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大学教授オファーを辞退した件について

前回の記事において

なんとテニュアトラック教授のオファーを頂きました(!)最終的にはこれを断腸の思いでお断りすることになったのですが、この部分だけでもかなり非自明ですので、別記事として書かさせていただきました。

テニュアトラック教授のオファーを頂いていたことを初めて公言しました。この記事ではこれについて掘り下げたいと思います。

私の研究分野は素粒子理論(以下、素論)で、前記事にもあるような公募戦士でした。その中で、中国の国立大学からテニュアトラック教授のオファーを頂きました。かなり戦士ティブな話題なので、オンラインでの言及は積極的に避けていたのですが、聴きたいという声も多数頂戴していることから書ける範囲で公開した方が良いとの判断の上でこの記事を書きました。

当時の状況

当時の私は日本の国立大学助教(任期5年)の4年目の冬でした。それまでは国内の大学にこだわり公募に応募し続けたのですが、全敗。そして最終年度の5年目にはほとんど国内教員公募が出ないだろう、という噂が広まっていたため、大急ぎで家族と相談し方向転換。そこから海外で大学教員になることを目指しました。今となってはさほど驚くことではありませんが、中国のアカデミアが日本より環境が良いということを知り、中国の当時の教員公募の全てに応募しました(書類は全て英語でOKでした)。それと並行して、欧米の研究分野がドンピシャな場所にも全て応募しました。

蓋を開けたら

中国の各大学に応募して早々、かなり多くの大学から何らかのリアクションを頂きました。簡単にいうと「日本から出ないだろうとされていた人材が自発的に中国に応募してきた、チャンス!」という感じで、中国の各地で私の奪い合いが始まりました。これは、すでに中国にいる多くの日本人研究者の方々が私の良い噂を広めてくださっていた影響だと思います。大変感謝しております。そして、とある中国の国家重点大学にて、faculty positionの公募がありました。私はこれを、テニュアトラック准教授だと思い応募したところ….

最終面接(コロキウム + closed 面接)の結果、あなたにtenure-track Professorをofferします、というメールがきました。お給料は業績ボーナスを抜いて日本円で900万円、研究費は3000万円の規模を用意している、とも書かれていました。ただしこれはテニュアトラック6年間がついていて、この期間に辞めることはできません、とも。

周囲の反応

当時の私には中国広しといえども流石にそこまでの業績はないため、完全なるポテンシャル採用となります(特任助教から教授への昇進なんて聞いたことありません)。また、当時私は33歳でした。その後誕生日を迎えるとしても34歳で教授になることになります。これはもはやSTEINS;GATEの世界です。ちなみに、オファーを私にくれた中国人教授も同じ年齢でした()。
また、当時は日本のお給料とスタートファンドしか知らなかったので、この額には腰が抜けました。

周囲の若手研究者の反応としては、基本的には、YOU教授になっちゃいなよ!そして最年少教授として中国で羽ばたいてよ!というノリでした。

一方で、シニアな研究者は「テニュアトラック6年間がついていて、この期間に辞めることはできません」という縛りはよく考えた方が良いよ、というアドバイスが大半でした。それもそのはずで、私には子供がn人います。6年縛りがある以上、現地で小学校までは最低でも進学することがわかってたためです。また、ポテンシャル採用ということも知られていたため、もう少し地に足のついたポジションのが大きな業績が出ると思う、というコメントも頂いていました。

現実の問題として

実際のところ、大学教員のオファーを断ることは基本的にはこの世界ではNG行為で、基本的には他大学の教員オファーによって初めて相殺することができます。従って、これ以外からオファーがこない場合、私や周囲がどう考えようとも、自動的にそこに行くしかないのです。

最終的には

(途中の詳細は組織が怖くて全く言えないのですが、)最終的には中国の一流研究費の内内定を頂きつつ、中国の世界一研究所のテニュアトラック准教授に就くことになり、上述した国家重点大学のオファーは丁重にお断りすることになりました。お給料は国家重点大学よりかはダウン、一方で研究費はアップです(え)。

やはり、最終的には家族を引き連れて日本の大学に戻るという選択肢を残したかったため、その要求を快く快諾していただいた研究所(言い換えると、流動性の塊みたいな場所)に決めました。結果論ですが、この選択は功を奏しました。

まとめ

  • 中国では素論であってもアカデミックポストが潤沢である

  • 中国のアカデミアには夢がある

  • 周囲のアドバイスは大事

  • 可能性を残す・増やすためにも、出ている教員公募には全て出しておくのがやはりベター

あの時あっちを選んでいれば…というような思いはあります。後悔ではなく、最年少教授だったらどのような宇宙に発展していったのだろうか、という思考実験に近いですが。

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