発信することの勇気

ずっとnoteを書けずにいました。

かつて、自分の考えや意見を発信していきたいという想いを掲げてnoteを始めたのに。

代わりに、日記ノートに思ったことや考えをずっと半年間書き続けていました。

誰も見ない、私と私だけの秘密の対話。


社会に出てから、大人になってしまってから、

核をついた話をすることや、腹の中を話せる相手がめっきり少なくなってしまったことで

きっと自分の殻に塞ぎ込んでしまっていたんだと思います。

怖かった。

自分の思ってることや本音を他人に見せるのが、いつからか怖くなっていたんだと思います。


でも最近やっとトンネルが開け、

もっと人の考えを知りたい!

もっと核をついた話を色んな人としたい!

と再び思えるようになりました。


私には、「おかしい」って思うことがたっくさんあるんです。

日本の政府に対して、昔からの日本の文化に対して、教育に対して、刷り込まれている固定概念に対して、新卒や就活に対して、組織に対して、、、。

問いを立てたいことが山ほどあるんです。

忙しなく過ぎていってしまう毎日に身を置いていると、

そんなことを考える暇や余裕なんてありません。

日常を、目の前の現状を、世の中で起きていることを、

自分の中にある当たり前を、疑おうという考え自体が生まれません。


もっと、わたしたち1人ひとりが叫んでいいと思うんです。

地球環境のこと、ジェンダーのこと、お金のこと、

生きていて苦しいこと、

なんで?って思うこと。

なんで?って思ったのはなんでなのか。

その対象は何なのか。

もっともっと追求していいんです。


わたしたちはもっと、幸せになっていい。

わたしたちはもっと、変化していい。

社会のレールから外れたっていい。

もっと心を自由にしていい。

それに若くして気付いていい。


私は、そういうことを、これからの若者に伝えていきたい。

わたしが発信していくことで、

ふと、何かを考えるきっかけや、物事を疑うきっかけになってくれたら。

何かが変わっていくかもしれない。


そのためには、コツコツと、書き続けなければいけないのです。

すぐには届きはしないこんな小さな声を、発信し続けていかなければいけないと思ったのです。

note上だと

そんな、大げさな、ってちっぽけに見えてしまうかもしれないけれど

普通の日常の世界で、顔も知らない人へ自分の中身を知られてしまうことは

とっても勇気がいることだと感じます。


その恐怖を超えてでも、やっぱり、私は、

自分の言葉で書きたいって何度も思ったんです。

そのために生まれてきたという謎の使命感さえも感じています。

だったらやりたいこと、やるしかない。

ワクワクして生きていたい。

私みたいに悩む人が、もっと、ワクワク生きれるように。


うまく、まとまらないけれど、

とにかく言葉として、文字として、

この気持ちを残しておきたかったので取り急ぎ。


少しずつ、少しずつ、前に進んでいきます。



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