見出し画像

7月27日の日記「80日目の日記哲学」

 今日で日記、80日目だそうですよ。気持ち的には、「まだ80日目か……」という感じ。80日目に限らず、どのタイミングで振り返っても「まだ日記始めて〇〇日目か……」と思っていた。日記、毎日書いているはずなのに、日記の積み重ねと毎日が過ぎゆくスピードの体感が、なんか一致しないんだよね。気付いたら1日は終わっているけれど、気付いたら日記を書き終えていた、なんてことはない。毎日、強靭な意思を持って挑まなければ、日記を書き続けることはできないのだ。そこの意識の差が、日記と日にちの奇妙なズレを生み出しているのだと思う。

 裏を返せば、80日過ぎてなお、日記は自分にとってのルーティンにはなっていないことになる。確かに、80日目の今日だって、日記何書けばいいかめっちゃ苦しんでいるもんな。日記を書く、というタスクを楽にする要素は、筆力ではない気がしている。日記の苦楽を左右する最も重要な要素は、日記に書けるようなことが1日のうちに起きているか、だと思う。日記が楽に書ける人は、毎日が充実している人、あるいは一見何もなかった1日から、日記に書けるような何かを拾い上げることができる感性を持っている人だ。僕は、書く力をつけることを最大の目的として日記を始めたけれど、もしかすると日記は、僕に人間としてもっと大切な何かを教えようとしているのかもしれない。そういうのはいいんで、普通に文章力を上げさせてくれ。

 


 今までで1番、会社に行く足が重かったかもしれない。連休明けってのと、今日重めの仕事が待ち受けていたことのダブルパンチで。いつも朝はお腹痛くなるけれど、今日は心なしか胃の方も痛かった気がするし。ただ、俺はそういう肉体のアラートを気合で捻じ伏せ、出社してやりましたわ。自分のメンタルで自分のフィジカルを屈服させる行為に、わりと快感を覚えてしまう。長距離走やってたときもそんな節があった。精神力で無理やり体を動かし、ラストスパートを決める、みたいなね。もちろん、そういう精神論を他人に押し付けるにはさらさらないが、自分に課すのもよくないかもな、と思い始めた。日頃、体からの信号を軽んじていたら、本当にヤバいときにストップをかけることができず、体をぶっ壊してしまうやもしれん。可能な限り体のアラートには従って、休むべきだも思ったら無理せず休みましょう。ただそうなると、毎日休むべきだと思ってるから毎日休むことになるが……?


 なんだかんだで仕事を終えたが、日曜日の夜よりも平日の夜の方が気分が軽いの、なんだか不思議だな。明日も仕事がある、という点ではなんら変わらないのに。アレかな、死刑執行を言い渡されるまでの待ちの時間が、1番精神的にキツイっていうやつかな。平日の僕は既に断頭台に首を晒されているので、叶わない希望を持つことなく、穏やかな心持ちでいられるのかも。

 


 久しぶりに家から持ってきた飲み物を、家に着くまでに飲み切った気がする。俺の夏、1日でペットボトル2本は飲み干して、帰りに我慢できずに缶ジュースも買っちゃう、みたいなのがデフォだったのに。夏がおかしくなったのか? それとも俺がおかしくなったのか?



 家帰ってからお風呂に入るのが面倒くさく、つい入る前にダラダラしちゃって、夜のスケジュールが後倒しになってしまいがちだった。でも今日、その悩みを解決する方法を思いついたので、この日記を読んでくれた貴方には特別に、お教えしようと思います。



①家に帰る

②とりあえず全裸になる

③全裸になったらもう風呂に入るしかないので、風呂に入る


 ……以下、Q &Aのコーナーです。


Q. そもそも、風呂に入らず部屋でダラダラしちゃうっていう前提がありえません。貴方の服は、体は、外の菌で大変汚れているのですよ。今の時期なら尚更、衛生にはもっと気を違うべきはないですか?

A. すみません


Q. その全裸になるという行為がダルいんじゃないんですか?

A. 確かに


Q. むしろ全裸になってからダラダラしちゃいます

A. そうなんだ



 今日はこの辺で。明日の『野村の日記』も、生活に役立つおトク情報満載でお届けします!


 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?