見出し画像

あなたはBさん 照明です。

さまざまな階層の人びとが行き交うTwitterのようなツールが普及することによって、情報の受け手のリテラシーが以前より問われるようになった。

はい、そんな感じで結論から述べてみました。Twitterでの主語が大きい問題を見ていて私が感じたことです。はい。「人が言ったことをそのまま受け取るんじゃないよ…アンタ、そんなんじゃそのうち高い壺…じゃない、無益な月会費5,000円のサロンなんかに入会させられちゃうよ!!」といった具合です。

というのも、人の言ったことをすぐに信じる人が多過ぎると感じたからなんですね(私の周りだけでしたらそりゃ失敬)。これは、ポジティブに受け取る人もネガティヴに受け取る人も、ある種では同じです。

例えば、フォロワー数5,000とかの米駐在員Aさんが「アメリカでは日本と違って〇〇です!」みたいなことを言った時にですね「いやホントそうっすよそれっすよ!今までモヤモヤしていたのが腹落ちしました!」ってポジティブに受け取る人と「何ですかそれ、それだから日本はだめだって言うんですかこれだから出羽守は…」みたいな人は割と一緒ってことですね。

ある意見を受けて無条件に「丁か半か!」とジャッジしてしまう人のことを申しております。この場合、害悪となってしまうのは明らかにAさんが悪いのではなく、情報の受け手のリテラシーが低いのだということを申したいのです。

Aさんが〇〇と言ったことによって得られる情報は「Aさんが〇〇と言った」という一点のみ。「〇〇」が事実かどうかはわからない。「Aさんが〇〇と言った」なら、「Aさんは〇〇という意見を持っている人なんだな」と受け取ればいいだけのはずなのに、その「〇〇」に対して異常に怒ったり、めちゃくちゃ信じてしまう人がいるのだ。

面白いのは、その「〇〇」に対して怒っている人も同意する人も、それは多くの場合その人が「〇〇」に対してコンプレックスやそれに近いものを持っていることを暴露してしまっている点だ。恥ずかしい。非常に恥ずかしい。見えちゃってる。私も他人事じゃないです。反対していたはずが自分の考え全部見られちゃってるよ!実は!

もちろん、間違った情報を広めるのは害悪と考える方もいらっしゃるかもしれません。正直もうその辺は玉石混合のインターネット、何が真実かなんて分からないじゃないですか。取り締まれないですよ…というのが私の態度です(そりゃ私だって反ワクチン説とかもう死ぬほど見たくもないですよ)。

そしてここで大事なのは、あくまで「ある意見を受けて無条件に是か非かをジャッジしてしまうのが良くないのであり、当然Aさんが言ったということに関して自分なりの知見から根ほりん深掘りんすることも大事です。そういう意味では議論は読書と似ています。

浪人時代、予備校で小論文の授業を取っていた時に印象的だった講師の言葉が以下。

「馬鹿にしながら読みましょうね」

いやいやいや人のやることなすこと馬鹿にするという態度は私の大嫌いな某国の風潮ではありますが、ここで講師が言いたかったのはそういうことではありません。ありませぬぞ。

受験生なんてケツの青い若造はね、大学なんかの小論文に何か書かれてるとすぐ「そうなのか!そうなのですね!」と信じちゃうんですよ。そんな風に課題文を読んでしまうと、批判的体系的な視点で物事が論じれなくなってしまう。だから、ここで講師の方が言いたかったのは、「一定の距離を持って冷静に読みましょうね」ということなんです。

そしてもう一つ気をつけたいのは、批判というのはその人の人格をボロクソにすることじゃないんですね。どんなに自分の中では馬鹿にしていたって、あくまで「〇〇」という意見に対して(相手も自分の人格もひとまず棚に置いておいて)第三者の視点から「〇〇が是が非か」論じ(て、その意見を昇華させ)るものだと思うんですよね。議論です。批判は否定じゃない。あくまで疑問を投げかけるきっかけです。戦いの火ぶた?違うか。

よって、必ず論破する必要もない。まあどちらも論破する気で考えを巡らせば、より深い考察が得られる可能性も高くなるのでそこは真剣にやった方が面白いのですが、例えばAさんに対してBさんが「いやちゃうで」との批判を物申したところで、カンカンガクガクの議論を重ね、やっぱりBさんが「確かにAさんの言うことも一理あるわ〜」という結末になってもいいんです。

まあ大体「人や場面によるね」とかで片付くんですけど。(当社比)

これは文系大学生が学ぶ際の態度として初歩の初歩だと思うんですがいかがでしょうかみなさん。違いますか。そうですか。

少なくとも私は大学でこういう議論の態度を知ることができてよかったです。私は一般的な日本の公立出身の底辺ビリギャル(ギャルでもない)だったので、小学生の頃から徹底的にディベートをするみたいな教育を受けた経験はありませんでした。「自分と違う意見に対してリスペクトしつつ論理的に意見を述べる」方法を知らなかったんです。今だってもちろん、私も100%そのような態度で議論ができるわけではないですけどね。

そして最初の主張に戻ると、日本人の多くが議論のルールを知らないままでいる。だから日本人は、反対意見をパーソナルに捉えてしまう傾向があり、議論のレベルが稚拙なままにとどまってしまう。…と私は踏んでいる(お茶を濁してみる)。議論のルールを知って(受け手こそがリテラシーを高めて)上手にインターネットと付き合おう!ということです。

分かりやすく言うとですね、誰かと対峙して議論する時は天井の照明になればいいんですね(※画像はイメージです)。

画像1

あれ、分かりやすくするつもりが分かりにくい…!?

言われた意見を直で受け取るのではなく、あくまで「Aさんが〇〇と言っているという事実」を受け取りましょうと言うことだったんですけど…(もじもじ)

以上、

「Aさんが〇〇と言っていた」に関して、一歩下がって見てみればもう少し生きるの楽にならん?多種多様な意見が行き交うインターネットでは受け手がリテラシーを高めなきゃだめよ〜!

という私からのご提案でした。インターネットに憎憎憎しい人がいっぱいいるような方に読んで欲しいけど、そういう人には絶対届かないんですぜ、この文章。笑


サポートで得られたお金は寄付に使わせていただきます。