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人文科学は自然科学に先行する ~時間にまつわる研究が哲学から自然科学へ最終移行しかけた瞬間

 ちょうど2年前、2017年9月の次のリリース文に目を奪われました。

「マクロ(巨視的)な世界の基本法則で、不可逆な変化に関する熱力学第二法則を、ミクロな世界の基本法則である量子力学から、理論的に導出することに成功」

読んで、心を奪われました。標記のように、「時間の研究が哲学から自然科学へ最終移行しかけた瞬間」に立ち会ったような気分になったからです。理学部でなく、工学部の研究者による成果というのも痛快です。

 統計力学のカノニカル分布などの、わるくいえば便宜的な仮定 (stipulation) を極力排除し、少ない基本原理だけから、多数の自然現象を説明できるのが優れた理論といえます。ついでにいえば、このように知識が増える、深まる際に、数式は単純化され、必要な道具立てが減って、情報量が減ることも多いので、カーツワイル氏の言う、知識が指数関数的に増大、などという言い方はとても胡散臭く感じられるのです。

 時間そのものが逆転しないことは証明、説明できていませんが、なぜ、水にたらしたインクの拡がりを、元に戻せないか(不可逆性)を、多体に拡張した量子力学だけに基づいて説明する大きな前進ということであります。抽象的、観念的なようで、この一般原理が確立すれば、従来は観測されたことのない物質の状態を「予測」して作りだし、思わぬ優れた物性を観測して産業応用が拓けることもあり得ます。

 不可逆性の起源を理解する大きな一歩となるのみならず、冷却原子気体など高度に制御された量子多体系の非平衡ダイナミクスの理解にもつながると期待されます。

 出口治明さんの近著「哲学と宗教全史」の序論(はじめに)「なぜ今、 哲学と宗教なのか」の 3 人間の問いに、宗教と哲学と自然科学が解き明かしてきたこと、という一節があります。少し長いですが、今回の noteのテーマに直結する内容ですので、引用いたします:

” 人間が抱き続けてきた、2つの素朴な問い。「世界はどうしてできたのか、また世界は何でできているのか?」、「人間はどこからきてどこへ行くのか、何のために生きているのか?」この問いに対して答えてきたのが、宗教であり哲学であり、さらに哲学から派生した自然科学でした。
 順番としては最初に宗教があり、次に哲学があり、最後に自然科学が回答してきました。そして特に自然科学の中の宇宙物理学や脳科学などが、2つの問いに対して、大枠では、ほぼ最終的な解答を導き出しています。"

 この順序が大事ですね。宗教から派生するようにして哲学が誕生し、哲学を突き詰めて厳密な論証、証拠立ての手法を得てここ数百年で大発展してきたのが自然科学ということになります。

" 世界はどうしてできたのか、という問いを宇宙はどうしてできたのか、と置き換えてみると、宇宙の誕生はビッグバンで理論づけされ、‥(中略)‥星が一生を終えると超新星爆発が起こります。星のかけらが四方八方に飛び散ります。そしてその星のかけらから地球が生まれやがて生命が誕生し、人間が生まれたのです。僕らは星のかけらからできているのです。

" 次に人間はどこからきてどこへ行くのか、何のために生きているのか? という問いにも答えは出ています。‥(中略)‥「ホモ・サピエンス・サピエンス」は、通説では、今から約20万年前に東アフリカの大地溝帯で誕生しました。どこに行くのか。今から10億年ぐらいしたら、大陽が膨張し、地球の水はなくなって全生物が死滅することがわかっています。何のために生きているのか。人間も動物ですから、次の世代を残すために生きています。さらに一歩進めて、人間とは何か? と問えば、すべての行動や思考を脳の働きに依存している動物、ということも、わかってきています。”

 そして、ミクロな世界の記述は確率的にしか出来ないことを証明した量子力学や、ゆらぎによる宇宙の物質の不均衡な分布。そして、一卵性双生児など同一の遺伝子から異なる性質、性格の個体が生じること。これら、決定論を覆す証拠が多々出ていることから、哲学、そして、宗教に遡らないと解けない問題は人類が続く限り残るのではないか、と出口氏は問いかけます:

”4 自然科学の発達は宗教や哲学を無用にするだろうか? そうでもなさそうだ                                  人間は星のかけらから生まれ、動物であるがゆえに次の世代を残すために生きている。自然科学は、そこまでの道筋を明らかにしました。皆さんはこの結論で、自分が生きている意味や世界の存在について納得しますか?  

 自然科学の世界もこの結論で止まっているわけではないのです。最新の自然科学は、‥(中略)‥宇宙を構成する物質の組成については、数式の形で解明されています。約5パーセントが僕たちの知っている水素や炭素や酸素といった元素、約70パーセントがダークエネルギー、約25パーセントがダークマターです。そういうエネルギーや物質がなければ、宇宙が成立しないことが解明されているのですが、それらがなんであるかは未だに不明なのです。‥(後略)‥" 

 以上、出口治明(2019-08-07).哲学と宗教全史. ダイヤモンド社. より引用

 そういえば、標題の感動のニュースとは逆に、自然科学から哲学に、バトンが戻されたような事態を認識したときも感動を覚えました。量子力学で有名な、ハイゼンベルクの不確定性原理の説明です。一般に物理量は、観測するその瞬間になるまで確定しないということ。これを聞いて、「え?人間が認識することと観測値が関係するのか? 認識って何だ? 対象の状態を意識することか? ならば、人間の意識、精神が物理現象を最終決定しているってことか?」と考え、非常に驚きました。

 現在では、”不確定性原理でいう観測は日常語のそれとは意味が異なるテクニカル・タームであり、観測機のようなマクロな古典的物体とミクロな量子物体との間の任意の相互作用を意味する[1]。したがって例えば、実験者が観測機に表示された観測値を実際に見たかどうかといった事とは無関係に定義される。また不確定性とは、物理量を観測した時に得られる観測値の標準偏差を表す。” 

 ということで、上記の驚きは解消はしています。大学で量子力学を上記の出典たる下記教科書で勉強したことで、通俗的な理解を脱したことは幸運でした。

[1]  Quantum Mechanics Non-Relativistic Theory, Third Edition: Volume 3. Landau, Lifshitz

かといって、出口さんの主張の大枠がゆらぐわけではありません。AIの時代にこそ、哲学、文学、心理学を初めとする人文科学が重要なのであり、宗教の役割、意義にも思いをはせることで、人間らしい仕事ができる気がいたします。





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