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男の性欲は社会によって歪められている【私たちは『買われた』展・考察Ⅰ】

なぜ「私たちは『買われた』展」に私が関わるのか。
日頃の相談経験から、また、私自身の経験から、男性達に潜むある価値観をぶっ壊したいと考えているからです。
その価値観とは、
「女性は快楽のための消耗品」
「お金で買えない快楽はこの世にない」
このような間違った男達の価値観にくさびを打ちたい。
今回の展示には間違いなくその力があります。

「私たちは『買われた』展」盛岡にかけた想い

男の性欲は社会によって常に既に歪められている

この世には、女性を快楽のためのマテリアルとして、記号として、消耗品として消費する文化が、未だに駆逐されもせず根強く残っている。
これは女性だけでなくLGBTQも、そして男性をも含んで、日々肥大化の一途を辿っているのではあるが、ここから先の議論ではとりわけ「女性を買春する文化」に的を絞って進めていきたい。

繁華街をちょっとでも歩けばわかるように、「女性をお金で買う文化」は目に見える形で街のあちこちである種のクラスターを成して密集している。
キャバクラ、セクキャバ、イメクラ、ソープランド、デリヘル、回春エステ……等々のいわゆる「水商売」はその代表例だ。JKリフレ、JKお散歩といった「JKビジネス」が存在するかと思えば、熟女専門・人妻専門といった業態も存在する。性産業においてはおよそ、女性がどんな見た目で、どんな年齢層・ライフステージにいようと、「買いたい」と言い寄ってくる男は一定数必ず存在するように出来上がっている。個室ビデオやアダルトDVD・書籍専門の書店なども含めると、都会はもちろんどんな地方都市にも必ず存在する。もはや多くの男たちにとってこういうスポットは日常の一部と化していると言っていい。
加えてネット上には、修正/無修正・有料/無料問わず、膨大な数のアダルトコンテンツがあり、それらのアダルトコンテンツは各男性の趣味嗜好にジャストフィットするように細かく細かく細分化しつくされている。それもまた、男たちにとってはもはや日常の一部である。
結局、性産業は男たちの日常の一部となるに至るまで溶け込んでいるからこそ、これから話すように、厄介だともいえる。
何が厄介かというと、それらのコンテンツが存在することそのものというよりもむしろ、それらの性的コンテンツは結果として資本主義社会が男性たちの性欲を飼い慣らすための権力装置として地上あまねく場所で機能していることが厄介なのである。
要するに、コモディティ化した性産業装置を通じて、あらゆる男性の性欲は資本主義社会によって意図的に飼い慣らされていることになる。

資本主義社会が女性の身体を「商品」としてモノ=記号=消耗品化するプロセス

何故こんなことを語っているのかというと、どのようにして男たちが買春に手を染めていくのか、そして買春行為によって少女たちの人権がどのようにして傷つけられていくのかを整理したいからである。
つまりは、こういうことだ。

  1. 買う男たちは、少女たちの人格を見ていない。「商品」であり「モノ」として扱い、値踏みをしている

  2. 値踏みにあたっては、少女たちに備わっている属性としての「JK」という記号だけを見ている

  3. 関係性において愛情は存在せず、ただ性欲だけがある。性欲の発散が終われば関係は終わり(=消耗品)、また満たされようとする欲求から繰り返し繰り返し同じ記号を消費したくなってしまう(=依存性がある)。

先の3つの事象を、「買われた」少女たちの側面から見てみよう。
少女たちは、まず、買う男たちによって暴力的に名前を奪われる。代わりに「商品名」としての源氏名が与えられる。これは丁度、『千と千尋の神隠し』で、千尋が名前を奪われて「千」にさせられるのと同じことである。
そして、およそどんな見た目で、どんな年齢層・ライフステージにいようと性産業においては需要があるとは先程述べたことだが、裏返せば男性にとって「JK」とは性欲を掻き立てるための数ある記号=カテゴリーの一つでしかないということだ。つまり、少女たちは「JK」という記号に暴力的に回収させられてしまう
最後に、少女たちは、一度「JK」としての自分が金で買われてしまうと、だんだん自分が買われるということそのものに疑問を持たなくなると同時に、自分が消耗品として扱われてしまうことから来る暗く深い虚無感を抱えるようになる。そして、暗く深い虚無感をお金を稼ぐことによって満たそうとすることにより、より依存的になっていく
ちなみにこれは、男たちもそうなのだ。一度でも「JK」を金で買うことに味をしめてしまえば、やがて金で少女たちを買う行為そのものに躊躇いがなくなる。と同時に、一時的な快感では段々満たされなくなり、暗く深い虚無感に苛まれるようになる。そして、何回も何回もJKビジネスのお世話になるにつれて、やがては「JK」との行為でしか性欲を処理できない歪んだ身体に飼い慣らされてしまうことだろう。

性産業を牛耳る人間たちにとって、一人の男性の性欲を飼い慣らすのは、犬に躾を施すのと同じこと、あるいはそれよりも百倍も千倍も簡単なことなのだ。
彼らは常に仕事道具として「男が欲しがりそうな女の記号リスト」というものを保有しており、満たされない性欲を抱えて転がり込んできた男が来たら、相手の要望をヒアリングするや否や、サクサクっと記号を組み合わせて「この女はどうですか? 今ならお値段これくらいで、あんなことや、こんなことまで出来ますよ」と上手に誘う。
客の細かい対応にもすぐに対応し、商品にキズがつく様であれば客に対して手荒な行為も厭わない。
もちろん、リピーターには「前回遊んでもらったあの女を買っている男は、この女も買ってますぜ」と素早く相手の好みの記号に基づいて上手に商品を勧め続けられる。これは比喩ではない。あらゆる性産業の現場で実際に起っていること要約したに過ぎない。
そして、いずれこれらの作業は人間にとって変わってあまねく全てをAIが取り仕切る様になる。
Amazonの「欲しいものリスト」ならぬ「欲しい女リスト」に少女たちを放り込めば、直ちにAIが「あなたの好みに関連しそうな女」と「閲覧履歴にもとづくおすすめの女」をリスト化して表示し、各種性産業の業者を自動で価格比較してもっともコスパの良い業者の紹介する少女をリコメンドするようになるだろう。これも比喩ではない。既にアダルトサイトの多くはこのような最適化を完了済みなのだ。嘘だと思うなら、検索サイトにひたすら「女子高生 AV」とか「teenage porn」とか適当に入力して、その検索結果をざっと眺めてみるといい(その際は、普段使ってるのとは別に実験用PCとアカウントを用意してやるとより安全だ)。
どの男性がどんな記号=カテゴリーを選ぶかは、資本主義のプロセスに従ってもっとも売れる記号=カテゴリーか、ニッチだが一定数の熱狂的な需要がある記号=カテゴリーだけが生き残るようになる。「JK」はおそらくもっとも売れる記号=カテゴリーのうちの一つであるといっていい。そして、もっとも売れる記号=カテゴリーであり続ける限り、中学生や高校生(時には小学生)の少女たちが性搾取され、人権が踏みにじられ続ける現実は当分変わらない。

では、この現実にどう向き合えばいいのだろう?(考察Ⅱに続く)

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