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円城塔を味わう ~「エピローグ」にみる円城塔の世界~


こんにちは.なむです.

いつの間にか桜が散って,ポカポカを通り越して暑く感じる日すらありますね.皆様いかがお過ごしでしょうか.


さて今回は,前回の記事に引き続き,刺激的になった読書体験について書き残しておきます.

前回「プロローグ」を読んだ勢いそのまま,その姉妹本である「エピローグ」を読んだので,その感想です.


読んだきっかけ


上述の通り,「プロローグ」を読んだので,その姉妹本も併せて読みたいと思い,連続で読みました.

手に取ったきっかけなど詳しくは,前回の記事をご覧いただければと思います.


感想


ありきたりの感想ですが,やっぱり「難しい」ですね.

例えば「プロローグ」「エピローグ」共通するのですが,記述される内容は脳内で何となく理解でき,一方で記述がおかしいと感じるとき,おそらく一般には「記述がおかしい」と判断されると思うのですが,どうもこの小説たちの中ではそうではない.

記述はおかしいが内容は理解ができる(たとえば登場人物の主張と描写が入り交じる)ときに,それは記述が正しいのであって,記述されている現実がおかしいのだと思わなければならない.というのは,自分にとってはなかなかすっと飲み込みづらいものでした.

それができたらできたで混乱する気もしますが.

どこかで見かけた「数学の専門書に記載されている『定義』はそのまま丸っと『定義』として受け入れることが必要」という主張を思い出しました.



「プロローグ」が私小説(とされている)のに対して,このエピローグはがっつりSFです.少なくとも最初はそう見え,そう見える部分はSFだと思えるがゆえに読むことはそこまで難しくなく感じます.

ところが後半になり,徐々にその世界の設定が明らかになるにつれ,理解が追い付かなくなってきます.

「プロローグ」同様,「物語とは,小説とはなにか.」という問いに挑戦した作品であることはやはりひしひしと感じました.


私小説とSFがどう姉妹本になりうるか...と最初は訝しんでいたのですが,ところどころにつながりが見えてきます.

氏族の名前とか,舞台設定にも一部「プロローグ」の影響があるようです.

僕が思うに,「『プロローグ』の最後で示された展開が発展し,最終的に暴走してしまった世界が『エピローグ』で描かれる」のではないかと思います.本当のところはわかりませんが.


「プロローグ」が「物語自身による物語の構築」のようなテーマであると感じられたので,「エピローグ」では「物語自身による物語の完結」を描くのかと思えば,どうやらそうではないみたいです.

...いや,そうとも言えるのかもしれません.


とにかく僕には理解するのが大変で,正直読み終わった今もちゃんと理解できているわけではなくて,ただ理解できたら,すくなくともこの作品が書かれた狙いを少しでも感じることができたら,もっと感激する作品なのではないか?と思えるものでした.



最後に

「プロローグ」「エピローグ」ともに,いつかまた読み返したいと思います.その時にはきっと,今とは違う感想を抱くのだろうという期待を込めて.

重厚な小説を2冊読んだので,次は新書でも読もうかなって思います.

以上,なむでした.


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