『37seconds』に対する薄暗い感想

前半の描写があまりにも辛く、「優しい」「明るい」「勇気をもらえる」作品として受け取ることができず、どうしてもネガティブな解釈ばかりが多くなってしまったが、作品としてはとても好きだった。

ネガティブな解釈が多くなってしまう理由としては、前半の描写について、障害者に向けられる視線というだけではなく、「一般的に魅力的とされている容姿を持たない女性への視線」として捉えてしまっていた部分があったからかもしれない。

親がユマに対して使う赤ちゃん言葉のような声かけや、無意識のうちに自立を制する描写、過度な心配がユマの傷をより浮き彫りにする描写が特に印象的で、
意図的ではなく、母親の純粋な心配が結果として「大丈夫だよ、誰も私の事なんか見てないもん。」と、1番自分で口にしたくないことをわざわざ言葉にして言うことをユマに強いてしまうシーンが本当に辛かった。

しかし母親が諸悪の根源というわけではない部分がまた辛い。
もちろん、娘に対して依存的な部分は認められる。
「本当にユマのことを大切に思っている」からこそ、その純粋な心配を突っぱねることで罪悪感が生じ、その罪悪感はユマに「母親から支えを受けなければ生きられない弱い存在」という立場を押し付けるという悪循環。
しかし、言葉にできない感情からSAYAKAの母と同じエレベーターに乗れない母親もまた一人の人間であり、強く生きることを強いられるシングルマザーの存在についてもまた寄り添いの必要性を強く感じる。

この映画では、ユマがそういった縛り付けから自ら一歩外の世界に踏み出す様子が物語の軸となっている。
立場の押し付けを甘んじて受け入れるだけでなく、自ら脱することの尊さは強く感じられた。それが美しいだけのものではなく、多くの失敗を含んでいるという描写は、自分自身があまりにも失敗を恐れながら生きていることを考え直すきっかけとなる気がする。

また、「障がい者だから」という偏見でひとくくりにできることは何一つないということを改めて強く認識した。
それは「O型だから」「蠍座だから」という理由で人をくくれないのと同じこと。それ以外のたくさん複雑な要素によって構成される、ただの一人の人間だ。

逆に言うと、ユマが今まで傷ついてきた分、周りに優しく素晴らしい人間かというと、そうとはいいきれない。

作中、母親の弱さや愛情に対する想像力は、母親のいない環境で育った双子の姉ユカの方が豊かだったと受け取ることができる。
母親の過保護を「誰よりもあなたのことを思っているから」とユマに伝える人間が、母親のいない家庭で育った実の姉ユカでよかった。


優しい人間が周囲に増え始める後半部分があったからこそ、この映画が優しく明るい印象を残す部分はあるだろう。
どこまでもついてきてくれる男性の都合など、細かいツッコミどころを挙げたらキリがないが、まあその辺は特に突っ込む必要もないと感じた。



重要だったのは性体験をはじめとしたその行為そのものではなく、自分の興味あるものに対して踏み出していく姿勢だったという解釈でいいのだろうか。
何を以て人間的な厚み、深み、十分な経験と言えるのだろうか?と考えてしまう部分もあった。

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