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私と看護とスピッツと

私とスピッツ

先日、TOHOシネマス池袋にて『劇場版 優しいスピッツ a secret session in Obihiro』を鑑賞しました。同作は、2022年にWOWOWにて放送されたスピッツのライブ番組に、メイキングやアフタートークを追加して劇場公開された映画作品です。

スピッツの曲の素晴らしさはもちろん、レコーディングを覗き見るようなカットの数々や、4人を俳優として描き切った松井大悟監督の覚悟と技量に脱帽してしまいました。TCXの巨大スクリーンやDolby Atmosの重低音も相まって、本当に素晴らしい映画体験でした。

スピッツの曲を聴いていると、しばしば思うことがあります。それは、草野マサムネの紡ぐ歌詞は、私たちを無責任に励ますものではなく、どこかこう、心にそっと寄り添ってくれている、というものです。

なぐさめで崩れるほどの ギリギリをくぐり抜けて
一緒にいて欲しい ありがちで特別な夜

スピッツ『紫の夜を越えて』

どんなに相手のことを思ってかけた言葉であっても、人は優しい言葉で傷つくことがあります。そんな中、相手が本当に望んでいるのは、ただ“一緒にいる”ことなのではないでしょうか。

私と看護

私は現在大学4年生で、看護の勉強をしています。いまは4年間のすべての実習を終え、一息ついているところです。入院中の患者さんと関わる看護学生には、しばしば“患者の話を傾聴し、共感する能力”が求められます。

実習での経験から、私は安易な共感に懐疑的な立場をとっています。なぜなら、本人の痛みはその人にしかわからないからです。もちろん、患者さんの立場に立って、本人が感じている痛みを理解しようと歩み寄ることは大切だと思います。しかし、数日、あるいは数時間会話した程度の学生に、自分の痛みを理解した気になられたら、患者さんはどう思うでしょうか。

私は来年から精神科の病院で看護師として働きます。今まではお金を払って学習する立場であったのに対し、これからは看護師としてお金を貰って看護を提供する立場となるのです(これは、精神看護領域の実習でお世話になった先生からいただいた言葉です)。理想と現実との乖離に苦しむこともあると思いますが、“患者の心に寄り添う”とはどういうことか、自分なりに考え、看護を実践していくつもりです。

私と看護とスピッツと

こんなことを考えながらスピッツの曲を聴いていると、ふと思うことがあります。それは、“スピッツの曲、めちゃ自分の看護観とマッチしてないか?”ということです。患者の言葉に安易に共感するのではなく、相手に興味・関心を寄せながら話を聞き、自分にどんな介入ができるか考える。これが4年間の実習を終えた私の看護観です。

看護学科に通っていると、こんなことを聞かれることがあります。“あなたにとって、理想の看護師像は?

今の私ならこう答えます。“私の理想の看護師像は、スピッツです


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