まだ「今年」を生きている

この時期になると、「今年はどんな一年だったか」、「来年はどうするか」なんてことを考える人も多いだろう。

私もそんなことをぼんやり考えていた。仕事で表彰されたり、アプリ作ったり、TOEIC830点取れたり、なかなか頑張った一年だったなぁと。

しかし、ここである事に気付いてしまった。

「まだ今年は終わっていない」

今日をカウントしなかったとしてもあと2日間はまだ「今年」なのだ。

漠然とした未来、将来に夢見ながら、結局「今」何かをするということを疎かにしているのではないか。

ここで一丁前に悦に浸って振り返りなんかしてしまったら、また来年も同じ場所にいるような気がする。

今年とか来年とか年月には区切りがあるが、それは人間が便宜上定めたルールに過ぎず、実際には連続した時間がひたすらに流れているだけなのだ。

どんな時だって、手を動かすのは、一歩を踏み出すのは「今」なんだ。その今が積み重なったのが「今年」の自分であり、「来年」の自分になるのだろう。

そんなことを思いながら、台所に溜まった溢れんばかりのペットボトルと空き缶の山を眺めていた。

ゴミ出しのタイミングを逃しまくった「あの日の自分」という「今」が積み重なっていた。

ずっと目を背け続けていたが、とうとうこいつと向き合う時がやってきたのだと感じた。

こいつを片付けるのは来年じゃない、「今」なんだと。

覚悟を決めて、水洗いしてから、近所のスーパーの資源回収ボックスに叩き込みにいった。

「こいつ、尋常じゃない量のペットボトル持ってきやがったな」とでもいうようなおばちゃん達の怪訝な目とは裏腹に、晴れやかな気分になった。

来年の抱負は「こまめに捨てる」

すこぶるハードルが低い。


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