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【2020-】珈琲焙煎【#コーヒー #発酵】

焙煎したコーヒー豆

なぜ、珈琲焙煎を始めたのか?

実は、私はコーヒーを普段あまり飲まない
元からあまりコーヒーを好んで飲む方じゃなかったが、珈琲焙煎を始めた今でもそうで、だから、ものすごくコーヒーが好きで、日常にコーヒーが欠かせないほどいつも飲んでいるから始めた訳ではない。
私が珈琲焙煎をして、珈琲を手づからドリップして味わい続ける理由、それは
珈琲という飲み物の概念そのものが変わったから
であり、
珈琲という概念を変えてくれた恩師に認められるような旨い珈琲を焙煎したい
からである。
つまり、恩師を追いかけ、ひたすら旨い珈琲を追求し続けている自分が好きなのである。
ここでは、珈琲という飲み物の概念を変えた「アームズメソッド」という焙煎・抽出のメソッドと、そのメソッドを創始した私の恩師・竹林利朗さんと私との出会いを紹介したい。

まずは、この動画をご覧いただきたい。

私が竹林さんと出会ったのは、岩手の北上で「カカオラボ」というカカオ豆からチョコレートを作るワークショップをしにきてくださった時に初めてお会いした。

珈琲のドリップをレクチャーする竹林さん

その時、動画で紹介されていたような30g100ccのアームズ式のドリップで、エチオピアかどこの国かは忘れたが確かゲイシャ種の豆を淹れてくれたと記憶している。
これが、感動を覚えるほど、衝撃的においしかった
砂糖を入れていないはずなのに濃厚で芳醇な甘味。
口一杯に広がる、鮮やかでフローラルな香り。
何より、濃厚なのに、雑味がなくて後味がクリアーなのである。
市販のコーヒーや、苦虫を噛み潰したような顔をしながら飲む喫茶店のコーヒーとは全く別物だった。
珈琲って、こんなに美味しい飲み物だったのか。
何かが音を立てて崩れて、変わっていくようなそんな衝撃が、この一杯には確かにあった。
ちなみに、このワークショップで作ったチョコレートも、チョコレートの概念が変わるほどおいしかった。甘味や香り、口に含んだ時の風味がまるでフルーティーで、そんじょそこらのチョコレートとは全く別物なのである。
この衝撃を覚えたのが、2019年の10月。私が珈琲焙煎を始めたのが2020年8月だったのでおよそ10ヶ月ほど間が空いているが、その間私が何もしていなかった訳ではなく、むしろ盛岡中の珈琲屋を必死で巡って、珈琲豆を買い漁ってはドリップを繰り返していた。竹林さんの珈琲を超えるか、それと同等の珈琲が盛岡に存在しないのか探していたのである。
結論。そんなものは存在しなかった。
なぜなら、そもそもコーヒー豆を洗っていないから。
結局、探せば探すだけ、余計、あの時のゲイシャの珈琲の味が恋しくなるばかりだった。恋しくてしょうがなかった。
竹林さんがカカオラボのワークショップで言っていたことを思い出す。
これは不幸の階段ですよ。
アームズ式で焙煎抽出された珈琲を飲むようになったら、そうでないコーヒーを飲むと、飲めないか、飲んでも舌に違和感が残るはずです、と。
結果、私は市販のコーヒー豆が不味くて飲めなくなるのはもちろん、好きだったカフェ巡りもできなくなってしまった。
そして、ある時決意する。
アームズ式の珈琲を出してくれるカフェが盛岡にないなら、コーヒー豆を洗って自分で煎るしかない、と。
そうして、私は順調に不幸への階段を上り詰めていった。

手網焙煎用の手網。
ダイソーで150円で売られているザルを重ねて針金で止めただけの簡単な作り。

折しも、『DIYでコーヒーを楽しむ本』という本に、竹林さんの珈琲焙煎とドリップが取り上げられているのを知った。

100均(一部ホームセンター)で買える道具とカセットコンロがあれば、すぐにでも珈琲焙煎を始めることができる。慣れない手つきで、私は手網焙煎を始めることにした。
その時はまだ、その先に続く不幸の階段に終わりがないこと、珈琲焙煎がマリアナ海溝よりも深い、深〜い底なしの沼であることなど、知る由もなかった。

目標・価値・実現方法

目標

  • 珈琲豆をアームズ式に則って適切に焙煎することができるようになる

  • 珈琲を色んな人に提供する

  • 珈琲豆を販売する

提供したい価値

  • 雑味がなくクリアで、安心安全で珈琲を自分自身にも、人にも、与えたい

  • 珈琲で人を感動させたい

  • 珈琲屋として身を立て、アームズ式をどんどん人に広めていくお手伝いをわずかばかりでもさせてもらいたい

実現方法

  • コーヒー生豆:ネット通販で買えるほか、生豆を販売している実店舗も存在するのでそこから入手できる。私は知人経由で仕入れるか、ネット通販だ。色々試した結果、わりかしコスパがよく、品質も安定していて、種類も豊富な以下の業者から仕入れている。いずれ他の問屋からも仕入れてみたい。

  • 焙煎器具:先ほど紹介した『DIYでコーヒーを楽しむ本』p.14に全て書いてある。「スパイラルダクトの継手パーツ」だけかなり特殊で、ホームセンターにもなく探すのに手こずったが、モノタロウで良き感じのを見つけることができた。
    カセットコンロは今は使っていなくて、過熱防止センサー(Siセンサー)の付いていない都市ガス用一口コンロを使用している。
    現在では大体以下の材料で最終的に落ち着いている。

焙煎の記録

焙煎前の洗い。
このように、コーヒー生豆はそのままの状態ではひどく汚れている。

↓焙煎している様子のイメージ

焙煎後のコーヒー豆。やや中深。
焙煎豆を割った時に断面の焼き色が均一になっているのが
中までしっかり火が通っている証拠
焙煎豆はZiplocに入れて一週間から10日ほど寝かせる
熟成させた珈琲を丁寧に淹れる

やってもやっても終わりがない、とはまさにこの事だと思う。
焙煎すればするほど、次の課題が見えてきて、次の課題をクリア出来たと思ったら、また別の課題に直面して悩んでしまう。

これまで焙煎した事がある珈琲豆はブラジルから始めて、思い出せるだけでもタンザニア、コンゴ、ケニア、ペルー、東ティモール、インドネシア、ベトナム……いろんな国と地域のコーヒー豆に触れてきた。ちなみに、珈琲焙煎を趣味にするいいところは(コーヒーベルト帯に限るが)こうやって自宅に居ながらにして世界旅行ができるという点にある。どんな国のどんな環境で育ってきた豆なのかを想像しながら淹れる一杯は格別で、私としては「産地へのこだわり」よりも「産地に対する敬意」を持ちながら珈琲を焙煎し、ドリップしていきたいと思っている。
アラビカ種だけでなく、よく安い缶コーヒーに使われているとされるロブスタ種も50度お湯洗いののちに焙煎してみた。確かにクセはあるが、これはこれで美味しい。ほんの少し深めに煎ってあげると、奥深い風味がガツンときてくれる。これはこれで好きな人は多いと思う。
ただ、それだけの種類を焙煎すると分かるが、コーヒー生豆にも個性があり、持ち味が全然違う。一口に「珈琲豆のポテンシャルを最大限に引き出す」と竹林さんは言うが、持ち味を理解して引き出せるようになるまでには、何度も何度も繰り返し繰り返し繰り返し焙煎して、ようやっと「これかな?」というのを探りあてる、まさに「珈琲豆との対話」と呼ぶにふさわしい試行錯誤が要る。
また、焙煎機では機械が回転速度を均一に回しているのでそういうことは起きにくいのだが、初期の手網焙煎ではよく焼き過ぎて焦がしてしまったり、煎りムラを起こしたりした。これは、手網を途中で止めてしまったり、振り方に工夫がなくて全体に満遍なく熱が通っていない(あるいは通りすぎる)ことによって起こる。焦がさず、燻さず、ムラなく均一に焙煎できるようになるまで、私は1年以上掛かってしまった。
コーヒー豆に焼き色をつけるだけなら、誰でもできる。問題は、それぞれの豆としっかり対話しながら、つまり色・匂い・音・熱感・味覚全てに敏感になり、五感をフル稼働させながら、一瞬一瞬全ての動作において丸く、丁寧に、向き合えるかどうかだ。
この終わりのない探求において、私は多分、まだまだスタートラインにすら立てていないような気がする。「コーヒー豆のポテンシャルを最大限に引き出す」という恩師・竹林さんからの宿題は、未だ果たせていない。

経験したこと

  • 珈琲焙煎、とりわけ手網焙煎は大変な重労働であることを思い知った。50℃お湯洗いだけでも結構大変、ピッキングもかなり集中力を使う上に、15分から20分の間、豆の状態に全集中しながら手網を絶えず振り続けなければいけない。過酷。過酷の一言に尽きる

  • そして、そうまでしても手網で手網で一回に焙煎出来る生豆はせいぜい200g程度、仕上がりは嵩が減って160g程度になるので非常に歩留が悪い。お店で売るだけの生豆を仕込むには仕込むには8〜10回焙煎してやっとそれくらいの量に達するか達しないか。ちなみに、8〜10回やろうとしたら朝から晩まで1日丸々焙煎で潰れてしまう。

  • 珈琲焙煎も難しく奥が深ければ、珈琲抽出もまた奥が深い。100ccドリップするだけなら誰でもできるが、一滴も雑味を出さずに珈琲豆の甘さや旨味だけを最大限に引き出すには、豆の状態から挽き方からお湯の落とし方から何から全てに神経を集中させなければならない。これまた過酷

反省したこと

  • あまりの過酷さと珈琲の世界の文字通りの底なし沼っぷりに「なんで珈琲屋やりたいなんて思ってしまったんだろう」といつも後悔している。そして、後悔するたびに、ただただ自分は旨い珈琲が飲みたいだけなんだなぁと、そういう探求が好きなんだなぁ、探求している自分が好きなんだなぁ、と思うようになってきている

成果

目標達成率

  • 珈琲豆をアームズ式に則って適切に焙煎することができるようになる(30%)

  • 珈琲を色んな人に提供する(40%)

  • 珈琲豆を販売する(20%)

総括

珈琲焙煎は、奥が深すぎた。終わりがなさすぎる。
正直、「終わりがないもの」に関しては、私は基本的にやり続けたくはない。
どこかで終わりがあった方がいい。
でないと、この先もっと老いるわ、もっと病むわ、そして死ぬわする自分自身の、上手く言えないけど自己肯定の基礎になるような何かが年々すり減ってしまいそうで、多分いずれ手網を振り続けられなくなるその時に自分を受け入れられなくなって生き地獄の苦しみを味わいそうな怖さがある。そこまで不幸になりたいとは思わない。
それに、これを本気でやろうと思ったら、人生の大半の時間を貧乏しながら、珈琲一つに潰えてしまうだろう。そんな酔狂を支えてもらえるだけの物理的精神的社会的な資源が、残念ながら今の私にはまだまだ乏しい。

ただ、趣味としてやる分には、こんなにいい趣味はない。あくまで「料理の基本」に則って珈琲豆を扱っているだけといえばそうだし、その点ではアームズ式はやっていることは極めてシンプルだから、料理が得意で自炊が好きな私の肌にとてもよく合っている。
それに、極めていくことで

  • 「美味しさ」という味を批評できる解像度が上がり、

  • 結果的にカレーや炒め物、煮物などの調理スキルと表現力が向上するので、

  • 料理が上手くなり、一流の料理人になれる

という相乗効果もある。自家消費として趣味程度に細々とやっていくには、こんなにいい趣味はないと思う。

要は、どこまでやるか。
正直、2年くらいでは、まだ決め切る事ができない。

今後の展望

うっかり書きそびれたが、実は珈琲屋をやろうとして最近食品衛生責任者の資格を取った。
だから、法律上は、場所の問題を置いておけば、営業届を保健所に出しさえすれば私一人でも店は開ける。ネット通販や珈琲豆のサブスクをやるなら場所の問題すらほぼ考えなくて済む。
だから、店をやるなら届けを出して、明日からでもさっさと始めればいい、というところまで実は来ている。
まだ着手していないのは、自分が自分の珈琲豆の品質に未だ納得がいっていない、それだけなのである。
そこにケリが付きさえすれば、今後の展開というのもあるかもしれない。

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