見出し画像

他者へのNOを言うことについて

ラインオーバーされそうになり、モヤモヤ感を感じた

もうすぐ大晦日。ルームメイトと一緒に家でディナーをする約束をしていたけど、私が彼らに紹介した友達を招いたら?と提案された。私は「彼女に聞いてみるね」と言いつつ、先延ばしにしていた。あまり乗り気ではなかった。

なぜなら

・カウントダウンパーティやそれ以外の友達と過ごすかもしれず、予定をフレキシブルにしておきたかった。

・ルームメイトカップルと、私の友達と、人数が多いと気を使うことも多く疲れてしまうと思ったから。

その後も「聞いてみた?彼女は来るの?」と繰り返し聞かれて、ストレスというか、モヤモヤが溜まった。

昨日彼らがクリスマスで家を空ける前、「やっぱり3人で過ごした方がいいのでは」と話し合うことができ、一件落着した。心から安心した。

NOを言うのが難しかった出来事を振り返ってみる

私はNOを言うのが苦手であり、克服中だ。どう言う場面で苦手で、実際に他人に服従したこと、結果的にNOを言えたがラインオーバーされそうになって苦しくなったことを書き、自分と向き合ってみようと思う。

NOを言えずに従ったこと

東京で父と二人暮らしするように祖母と母に言われたこと
→おかげで素敵な時間を過ごすことができたが、自分という人間を確立させていくのはこれから。

ドイツのホストマザーが「私の地元に行って家族と知り合いたい」と言った時

→興味を持ってもらえるのは嬉しかったけど、その頃家族との距離感が今よりも難しく、翻訳も一人で負うことで、とてもストレスだった。

ドイツの遠くに住む友達が、私のドイツの部屋に泊まろうとした時。一度断ったのにしつこかった。

→お土産もチョコ「みんなチョコ好きでしょ」(私は好きではない)で、ご飯の買い物も私が負担で、ベッドをシェアする事になり、(本当は一人で寝たい)苦しかった。

興味のないライブや美術館に誘われ言った時

→当たり外れもあるかもしれないけど、やっぱり自分で心から「行きたい!お金を払う価値がある!」と思える時がベストだと思う。

写真を撮って、送ってと立て続けに言われること。

→写真を撮るのは好きだけど、自然体の人を撮るのが好き。頼まれて撮るのは好きじゃない。くれくれ星人に急かされるのも好きじゃない。私だって撮ってほしい。それがうまく言えない。


東京に友達が泊まりに来た時
→上記に似たようなストレスが溜まった。その後も頼んできたが、その際は断ることができた。

結果的にNOを言えたこと


その後、ドイツに友達が泊まりたいと言ってきた時
→自分の領域を守ることができ、満足している。

家族や友達のグループラインへの加入
→グループごとが苦手なので、抜けることができ、スッキリしている。

私がYESマンだったから、私のことを蔑むことを言ったりしたり、私の話をちゃんと聞いてくれなかったり、価値観を否定した友達を、10年来の関係だから、地元の子だからという理由だけで、親友だと思っていたこと。

→ある時ふと今までの思いを手紙に書いて、その後会って話して以来、ソーシャルメディアでの交流もない。その子を傷つけてしまったかもだけど、私の傷も理解してほしい。

なぜNOを言うのが苦手だったか

やっぱり大きな原因はNOを言って嫌われたくない、これまでの関係性を壊したくない、ということだと思う。あまりにもダイレクトにNOを言うのも好きではないが、他人への依頼へのNOは自分の権利へのYESになることもあるから、いう練習をしていきたい。自分の権利を尊重してくれず、それで離れていってしまう人はそもそも、これからも関係性を続けたい人だろうか?そんな人間関係、手放してしまっていいと思う。本当に心から理解のある人との関係を作っていきたい。この世界には本当にたくさんの人がいるのだから、無理な関係に依存する必要はないと思う。

何に対してNOを言いたくなるか

私は何に対し、自分と他人のラインオーバーを感じるのかまとめてみる。

・他人が泊まろうとしてくること

→一緒に公共の場所に泊まり、様子を見てからなら考えられる。あとゲストルームがある場合。自分の部屋は自分にとって不可侵、holyな場所。

・くれくれ星人

・お金や物に関し、自分と他人のものをきちんと切り分けてやりくりしない人
→お金やものはすぐ返す。コンディションも借りた時(以上)にする。

・行動のフレキシビリティを奪う予定

このワーク、自分と向き合うのにおすすめです。私も自己理解につながりました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?