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「カエシテ」 第28話

   28

 アミの店を出た加瀨は上野まで行くと、上越新幹線に乗った。時刻は九時過ぎだったが、車内は出張に向かうサラリーマンの姿がチラホラとある。加瀨は彼らと共に新幹線に揺られていった。
 新幹線は、二時間半ほどで新潟駅に到着した。加瀨は下車すると、そこからは私鉄を乗り継いだ。
 そうしてようやく、楓の事件が発生した町に到着した。到着した駅は、二両編成の電車しか停車しない無人駅だった。駅舎は木造でホームには脇の空き地から伸びた草が侵入している。
 改札を出ると僅かばかりのロータリーがあり、タクシーが一台止まっているが、人の姿はない。
 加瀨はすぐにタクシーの元へ行ったが、車内にドライバーの姿はなかった。キーは刺さっているが車から離れているらしい。
(参ったな)
 早くも田舎の洗礼を受け、加瀨は途方に暮れた。改めてロータリーを見ると、バス停があることに気付いた。
 加瀨はすぐに近寄っていったものの、バスは一日二本しかなかった。午後の便は今から三時間後だ。
(冗談だろ)
 加瀨は天を仰いだ。
(どうするかな)
 気持ちを取り直し、改めて周囲に目を向けた。ロータリーの先は横に細い路地が伸びている。路地の向こうは畑だ。遠くには山並みが見える。右側は雑木林となっている。遠くまで視線を向けてみても、求めている人の姿はどこにもない。空では、そんな彼をあざ笑うかのようにカラスが鳴きながら飛び去っていった。
(少し歩いてみるか)
 ここにいても仕方ないため、加瀨は移動することにした。ロータリーを出ると、左に向かい歩き出した。
 すると、すぐに店があった。砂埃にまみれた上に錆の浮いた看板に、喫茶店の文字が読み取れる。建物は古びた日本家屋だが、脇にはショーケースがある。中には、薄汚れたかき氷のサンプルが並んでいる。黒ずんだ木枠の引き戸には一応、営業中の札が掛かっている。
(ここしか店はないみたいだから、仕方ないな。入ってみるか)
 辺りは道路と畑が広がっているだけのため、加瀨は覚悟を決めた。勇気を振り絞って引き戸を開けた。
「あらっ、知らない顔だね」
「本当だ」
 すると店には二人の年寄りがいた。加瀨を見ると、キョトンとしている。
 店は、左側に二人がけのテーブルが三つ並び、右側はカウンター席となっている。
 二人は、カウンターを挟んだ形で話していた。
 カウンターの中には、背の低い年のいった女性がいる。白髪の交じった頭髪で、割烹着を着ている。店はこの女性が経営しているらしい。
 正面に座っているのは、やたらと日焼けした初老の男だ。白いワイシャツに紺の長ズボンをはいている。角刈りで前歯が二本抜けている。声が異様に大きいが、どうやらこの男が駅前に止まっているタクシーのドライバーのようだ。客が来ないからと油を売っているらしい。
「どうしたんだい。こんなところで。何もないのに」
 男が甲高い声で聞いてきた。
「いやっ、ちょっと行きたいところがあるんですよ」
 他に人がいないため、仕方なく加瀨はこの二人を取材対象に選んだ。
「どこだい。俺はタクシーの運転手をしているから連れて行ってあげるぞ」
 やはり男がドライバーらしい。仕事をさぼっているくせに胸を張ってアピールしてきた。
「ここなんですけどね。わかりますか」
 自然と冷たい眼差しを浴びせてしまったが、加瀨は事件発生現場の住所を書き込んだメモを見せた。
「何だよ。ここに行きたいって事は、あんたは新聞か週刊誌の記者か」
 住所だけで男に全てを見破ったようだ。怪訝な表情を見せた。田舎だけに情報は広範囲に広がっているようだ。
「いえっ、私は違います。雑誌の人間なんです」
 男の態度が急変したため、加瀨は慌てて身分と目的を説明していった。
「そうなのか。よくわからないけどな。とりあえず、北見さんはもうこの町にはいないよ」
 男はそう言い放つと、煙草に火を点けた。
「どこに行ったのかご存じですか」
 何か知っていそうなため、加瀨は聞いた。
「そんなところに立っていないで、座りなさいな。これはサービスするから」
 正直それどころではないが、カウンターから女がお茶を出してきた。
「ありがとうございます」
 仕方なく加瀨は、頭を下げながら男の隣に座った。彼は一丁前の顔をして煙を吐き出している。
「北見さんなら今、燕三条にいるよ」
 男は煙を吐き出すと目を細めながら言った。
「燕三条ですか」
 居場所まで知っていると言うことは顔見知りかもしれない。加瀨の中で男を見る目が変わる。
「あぁ、本当は死ぬまでここにいたかったと思うけどな。この町を愛していたから。でも、楓ちゃんのことがあって、そうもいかなくなってしまったんだよ」
 煙草を吸いながら男は話していく。一人で勝手に話しているため、加瀨からすれば楽な展開だ。一方で女性はカウンターの中から、注文していないにも拘わらず次々とメニューを出してくれる。たちまち、加瀨の前は皿で埋まっていった。これが田舎のいいところなのかもしれない。
「やはり、この辺は田舎だからな。あんなことがあったらいられないよな。新聞でも変な記事が出てしまったから、噂に尾ひれが付いて事実は湾曲されてしまったからな。奥さんの方は必死で否定していたけど、周囲は色眼鏡で見てくるばかりだったんだ。嫌がらせも受けるようになってな。ついに、この町から出て行くことになったんだ」
 どうやら放っておいても話してくれそうなため、加瀨は出された皿に目を向けた。すると、わらび餅があったので口に入れてみた。わらび餅は一瞬でとろけてしまった。
「それで、燕三条に移り住んだんだけどな。そこではケンカが絶えなかったみたいだ。結局、別れたって言う話だよ。燕三条には夫が今も住んでいるけど、妻と妹はどこか別の町で暮らしているらしい」
「その場所はご存じですか」
 話が切れたため、加瀨は聞いた。ただし、手はわらび餅に伸びる。口に入れると一瞬でとろけるため、完全に虜になっていた。たちまち完食してしまった。女はそこに気付くと皿を片付け、今度はあんみつを出してくれた。ここは喫茶店ではなく、正しくは甘味処なのかもしれない。
「そこまではわからないよ。旦那はその後、探していないという話だから。多分、旦那も知らないんじゃないか」
「では、楓さんの友人はご存じありませんか」
 あんみつを口に運びながら、加瀨は対象を変えた。わらび餅に続き、あんみつもまた絶品だった。甘すぎることなく、絶妙に涼しさを保っている。東京で店を開けば、本格甘味処として大儲けできそうな腕前だ。
「それなら病院に行った方がいいんじゃないの。楓ちゃんの働いていた病院はまだあるし、当時勤めていた人もまだいるでしょうから」
 今回は、カウンターの中から女が提案した。
「そうだな」
 男が頷く。
「その病院の名前はわかりますか」
 期待を持ち加瀨は聞く。
「あぁ、わかるよ。でも、今から電車で行くと時間が掛かるぞ。何せ、ここは田舎だからな。電車はなかなか来ないんだ。だから、俺が乗せていってやるよ」
「本当ですか」
 思わぬ好意に加瀨は初めてこの男に感謝した。
「あぁ、構わないよ。今、車を持ってくるから待ってろ」
 男はすっかりその気になっているようだ。席を立ち、店を出に掛かった。
「ありがとうございます」
 加瀨は慌てて後を追う。
「気を付けてね」
 女がカウンターから声を掛けてきた。
 加瀨は、その女性に五千円を渡し店を出た。飲食代と情報提供料だ。
 店を出ると、既にタクシーは来ていた。
「乗りな」
 運転席から男が呼び掛けてくる。
「すいません。お願いします」
 頭を下げながら加瀨は後部席に乗った。前部席のヘッドレスの後ろには、ドライバーの顔写真入りの名刺が張り付けてあった。男は、田川重明たがわしげあきという名前だった。
「それじゃあ、行こうか」
 そこで田川は車を運転し始めた。道は、片側一車線の道路だ。左右は果てしなく畑が広がっている。
「ところで、今さっき旦那にメールを送ってみたんだけどな。東京から話を聞きに来ている奴がいるって。そしたら、あいつから返信があって会ってもいいと言っていたぞ」
 車窓から田園風景を眺めていると、田川が言ってきた。片道一車線の道を走っているが、対向車は一向に来ない。
「本当ですか」
 田舎の人間にしては仕事が早いことに感心しながら加瀨は窓の外から田川に目を向けた。
「あぁ、本当だよ。明日行ってみな」
 田川は車を運転しながら腕を伸ばしてきた。手には、メモ用紙がある。
「ありがとうございます」
 受け取ってみると、そこには調子のいい田川が書いたとは思えないほど達筆な文字で住所が書き込まれていた。どうやら、これが楓の父の現住所のようだ。
「あいつは決して気難しい人間じゃないからな。聞けばいろいろと話してくれると思うぞ」
 田川は補足しながら車を走らせていく。二十分ほど走ったところでようやく一台対向車が来たが、軽トラックだ。畑作業を終えたらしい。
 そんな田園風景に加え、車内では田川の話が一方的に続いているため、加瀨は徐々に疲れてきた。田舎の人のペースに合わせるのは大変だ。ついにはうつらうつらしてきた。
「はい、着いたよ」
 そして、田川から声が掛かった頃には完全に眠っていた。
 慌てて目を開けると、畑と山しかなかった田園風景は、すっかり変わっていた。大通りにビルが建ち並び、通行人もたくさんいる。まるで別世界に来たようだ。
「ありがとうございます」
 加瀨は慌てて頭を下げると、メーターを見た。
 が、寝ている間に余程走ったのだろう。料金は目が飛び上がる額となっていた。


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