてきた洞察力のすごい彼は、私と同じでメルボルンを再訪中。今日が4週間の滞在の最終日だと聞いていたから、場所や食べ物のおすすめだけ聞いておこうと思って話しかけたのだが、話が弾んだ上に彼の今日のプランが魅力的だったため、一日同行させてもらうことにした。

 彼が行きたがっていたのは、メルボルンの郊外にあるクロワッサン専門店。行きの飛行機でたまたま隣に座った、メルボルン住みのお姉さんがおすすめしてくれたらしい。クロワッサンとコーヒーだけをテイクアウトで売っている、本当に小さな小さなお店。近くの芝生に座って食べたクロワッサンはもうそれは絶品だった。
 そのあとは休憩も兼ねて彼のお気に入りのカフェで追いコーヒー。どこか昔懐かしい感じと、洗練されたスタイリッシュな感じが共存した雰囲気の、素敵な場所だった。
 最後に行ったのは街の中心のマーケット。日曜日の昼は特に賑わう屋台でモモと呼ばれるネパール餃子を食べて、気になった本屋さんに入り、有名な豆屋さんで締めのコーヒー。
 メルボルンの街への違和感なんて忘れるほど、なんとも幸せな一日だった。

スパイス

初めましては面白い

 彼と、素性を全く知らないお互いのことを少しずつ話しながら過ごす一日は、予想をはるかに超える楽しさだった。たったの一日で私が知り得た彼は、以前オーストラリアでワーホリに挫折したあと、旅行を仕事にしたくて船乗りになり、ワーホリのリベンジにこれからニュージーランドに行く、コーヒーとカメラが好きな、話し上手の聞き上手。クルーズ船でカメラマンとして生計を立てていたから、船が通る世界のあらゆる場所に行きつけのコーヒー屋さんがあって、コーヒーは飲む専門だったのが気づいたら淹れるようになっていて、旅の軸はコーヒーで、将来はカフェを開きたいなんてロマンたっぷりの話を聞いて、コロナについてとか、母国についてとか、メルボルンを再び訪れてみた感想とか、を話して、私の話もたくさんしたと思う。自分がどんな話をしたかはもうあまり覚えていないけど、年の差を全く無視して対等に話をしてくれたことがすごく嬉しかった。彼の生きてきた世界には私の知らないことがたくさん詰まっていて、私の生きてきた世界もきっと彼の知らないことであふれていて、時間が許す限りでお互いそれを共有しようとする1日はとても濃密で、本当に面白かったのだ。

誰かと街を歩くのは面白い

 そしてもちろん、人と街を歩くのは面白い。自分一人では絶対に行かないであろう場所に行けたり、想定外のアクシデントに遭遇したり、同じ景色に対する自分とは違う考え方が聞けたりする。
 カフェイン耐性の弱い私が一日に4度もコーヒー屋に行くことは後にも先にもないだろうし、35mmのレンズ越しに世界を見たの初めてはだったし、自分では街のコインランドリーの多さには気づかなかっただろう。いくら私たちがどちらもメルボルンの公共交通機関の複雑さに着いていけない徒歩好きだったとはいえ、本来徒歩44分で着くはずのクロワッサン屋さんにたどり着くのに2時間半かかるほど方向音痴だとは思わなかったし、メルボルンの郊外ではコンビニやガソリンスタンドでさえトイレを貸してくれないのは大誤算だったし、屋台でモモにかけたMILD SAUCEは口から火が出るんじゃないかってほど辛かったけど、その全部に笑えたし、全部全部良い思い出だ。1人のときは考えが自分に向くから面白いけど、誰かと一緒にいるときは刺激が増えるから面白い、というのが現状での私の見解。

旅の報酬

 たまたま突然出会った誰かに、よく知りもしないのに1日一緒に行動しませんかなんて、言えたのは旅の途中だったからだと思う。初対面かつ、この先長く続く関係でもないだろうから言えてしまうことは意外とある。「メルボルンが思ってたのと違って」なんてポロッとこぼしてしまえたのもきっとそのせいで、「俺もそう思ってた」が返ってきたのもそのせいで、自分の過去の話も、夢の話も、倫理の話も偏見の話もできてしまったのはやっぱりこの先いつ会うかもわからない相手だったからだと思う。
 でも、旅の途中だからと言って、初対面でそんな話ばかりして打ち解けることが誰とでもできるわけではないような気もするから、やっぱりこれは貴重な出会いだったんだろうな。
 なににしても、たった1日で、いつかもう一度会いに行きたいと思える、世界のどこかで戦うお互いを応援しあえる友達が、できたことに変わりはなくて、温度がないと思ったメルボルンの街歩きがこんなに楽しい思い出になっているのは彼のおかげで、私のメルボルン旅行に少しの刺激とたくさんの彩をくれたことに感謝がとまらないってことなんだ。


 人との出会いは、旅のスパイスなんて書いたけど、もはやスパイスどころじゃなくて、出し汁とかって言っておくべきだろうか。

35mmのレンズで撮ってくれた写真
If ever this reaches you, all wanna tell you is
thank you and see you again;)

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