見出し画像

「買春」というグロテスクなエコシステム【私たちは『買われた』展・考察Ⅱ】

「お金で快楽が買えるなら安いもの」
「対価を渡している以上、どんな要求でも同意してくれるはずだ」
「お金を払えばお客様であるこちらが上、何をしてもバレなければ問題ない」
「ただの需要と供給、都合が悪くなれば捨てても構わない」
「こちらも快楽を味わっているなら、向こうも快楽を味わっているはずだ」
このような間違った認識・歪んだ価値観によって、多くの少女たちが日々買われているのです。性暴力被害に遭っているのです。トランスジェンダーも例外ではありません。

「私たちは『買われた』展」盛岡にかけた想い

これまでの議論をまとめよう。
まず第一に、売春は存在しない。買春という男たちが主体となって実行される悪徳と、日本社会に埋め込まれた買春を支えるエコシステムだけが、実在する。そのシステムに多くの女性たちが、LGBTQが、男性たちまでもが、巻き込まれ苦しんでいる。
第二に、買春する男たちによって、多くの少女たちが性被害に遭っているだけでなく、深刻な人権侵害にも遭っている。暴力的に名前を奪われ、暴力的に「JK」という記号に押し込められ、消耗品として消費される中で暗く深い虚無感を植え付けられ、しかも虚無感から逃れようとすればするほど性産業に依存していく。10代の少女たちが「買われる」現実を知ろうとするなら、性暴力や搾取、ストーカー被害といった目に見える被害だけに着目するのでなく、現代の奴隷制度というべき日本の性産業の構造的暴力を直視する必要がある。
第三に、買春をする男たちは資本主義社会・性産業によって性的欲求を飼い慣らされてしまった男性たちである。女性の身体を「商品」として買うことに何の疑問も持たず、「JK」に代表される各種の記号に興奮するように社会から鋳型にはめられ、性産業によって性欲をコントロールされ尽くしている、つまり性産業に完全に依存してしまっているのだ。
これらのことを確認した上で、考察Ⅱではいよいよ社会に埋め込まれた「買春」というグロテスクなエコシステムそのものをそのものを考察してみたいとおもう。

慰安婦問題からの系譜としてのJKビジネス問題

買春文化は、何も「私たち『買われた』展」に登場する少女たちが生きた2010年代、そして今現在(2020年代)に始まったことではない。はるか以前から、全く同じような構造の問題が何十年も、何百年も前から幾度となく繰り返えされてきたにもかかわらず、社会悪だと認知されず(むしろ善いこととして奨励さえされてきた)、暴力であるとも認識されずに今日まで来てしまっている問題である。その代表例の一つが、従軍慰安婦問題である。
買われた展盛岡の運営コアメンバーの中にも、従軍慰安婦問題について日頃から関心を示しており、「買われた」少女たちと全く別のことではないと考えるメンバーは少なくない。私自身もその一人だが、その私ですら彼女たちの勉強量と関心の強さに対しては頭が下がるほどだ。ここではあくまで私個人の視点で、従軍慰安婦問題と「買われた」少女たちとの接点を探ってみたい。
結論から言うと、それが植民地主義イデオロギーがより色濃い形で運営されるか、それほどでもないかの違いがある程度で、買春のエコシステムという構造的暴力の点では何も変わらない。
買春を成り立たせているイデオロギーには様々なバリエーションがあり、一言で言えばそれらは本質的に等しく「女性嫌悪(ミソジニー)」を最終結論とする。代表的なイデオロギーを挙げておく。

  1. 男性優位主義

  2. 帝国主義・植民地主義

  3. 人種主義(レイシズム)

  4. 国粋主義(ナショナリズム)

  5. 金権政治(金権主義)

これらは全て、性差を「男/女」に固定し(性別二元論)、性愛を男女間に限定されたものとみなす(異性愛主義)権力を内包しており、その上で、「男が優位で女は劣位。女に人権など認めさせない」という価値観を再生産し続けている点で有害だ。
もちろん、少女を買う男たち全てが常日頃から男性優位主義者で、帝国主義者で、レイシストで、ナショナリストで、金権主義者であると、言ってしまうのはさすがに乱暴かもしれないが、よりミクロでポップな形で後継者ではある。

  • お金で快楽が買えるなら安いもの

  • 対価を渡している以上、どんな要求でも同意してくれるはずだ

  • お金を払えばお客様であるこちらが上、何をしてもバレなければ問題ない

  • ただの需要と供給、都合が悪くなれば捨てても構わない

  • こちらも快楽を味わっているなら、向こうも快楽を味わっているはずだ

買春をする男たちの多くはこういう発想で少女たちを消費しているはずだ。
買う男たちはまず「少女に金で言うことを聞かせ、望む行為をさせる」ことに慣れている。金に権力があることを十分に知り尽くした上で、それを濫用することも厭わない。どれだけエスカレートした要求だろうと、お金で目的の行為が買えるなら、彼らにとっては安いのだ。
そして、どんなに少女たちに向けて優しい顔をしようと、客であるこちらが上であることは絶対に崩さない。加えて、何となれば力づくでも言う事を聞かせられるとも、どこかで思っている。その点からも男であるこちらが上だと確実に信じてもいる。
そもそも、買う男たちが求める「快楽」とはどういう質の快楽なのか。性的欲求の発散だけだと思ってはいけない。これまで述べてきたような対等でない関係性で行われる性行為は、同時に支配欲の充足も入っていると見るべきだろう。
余談になるが、とある聖書の勉強会で、聖書の記述に「男と寝ること」を禁じた箇所を取り上げて、これは同性愛を真っ向から禁止しているのか、それとも別の文脈が存在するのか、という事を検討する講義に立ち会ったことがある。そこで講師が説明していたことには、どうも聖書が書かれた時代において、「男と寝ること」はイコール「戦争において敵方の勢力を屈服させるための行為」だということのようだ。そうなると、ゲイ同士の誠実な恋愛は聖書で特別否定されないことになる。と同時に、聖書は当初から支配欲に基づくあらゆる性行為を敵視していたことも窺える。
男は支配欲の充足のためなら男を強姦することもできる。いわんや、少女たちをや。ここに、植民地主義的発想やレイシズム的な価値観が複雑に絡みって温存されている様子を、何も従軍慰安婦問題だけでなく、今でもポルノビデオの一部のジャンルや、外国籍の女性たちが運営するパブに対する男たちの眼差しに見ることができる。

買春のエコシステム

引用元:ピンボール - Wikipedia

いよいよ、買春のエコシステムの全貌について記述する事を試みたい。
その前に、紹介しておきたいエピソードがある。
とある買われた展盛岡参加者から、こんな話があった。
「少女たちに『肉便器』という言葉を投げかけられるのが信じられない。どこからそういう言葉を思いつくのだろう」
私は「肉便器」という言葉が、その言葉を少女に投げつけた当の本人一人による思いつきではない事を知っている。おそらく、「陵辱モノ」(文字通り少女たちをレイプする描写に特化した作品群)と呼ばれる一部のハードコアポルノからの引用句であろう。
それが、買われた展の展示物の中に書かれてあった。彼女はそれを目にしてショックだったという。それはそうだろう。ここまで攻撃的で暴力的な、少女たちに対する暴言は、そうそう吐けるものではない。
にもかかわらず、少女たちに対して吐き捨てるように「肉便器」と言い放った大人がいる。それを生み出す構造は何だろうとその人との対話を通して考えた末に生まれたのが、買春のエコシステムはあたかもピンボールのような構造をしている、という考え方である。

ピンボールを遊んだことのある方はレトロゲーム好きか、ゲームアプリでやったことがあるという人だけかもしれないので、簡単に説明する。まずプランジャーというバネのついた装置で球を送り出す。そして重力に従って落下してくる球をうまくフリッパーで弾き返しながら、盤面についているターゲットやバンパーに上手に当てる。バンパーには得点が書かれており、より得点が高いターゲットに当てた人が有利になるというゲームである。
要するに、この場合の

球:少女たちや買う男たち
プランジャー・フリッパー:性産業を牛耳る経営者たち
ターゲットやバンパー等得点につながるギミック:少女たちのとっての報酬、買う男たちにとっての快楽

だとすれば、ある程度買春のエコシステムの構造の問題点が把握しやすくなる。
まず、大半の男達はアダルトコンテンツが網羅されたアダルトサイトや書店、個室ビデオ展等の空間に何度も何度もお世話になることによって性欲を飼い慣らされていく。第一のピンボールゲームだ。ターゲットやバンパーはこの場合アダルトコンテンツであり、アダルトコンテンツを買うことを通して「肉便器」という言葉を学習したり、自分の好みの記号=カテゴリーをあたかも自ら選んだかのように没入させられる。この、あたかも自ら選んだかのように没入しているが、実際には性産業によって選択させ、欲求を絶えず煽られている、という点が、買われた少女たちと買う男たち両者が「球」であることの所以である。
アダルトコンテンツは大半の男たちにとってアクセスが容易で、間口が広い。そのため、すぐに次の第二のピンボールゲームに流れ込むこともまた容易になっている。
第二のピンボールゲームは、JKお散歩だったりキャバクラ等、ソープランドやデリヘルと比較するとライトな装いをしている。ライトであるということは間口が広いということであり、第n番目のよりハードコアなピンボールゲームに移行するための動線になっていると考えて良い。
これは、『女子高生の裏社会』(仁藤夢乃、2014)から実際にJKお散歩で使われているというオプション表の一部を抜粋した。

指名料 ¥1000
ぷりくら1枚 ¥2000
こすぷれ ¥2000
頭なでなで ¥2000
あいあいがさ ¥2000
……
チェキ(1枚) ¥1000
チェキ2shot¥2000
チェキメッセージ+¥500
……

『女子高生の裏社会』(仁藤夢乃、2014、光文社)p.30

まず指名料を払う前の段階で、本来なら少女たちにお金を払う行為そのものに疑問を持ってしかるべきだが、買う男たちは「そういうものだ」「1000円なら」と簡単に飛び越えてしまう。以降、「チェキを撮るだけ」「頭を撫でるだけ」「たかが2000円だから」と、どんどん自分の行為がエスカレートしていく自覚もなしにお金を払って満足を得ようとしてしまう。はたから見れば、ここには少女たちに対するただの身勝手な欲望の押し付けがあるだけだ。ところが、お金が介在し、店子と客の関係になった途端、あたかも肯定されるかのような魔法がかけられているかのように錯覚してしまう。しかし、魔法でも何でもなく、これこそが性産業がピンボールゲームの形をした地獄の機械であることの所以なのである。
お金を払えば払うほど、男たちの欲望はエスカレートしていく。そして、少女たちにとってもまた、男の欲望がエスカレートしていけばいくほど、売上、収入が増えていく。収入が増えるにつれて、悪くはないかも、いや、これは悪いことではない、というふうに少女たち自身もまた性産業によって金銭感覚や人との交際に関わる感覚が麻痺し、飼い慣らされていくようにできている。「裏オプション(通称:裏オプ)」として、「ただのお散歩」が痴漢行為やホテルでの性行為にまで及んでしまうケースもあることは、買う男たち・買われた少女たちがどこまでもエスカレートしていった結果なのである。そして、いずれ「お散歩ではそこまで稼げない」とまで飼い慣らされた少女たちに向けては、性産業の経営者たちは彼ら独自のルートを通じてセクキャバや性感マッサージ、ソープランドやデリヘルといったもっと「稼げる」業態に誘導していくことだろう。
ピンボールゲームはいつまでも続き、どこまでもハードコアで暗く深い闇が広がっている。そしてゲームが繰り返されれば繰り返されるほど、「球」=その人の魂そのものが深く傷つけられ、ボロボロになっていく。

私たちは「大人の責任」として、この地獄のゲームを機能停止させ、ピンボールの盤面ごと破壊しなければならない。では、そのために何ができるのか。(考察Ⅲに続く)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?