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【脱就活】ボクらはもっと自由に生きていい

人生にはレールがある。生まれて学校に通って、就職をして、その中で結婚して子供を産み、老いて死ぬ。これが一般的な人の一生だ。さらに戦後からの日本企業は、大学を卒業してから終身雇用で働き続ければ生涯安定といった側面もあった。派手に転ぶリスクもない一方で、人生が大成功することもない。大多数の日本人はこの平凡な人生を送るのが普通だ。しかも、自分が経験しているから他人にも同じような経験を押し付けてくる日本的な価値感がある。親がこの平凡コースを歩んだら、子どもにも同じような平凡コースを歩んでほしいと思うだろう。また、同世代であっても、レールを外れてしまう人を見かけると、後ろ指を指されてしまうことだってある。ここで言いたいのは「この現状をやめませんか?」ということだ。私たちはもっと自分の人生を自由に生きていい。今回は人生における自由について考えていきたい。


レールを外れることは悪なのか?

まずはどうしてレールを外れてしまうことが悪とされているのか、しっかりと考えてみよう。日本社会ではみんな一緒が基本であって、はみ出したら異端児扱いされてしまう。その理由としては、「考えが変だと認識される」「やる気がないと思われる」などがあげられる。ここも深掘りしてみよう。
考えが変だと認識される
レールを踏み外すということは、人と違うことを考えているのと一緒だ。これを悪い意味で捉えられて、変人扱いされる。小学校のクラスを思い出してほしい。小学校では集団行動の大切さを学ぶ。そこで誰かが他の人と違うことをやっていれば、先生からよく怒られていたのを目撃しただろう。根底にあるのはこの価値観で「他の人と違うことをやってはいけない」と私たちは教わってきた。だから大人になっても世間のはみ出し者を見ると、「あの人は変わっているから近寄らないようにしよう」と考えてしまうのだ。ある種の偏見ではあるのだが、一度根付いてしまった価値観はなかなか変えられない。
これに対する対策は実際のところほとんどないと思う。世界を見渡せば2通りの解釈を行っている国があると思う。ひとつが欧米型で、個人の価値観を大切にする考え方。一人ひとり考え方が違って当然なのだから、誰が何を考えていようと相互に干渉はしないパターン。日本も欧米の考え方の影響を受けて、この考え方に近くなっている気がする。しかし、まだまだお互いがお互いを気にしているのが現状だ。
その一方で、アジア型であればお互いをお互いがリスペクトする考え方。こちらはタイでよく見る。微笑みの国であるタイの宗教は仏教だ。仏教の教えの根底にあるのは他人を思いやる慈しみの心。だから他人のことを受け入れやすい土壌が整っている。日本もこちらの社会に近いがやや差異もある。どちらかと言えば、相手の顔色を伺いながら自分も変に思われないように、お互いが配慮して無難な印象になるように擦り寄せている。ここに息苦しさを感じているのが今の日本人だ。また、欧米の影響もあって個人化も進んでいる。
日本社会が個人化に振り切れるか、タイ社会のように振り切れるか時間がかかる上に簡単なことではない。だから基本的には自己防衛が一番だ。他人の人生を気にせず、自分の人生も好きなように生きる。そういった旧来の「人生はこうあるべき」という考えから脱却して自由に生きてもいいのではないだろうか。
やる気がないと思われる
もし、一般的な人生のレールから外れると、変人扱いされて信用がなくなる。平成の時代には、好きなことをやって生きる「フリーター」がひとつの社会現象になった。その時から好きなことで生きるのは魅力的であったのだが、一方で非正規雇用による貧困も話題になった。正社員になって働くよりも生涯年収はずいぶんと低くなる。若い時はそれでも問題ないかもしれないが、歳をとってから貯金もなくてこれから就職できる働き口もないという悪夢に見舞われる。「好きなことで生きる」という甘い文言に惹かれてフリーターを選んだ若者の末路として、この人生が定型化されている。そのため、就職しないと、どうせ人生を楽な方へ逃げてきたやる気のない人間だと見なされることがある。
こちらも同様に社会に根付いてしまった価値観なので、簡単に変わることはない。しかし、日本経済を全体で考えてみてほしい。全体を見ると、日本人全員が貧しくなっているのだ。昔のように非正規雇用と正規雇用であからさまな格差があるという社会とは異なり、確かに両者に格差はあるが両者の収入がどちらも増えていないという根本の問題がある。最近では「同一労働同一賃金」というスローガンのもと、非正規雇用と正規雇用の格差もやや是正されつつある。しかし、そもそもの労働者全体の収入が増えないという大問題が横たわっているのだ。さらに正規雇用で稼いでも近年上がりつつある税金によって手取りはどんどん減っていく。もしかしたら、そのうち非正規雇用と正規雇用の収入の違いが手取りで見ると変わらなくなる可能性もある。
さらにフリーランスも最近増えていることから、就職しないという生き方も徐々に広まりつつある。だから単純に「やりたくないことから逃げてきただけの人」というネガティブなイメージも改善しつつあるのではないだろうか。

でも、この流れはフリーランスが減ったり少なかったりすると、途絶えてしまう。社会の流れを見ると、そういったことはないはずだが、みんなが勇気を出してフリーランスになれば、大きな社会の流れも変わるだろう。ひとりで悩んでいるのではなく、みんながそれぞれ悩んでいるのだ。だからひとりの決断が、数多くの決断に変わるだろう。一人ひとりが勇気を出して一歩を踏み出そう。


ご飯を食べられるお金があれば大丈夫

人が仕事をする目的は何だろうか。いい車に乗ったり、家を買ったりすることは否定しない。しかし、もっとも重要な事はご飯を食べていけることではないだろうか。そこをクリアさえすれば、さまざまな欲望はあれど、健康的な生活は確保できるはずだ。だから就職しない生き方の最初の目標設定としては、ご飯を食べていける収入を確保することに設定することが好ましい。
生活する上で必要な費用は20万円
では、ご飯を食べていけるだけの収入はいくらになるのだろうか。結論から言えば、5万円から20万円の間だと思う。実家で暮らしている人ならば月5万円ほどあれば暮らしていけるが、都会であれば20万円程度になるだろう。ちなみに東京で暮らしていて、生活保護を受ける場合、健康で文化的な生活を送れる月額のお金はおよそ13万円だ。そのため、最低限の目標をまず5万円、そして一人暮らし用に中間の目標を13万円、最高の目標を20万円として設定するとよい。
セブンポケットを意識するべき
20万円をどうやって手に入れるか?という話になるが、これには工夫が必要だと思っている。アルバイトやパートで働く場合、週4や週5で働いて、その勤め先から10万から20万円の収入を手に入れることになるだろう。しかし、会社に依存することなく、個人で生きる場合には考え方を変えなければならない。毎月3万円を生み出せる案件をいくつか確保するのだ。3万円の収入源が7つあれば、21万円となる。こうすることによって収入が分散するので、何か一つの収入源がなくなってしまっても安心であるという考え方だ。この考え方はセブンポケットとも呼ばれており、複数の小さな収入源を確保することの大切さを説いている。個人で生きる場合、何が起こるかわからない。会社勤めならば病気になってもある程度は会社が守ってくれる。また、プロジェクトが終わってもいきなりクビになるということはない。しかし、個人で仕事をすれば、プロジェクトがいつ終わるかわからない。いつ失業するかわからない恐怖に襲われる。だからこそ、時間や労力的に依存しないような仕事、つまり小さく隙間時間で稼げるような仕事を見つけていくつかを集めた方がリスク分散になって時間と精神的な余裕が生まれる。「タマゴはひとつのカゴに盛るな」という格言があるが、それに似てひとつの収入源に依存しない方がうまくいく。

まとめ

就職しないことで起こりうるデメリットと、なぜ就職しない選択肢が許されないのか考えてみた。また、それと合わせて個人で生きる方法も合わせて理想を述べた。やはり、就職しないとなれば、社会的な信用が失われることがリスクだろう。どうしても、就職しないとネガティブなイメージがつきまとう。それに伴い社会生活にも影響が出る。この流れはもっとフリーランスなどの生き方が浸透しなければ変わらないだろう。その一方で個人で生きる場合、月に20万円の収入があれば十分だ。そして、その収入も分散させることでリスク軽減となり精神的にも楽になる。就職しない生き方を浸透させるには、ひとりではできない。だからみんなが歩調を揃えて個人で生きることを選択する必要がある。そして、小さい収入源を重ねていけば何かあっても大丈夫であり次第に大きな収入となるのだ。それでは、次回は個人で稼ぐ代表格とも言えるノマドの魅力について話したい。


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