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「カエシテ」 第15話

   15

 さんざん迷ったものの、福沢は同窓会に出席することにした。一部の仲間とは交流が続いているものの、卒業後会っていない人も多い。同じ釜のメシを食った仲間と数年ぶりに顔を合わせる機会を逃したくなかった。開催時間に合わせて部屋を出た。
(俺が雑誌社で働いているなんて聞いたら、あいつらは驚くだろうな。どうせ肉体労働に就くと思っていたんだろうから)
 頭の中では再開後のことを想像している。そのせいで、最近にないほど気持ちは晴れ晴れとしていた。電車に乗り開催場所を目指していく。
 同窓会は、自由が丘にある小さな結婚式場を貸し切りにして行われるとのことだ。メインは結婚披露宴に使われるが、イベント会場としても使用されていることで、幹事が目を付けたようだ。福沢にとって自由が丘は一度も足を向けたことのない地だったが、駅周辺はオシャレな店が多い。カフェも雑貨屋もアパレルも個性的だ。街を行く人も洗練されている。
(何だか、俺は浮いていないかな)
 通行人から冷たい視線を浴びたことで、福沢は疎外感を覚え歩く足を速めた。携帯の地図アプリを頼りに歩いていく。
 すると、町並みは落ち着いてきた。さすがに自由が丘と言えども、駅を離れていくと他の街と変わらないのだ。オシャレな建物は散見できるものの、路地裏には雑居ビルや見慣れた店が並んでいる。工事中や時間決め駐車場も目に付く。住宅街に入れば、ママチャリに乗るおばちゃんもいた。
 その風景にやや安堵しながらも歩いていくと、やがて目的地に到着した。会場は、白く小さなお城のような建物だった。
 入り口のドアを開けると、受付として黒いタキシードに身を包んだ係員が立っていた。福沢が招待状を見せると、すぐに奥へ通された。
 奥はホールとなっていて、既に何人ものごつい体をした男が立って談笑していた。テーブルが隅に置かれ、飲食物が並んでいることからも立食形式らしい。突き当たりは一面窓となっていて、芝生の先にプールも見える。結婚式場だけあって、白や明色を基調としている。
「何だよ。福沢。お前、だいぶ痩せたな。大丈夫か」
 そう思いながら歩いていくと、途中で気付いた男が声を掛けてきた。高山大悟たかやまだいごだ。四年生でキャプテンを務め、今は社会人でラグビーを続けている。学生時代よりも体が一回り大きくなったようだ。
「大丈夫だよ。それよりお前は凄いな」
 福沢は笑いながら元キャプテンの二の腕を叩いた。まるで岩のように固い。
「いやっ、本当にお前は痩せたよ。一体、今は何をやっているんだ」
 そう聞いてきたのは、中井夏雄なかいなつおだ。元々小柄だったが、現在はラグビーをしていたとは思えないほどスリムになっていた。
「俺は雑誌社で働いているよ」
「嘘だろ」
 予想通り、職業を告げると仲間は驚きを見せた。
「本当だよ」
 福沢は笑顔で証拠とばかりに名刺を見せた。
「本当だ」
「随分、奇特な会社があるんだな。お前を雇う雑誌社なんて」
 名刺を見ると仲間はそれぞれ言葉を発している。
 そうしている間にも、仲間は次々と入ってくる。その度に、会場は盛り上がった。当時の筋肉が贅肉に変わった人間もいれば、中井のように痩せた人間もいる。卒業後の人生はそれぞれのようだ。
 そんな仲間と談笑している内に福沢は気が楽になってきた。当初はあの画像に心は縮こまっていたが、酒も入ったことですっかり頭の中から消えていた。気心知れた同級生と会っていることで笑顔が絶えない。
 同窓会は、時間が流れていくことで盛り上がりを見せていく。アルコールをたらふく飲んでいることで酔っている人間も少なくない。
「あの試合の時、お前はもう少し強いタックルをしていればな。絶対にあいつを止められたと思うんだよ。そうすれば俺達は勝てたかもしれないのに」
 酔いを覚まそうとテラスに出ると、横尾文也よこおふみやが声を掛けてきた。試合中に膝を故障した影響で引退したが、それまで看板選手だった男だ。それだけに何か未練があるらしい。アルコールが入ったことで絡んできた。
「それはしょうがないだろ。あの時の敵はステップがキレていたから。終盤であんな切り返しをされたら止められないよ」
 苦笑いしながら福沢は返す。正直、どの試合かわからなかったが、適当にはぐらかした。オフ会に数多く参加していることで習得した術だ。
「そんなことはないだろ。向こうはこう来たんだから、お前はこう動けばよかったんだよ」
 熱が入り横尾は動き出した。ボールを両手に抱えるように前屈みとなり、左右にステップを踏む。
「違うよ。こうだよ」
 福沢も応じる。同じよう動きを取った。ボールはないものの、それだけの動きをするだけでも楽しかった。動きは徐々に激しくなっていく。
「おっ、なんだ。当時の再現か」
 そこに中井も加わる。ボールはなかったものの、まるで彼らには見えているようだ。架空のボールをパスし、周囲の人間は止めようとしている。
 その輪はどんどん広がっていく。誰もが笑顔だ。少しずつ白熱していく。
(全く、ついていけないよ。あいつらには。すっかり体力は落ちたみたいだ)
 しばらくは仲間と楽しんでいた福沢だったが、息が上がってきたことで輪から離れた。軽く汗を拭うと、テーブルにあったビールを口に運ぶ。
 と、その時だった。
「カエシテ」
 ふとそんな声が聞こえてきた。物悲しい女の声だ。
 だが、アルコールが入っているため、福沢は空耳だと思い聞き流した。
「カエシテ」
 と、すぐにまた声が聞こえてきた。
 今度はハッキリと聞こえた。間違いない。
 福沢の中で忘れようと努めていた恐怖が甦ってきた。
(嘘だろ。まさか現れたのか)
 恐る恐る周囲に目を向けた。
 だが、辺りにおかしな姿は見当たらない。会場にいる人間は同窓生とタキシード姿の会場スタッフだけだ。
(どこだ)
 福沢はそれでも周囲へ隈無く目を向けていく。
 すると、何かが指に触れた。
 慌てて手元に目を向けると、信じがたい現象が起こっていた。
 手にしていた携帯の液晶から、何かが出ていたのだ。
 凝視してみると、指だった。
 五本の指が何かを求めるように蠢いている。
(何だよ。これは)
 福沢は慄然としていたが、会場の方から轟音が聞こえてきた。
 目を向けてみると、会場から大量の手が押し寄せてきた。肘まである手は、指を忙しく動かしながら進んでくる。肘を上に突き上げ、まるでサソリのようだ。中には転倒し、仰向けになってもがく昆虫のようになっているものもあるが、大半の手は着実に近付いてくる。たちまち芝生は手で埋まっていく。
(ウソだろ)
 福沢は腰を抜かしそうになった。
 だが、恐怖はこれだけでは終わらない。
 目を正面に戻すと、上から何かが降りてきた。
 女の顔だ。人魂のように浮遊している。
 顔は青白く、髪で大半が隠れているものの、隙間から見える目は鋭い。片時も離さず福沢を睨みつけている。
(何だよ。これ。冗談じゃないぞ)
 恐怖から福沢はテラスに出た。
「おっ、福沢が戻ってきたぞ」
 仲間から茶化す声が飛ぶ。
 しかし、福沢の耳にその声は届いていなかった。辺りを見回しながら走り出す。
(大丈夫だよな。ここには仲間がいるんだから。それもひ弱な奴じゃない。ラグビーをしていた猛者だ。そう簡単にやられないだろ)
 福沢は仲間の方へ近付いていく。しかし、女の顔はピッタリ併走している。
「おっ、来たな。ほらっ、パスだ」
 事情など知らない仲間はパスを出してくる。
 福沢は反射的にボールを受け取る素振りを見せた。
 だが、それまでだった。
 ついに手に追いつかれてしまった。それをきっかけに手は次々と福沢の体にしがみついてくる。体には少しずつ重さが加わっていく。まるで、タイヤを引きずっているかのようだ。
(止めろ。離れろ)
 福沢は必死に振りほどこうとするが、手は次々としがみついてくる。体には感触が伝わり、耳には手の蠢く不気味な音が絶え間なく聞こえ続けている。
「カエシテ」
 その上、声も聞こえてくる。
「止めろ。止めてくれ」
 福沢は必死に手から逃げた。テラスには仲間があちこちに立っていたが、ステップでかわしていく。皮肉にも、その動きはボールを持ってゴールに向かうラガーマンに見えた。
「おっ、いい走りじゃないか」
「本当だ。現役時代よりキレているんじゃないか」
 何も知らない仲間は口笛を吹き、はやし立てている。
 しかし、本人はそれどころではない。
 既に体は自分の意志で動かせなくなっていた。次々としがみついてくる手に操られていた。前に人がいる時は横へと移動し、いなければ前へと進んでいく
(誰か。助けてくれ)
 もはや自分では制御不能となっているため、福沢は助けを求めた。だが、口を塞いでいる手もあるため、声が口の外へ出ることはない。口の中でこもるばかりだ。
(何だよ。これは)
 福沢は気を失いそうになったが、体は止まらない。どこかへ向かい進み続けている。
 やがて、ある場所へ向かっていることに気付いた。
 端にあるプールだ。
(あそこに落とすつもりか。冗談じゃないぞ)
 福沢は渾身の力を振り絞って抵抗に入る。
 だが、ラグビーで鍛え上げた肉体を持ってしても、この力に勝つことは出来なかった。
 しばらくいくと、福沢の体は無数の手に押されプールへと突き落とされた。
 直後。
 会場には、鈍く重い音が響き渡った。
 プールには水が入っていなかったのだ。
 福沢は一メートルほど下のコンクリートに頭から叩きつけられた。


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