歳を重ねて思うこと :アイルランド留学【58日目】

誕生日を迎えて26歳になりました。

去年のちょうど今頃、留学に行く決意を固めたことを思い出します。

それから仕事と並行して英語の勉強をはじめ、あれよあれよと言う間に今に至ります。一年って本当にあっという間ですね。

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誕生日を迎えたといっても、実際毎日歳はとっているので、別にこの日を特別視する必要はないとか斜に構えたことを思っていた時期もありましたが、数年前に叔母が病で亡くなってから、無事に一年を生き延びるということは当たり前のことではない、ということを感じるようになりました。

命はいつ、どんなタイミングで尽きてもおかしくないのです。だからこそ、健康に一年間を過ごせたことを讃える為にも、誕生日を祝うことは大切なんんだろうなぁと思います。

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一方、最近は、金融庁が「年金だけでは足りないので老後の蓄えは2000万円必要」といった声明を出したり、トヨタの社長が「終身雇用は難しい」といった発言をしたりと、今後の人生100年時代に対する不安が募るようなニュースが相次いで出てきています。

それを聞くと、今のうちに蓄えをしなきゃ、とか老後を恐れてなんとなく毎日が不安になります。老後にしんどい暮らしをするのはもちろん嫌ですが、私たちは老後のために生きているわけではありません。本来喜ばしく思うべきの「長生き」のせいで、健康で若い年代のうちから不安を抱えて生きことを強いられるのはなんとも皮肉です。

「長生き」のせいで高齢化はさらに進み、医療費なども積み重なって財政はさらに悪化し、かつ新しい知識や技術を理解できない人たちが権力者として社会に残り続けることになると思うので、日本の経済成長もどんどん鈍化していくんだろうなぁと思います。

その後始末をそのまま引き受けるのがまさしく私たち世代になることは目に見えているので、本当に希望のない時代に生まれてしまったと思います。

もしも、寿命がだれしも一律「50歳」までだったらどうなるんだろう、という少し物騒なことも考えてしまいます。

少なくとも、今日本が抱える高齢化から生じる財政問題は全て解消できそうです。私たちの不安も消えそうです。

そして、残りの寿命もわかるので、もっとみんな毎日を必死に生きて、それぞれの人生が充実し、社会も活性化するんじゃないかなぁとも思います。

上の世代の人たちの知識や経験も、本や動画などいろんな媒体で残せ、誰でも簡単に安価にアクセスできる時代になっているので、その辺も問題なさそうです。

一方で、当たり前ですが、その仮定でいくと、自分の両親とかもすでに寿命を迎えてしまうのでそれは嫌ですよね。笑

そして自分がその年代になったとしたら絶対もっと生きたいとは思うので、個人としてみると受け入れがたい仮定です。

個人の集合体が社会のはずなのに、社会にとっての「良い」と個人にとっての「良い」が相入れないのはなんだか不思議だなぁと思います。

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とりとめのない文章になってしまいました。

一言でまとめると、「26歳も毎日しっかり生きる」ということですね。笑

たとえその日が最期の日だとしても、仮にめちゃくちゃ長生きしても、悔いのない人生を送るとしたら、「今日」を必死に生きるしかないよなぁと思います。

「今日」の集合体が過去になり、そしてこれからの未来になります。

今日の「良い」は、未来の「良い」と仲良くできるといいなぁ。








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