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オリエンタルデパートの誕生と終焉

前回より続く…)

アジアの東端の日本の最北の北海道の東端の釧路の歓楽街でスナックビルを運営している「中の人」です

どうもこんにちは

前回の記事で「三井不動産の不良債権だった旧オリエンタルデパート」について触れましたが、そもそもどうしてオリエンタルデパートは不良債権になってしまったのでしょうか??
ということで建物の誕生から追ってみたいと思います

※※※

「オリエンタルデパート」は地元の有力者の出資のもと、1967年12月に華々しくオープンしました

1967年というと小田急百貨店新宿本店や東急百貨店渋谷本店の開業計画に見られるように百貨店ブームの幕開けのような年であり、その波は北海道の東の地方都市にまで波及したことが窺えます

オリエンタルデパート開業のごあいさつ文

フロア構成は

地下1階 食料品・純喫茶・軽食堂
1階   洋品雑貨・商品券
2階   紳士服・子供服・時計・貴金属
3階   婦人服・手芸用品
4階   金物・文具・レコード・スポーツ用品
5階   陶漆器・室内装飾品・玩具
6階   大食堂・美容室・熱帯魚
7階   遊技場・催事場
8階   スカイラウンジ

と、よくあるデパートのフロア構成とほぼ同じです(最上階のスカイラウンジというのが気になると言えば気になりますが…)

それではオリエンタルデパート各フロアの様子を眺めてみましょう⇩

【地下1階】クリスマスシーズンとあってショーケースのケーキも華やか
【1階】面影ありますねー 今も昔もエレベーターの位置は同じなのです
【1階】このエスカレーターいまは階段になっています(画像中央にパーマンのキャップが!)
【1階】末広歓楽街側のエントランス 扉の先は建設中の「丸三鶴屋デパート」
【2階】子供服売り場 キューピーさんの扱いが雑ですw
【3階】婦人服売り場「モードの庭」 ネーミングセンスが秀逸!
【5階】玩具売り場 どなたか画像手前の「オートファクトリー」についての情報をくださいw
【6階】デパ食といえば万国旗が飾られたお子様ランチに憧れました!
【7階】やっつけ感がただようゲームコーナー…

そしてデパートとしては異質な8階スカイラウンジ
週末になると市内外の有名無名のバンドマンの演奏に合わせてゴーゴーダンスを踊る若者で賑わっていたようです
なんてハイブリッドなデパートでしょ

【8階】いまあったら間違いなく流行る!この時代に生まれたかった!

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当時の釧路市の人口は右肩上がりの19万人、基幹産業の水産業も水揚げ日本一と百貨店業界にとっては追い風のように感じます

ところが!ところがです!なんとオリエンタルデパートはオープンから3年足らずの1970年3月、運営会社の倒産により突如としてデパートとしての役割を終えることとなりました
あのいささかやっつけ感のあるプレーランドも大食堂のお子様ランチもヤングに人気のエモいラウンジも、わずか2年4ヵ月の命だったのです

オリエンタルデパートに行ったことのある人の話はちょいちょい聞くので、まさかこんなに短命だったとは思ってもいませんでした

倒産の真相についてはもはや知る由もありませんが、とある関係者が言っていた「経営陣のなかにプロの百貨店プレイヤーがいなかった」ことが一因なのかもしれません
またある生き字引さんは、オリエンタルデパートの立地は戦前までは道路であり国鉄の線路から釧路川まで一気通貫していたものの当時の市政トップの鶴の一声でデパート建設が決定
道路をふさいでしまったことが風水的に良くなかったと言っていました(なんとも眉唾ですが…)

オリプラの幅は付近の道路幅と同じなのです!

そしてオリエンタルデパートの建物は建設未払い代金のカタとして三井建設株式会社に移り第2の人生を歩み始めることとなりますが、その先には更なる混迷が待ち受けていたのでした…

※※※

ちなみにオリプラには今でもデパートの片鱗が残っていて、裏階段のステップには「ドリームランド(プレーランドの後継かな?)」のプレートが現存しているんですよー

全世界的に有名なキャラを平気でパクっちゃうおおらかな時代よ

次回に続く…)

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