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「カエシテ」 第59話

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 新宿の路地裏がいつもの姿を取り戻したのは、空が闇に染まった頃だった。検証を終えた警察が現場から去ったことで、物々しさは嘘のように消えている。
(やれやれ、とんだ騒動に巻き込まれたものだよ)
 静寂を取り戻したオフィスで陣内は大きく溜息をついた。オフィスには血まみれの遺体が長時間放置されていた事により異臭が漂っている。窓を開け換気したが消えなかったため、近くのディスカウントストアで消臭剤を大量に買い込み、ばらまいていたほどだ。それでも、異臭は完全に取り除くことは出来ていない。うっすらと漂っている。まるで、加瀨の魂が浮遊しているかのようだ。
 そんなオフィスで陣内はあることを思い返していた。
 それは、昨日の昼過ぎのことだ。
 バイク便業者が去った後、加瀨が思い詰めた顔で携帯を見せてきた。見てみると、そこには金田と彼女が写っていた。だが、問題は二人ではない。駐車場だ。加瀨が拡大すると、ある車の運転席に座る陣内がハッキリと写っていた。加瀨はそこに気付き、問い詰めてきたのだ。無駄に正義感の強い男だけあり、しつこかった。いくらはぐらかしても納得しなかった。そこで落ち着かせるためにお茶を入れるフリをして給湯室に行くと、そこにあった包丁を取り、加瀨の頸動脈を切り裂いたのである。派手な血しぶきが噴き出たものの、背後から襲ったことで返り血を浴びることはなかった。陣内はすぐに加瀨の手に包丁を握らせると、自殺に偽装したわけである。作戦は成功し、警察は大した疑いを持つことなく、自殺と断定してくれた。
(まさか、あの頃の写真が今になって出て来るとはな。思いもしなかったよ)
 画像を思い返すと、陣内は苦い顔をした。当時は、働いていた雑誌社が倒産し、ギャンブル三昧の日々を送っていた。生で競馬を観戦したいと、新潟に足を運んでいたほどだ。結果は目を覆いたくなるほど惨敗続きだったが、それでもレース後には競馬場で知り合った人と飲みに行くと気が紛れた。金田とは、そこで知り合ったわけである。彼は、平日こそ工場で派遣社員として働いていたが、週末には一攫千金を目指し競馬に有り金をつぎ込んでは無一文になっていると笑っていた。生活費に関しては、交際中の彼女に借りていることが多いという。
 その話に陣内の目は光った。酒に酔っていたこともあり、俺にも借りてきてくれないかなと持ち掛けてみた。
 すると、話は通ったらしい。翌週には金田は金を持ってきた。
 陣内からすれば信じられない気持ちだったが、その後も同じ頼みをすると金田は金を借りてきてくれた。陣内はすっかり調子づいた。金がなくなれば、金田の女に借りるようになった。当初は二週間の滞在を予定していたが、気が付けば二ヶ月も新潟に留まっていたほどだ。
 だが、金が無限にある人間などいない。
 金田の彼女も例外ではなかった。少しずつ出し渋るようになってきた。それに合わせて、金田との関係にも亀裂が入ってきたようだ。ついに金を貸さなくなった。
 これには陣内は慌てた。この頃になると、すっかり彼女からの金を当てにしていたのだ。何とかするよう金田を説得した。その際、ある提案を持ち掛けた。それは、都市伝説を特集した雑誌作りを二人で本格的に始めようというものだ。金田は以前、酒の席で目を輝かせて、都市伝説をメインにした雑誌を作りたいと話していたのだ。だが、コネもあてもないため、現在は宙ぶらりんとなっていると言っていた。その夢も、雑誌社に勤めていた陣内が力を貸してくれるのであれば大きく前進する。金田は、自分の夢のためにと再び彼女との交渉に入ってくれた。
 だが、そこで悲劇が起こってしまった。
 金田が彼女を刺殺してしまったのである。
 陣内は、直接本人から話を聞き慌てた。まさかそんな大それた事になるとは思っていなかったのだ。自首するように進めたものの、本人は迷っているようだった。陣内も当惑していたが、その後、ニュースで金田が逮捕されたことを知った。続報によると、金田は楓の隙を見てはカードを盗み出し金を引き下ろしていたらしい。こんな事をしていれば彼女が怒っても無理はない。金田は彼女と友好関係にあると言っていたが、全てはでたらめだったのだ。陣内のためにやっていたらしい。そうなると、責任の一端は自分にもあることになる。
 陣内はそう痛感し、金田が出所してきた時に受け入れ先を作ってやることにした。彼が夢見ていた会社を立ち上げることを決意したのだ。東京に戻ると早速、動き出した。幸いにも雑誌社で働いていたため、ある程度のノウハウがあった。内容に関しては、ネットに書き込まれていた話を脚色し掲載することにした。金田の話によると、都市伝説はあくまで作り話だという。エンターテインメントとして読者が恐怖を感じてくれれば、それでいいらしい。そもそも都市伝説に興味を持つ人は、決して内容を信じてはいないという。話を読み背筋が凍えるようなスリルを求めているらしい。つまり、優秀な書き手がいれば、ある程度の顧客を獲得できるとのことだった。陣内はその言葉通りに雑誌を作っていった。
 すると、その話は本当だった。雑誌は順調に売れていった。それにより多忙な日々を送ることとなった。新潟から帰ってきた当初は金田の件を気に掛けていたものの、いつしか頭の中から消失していった。そのため、金田が不可解な死を遂げたという報道にも気付くことはなかった。福沢の話を聞いた時でさえ、彼の犯した事件と結びつけることはなかったほどだ。
 だが、加瀨が新潟に行くと言い出したことで風向きは変わった。妙な胸騒ぎを覚え独自に調べてみた。
 そして、全てを知った。
 この騒動の発端は、自分も拘わっていたあの事件だったのだ。
 陣内は慌てた。そこで策を講じ、いもしない週刊誌の記者をでっち上げ、強引にあの話から手を引くように仕向けたわけである。これでうまくいくと考えていたが、思わぬ画像の出現により、自らの手を汚す羽目になってしまったわけだ。
(あいつが蒸し返さなければ、こんなことにはならなかったんだよ。せっかく俺が作り上げた会社は台無しじゃないかよ。苦労して、ここまで来たというのに。また一からやり直しだよ)
 一連の騒動を辿ると、陣内は溜息をついた。二ヶ月前までは社員が座っていたデスクだが、今は一人もいない。静まり返っている。外を歩く人の靴音まで聞こえてくるほどだ。
(とりあえずは、今月号のデータは出来上がっているからな。問題は次号だよ。ストックはあるけど、脚色に構成まで全て一人でやるとなると時間が足りないからな。スタッフを大至急雇わないと。明日から大変なことになるな)
 プランを練りながらも、陣内は会社の建て直しを真剣に図りにかかった。
(いやっ、待てよ。それよりも、もっと重大な問題があるじゃないか。このオフィスだよ。こんな騒動を起こしてしまったらもう、ここにはいられないじゃないか)
 が、そこに気付いたことで一瞬にして目の前は真っ暗になった。このビルのオーナーは、もっともトラブルを嫌う人間だ。あの時は目先のことしか考えていなかったため、すっかりそのことを忘れていた。その結果、緊急車両が何台も駆けつけ、人が一人死ぬという大騒動を引き起こしてしまったのである。
 オーナーはこの日不在だったが、明日になれば必ずこの騒動は耳に入るだろう。そうなればきっと、契約は打ち切られるはずだ。それどころか、契約違反として賠償金を請求されるかもしれない。さすがに出て行く期日に関しては多少の憂慮期間を設けてくれるだろうが、もうここにいることは出来ないだろう。
(くそっ、どうすればいいんだよ。人もいない上に職場も失うなんて)
 全ては自業自得だったが、陣内は頭を抱え込んだ。
 と、その時だった。
 一通のメールが届いた。
(何だよ。今はメールを読んでいる場合じゃないんだよ)
 舌打ちしたものの、仕事に関するメールだった場合、損することになってしまう。
(仕方ないな)
 陣内は届いたメールを開封した。
 すると、読者からのメールだった。とっておきの写真を入手したから送ってみたという文面と共に画像が添付されていた。
(どんな画像だよ。とっておきの画像って。つまらなかったら受信拒否にするからな)
 陣内は毒づきながら画像をクリックした。
 間もなく、一枚の画像が表示された。
(なに)
 だが、その画像を目にした途端、陣内は絶句した。
(嘘だろ。これはどういうことだ)
 驚愕の表情で画像を見つめている。
 モニタには、判読不能な文字が書き込まれたノートが写る画像が表示されていた。
 紛れもない。
 楓が怒りを書き殴ったというあのノートの画像だった。


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