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OBOG「自然とやって自然とうまくいく」あり方の探求


<プロフィール>
田幡祐斤Tabata Masanori
・企業向け人材・組織開発のコンサルティングのベンチャー
・2012年度 地域生態システム学科卒
環境文化史研究室
<所属してたサークル>
Rough
ケサディーヤ


―――田幡さんはどんなお仕事をされているのですか??

ボリュームの差はあるけど、三足の草鞋で活動しています。一番力を入れているのは、企業向けの人材開発・組織開発のコンサルティングの仕事です。具体的な仕事内容としては、企業の経営層や人事部の方たちと一緒に、“人”に関わる課題を整理したり、方策の企画・実施をサポートしたりしています。
2つ目は、学校や行政機関、一般の方たちに向けた環境教育促進の活動をしています。この活動では、Elsaっていう非営利組織で理事を務めています。
3つ目は、ワークショップデザイナーやファシリテーターとしての活動で、かっこよく言えばフリーランスですね(笑)。
先ほど言った2つの名刺で引き受けるのがしっくりこない依頼や、仕事ではなくて趣味の範囲で受けた方がいいと判断した時には、個人名義での活動にするという感じです。
社会人としては今8年目なんだけど、実はもともと新卒でレディースアパレルのセレクトショップで販売員として働いていて、店長まで務めて3年半勤務した後に転職しました。

―――なぜ、転職しようと思ったのですか??

そもそも販売の仕事を始めた理由が、どんな仕事をするにしても、シンプルにモノを売れるようになることが大事だと思ったからです。だからまず、販売の仕事を3年くらい満足するまでやろうって考えていました。販売員としてそれができるようになった後、最速で店長になって、店長として働いた店の売り上げは結果的に良くなりました。でも、売り上げ以外の項目が全部下がってしまいました。例えば、仕事のやりがいとか、スタッフの人間関係とかですね。今考えると、「何でみんなこんなできないんだ」とか「自分が正しい」と思って接していたからだろうなと。

そこで、“自分個人が短期的に成果を出すことと、組織レベルで中長期的に成果を出し続けることは求められるものが違うな”って強く感じました。これが人材育成とかマネジメントに興味を持ったきっかけです。それで勉強したい、培いたいと思って、それを生業にできる会社に転職しました。

―――大学生の時に今のキャリアは想像していましたか??

 さっきも言ったけど、モノを売ることは3年間はやろうと思っていて、その後のことは考えていませんでした(笑)。
その時の自分がどうしたいかはその時に考えようと思ってたからです。あと、今でもそうですが基本的に自分は全然中長期的なキャリアプランは持ってません。それから、方法論としての職業にこだわりもなくて、その都度その都度目的を達成するのに適した方法で取り組めれば良いと思ってます。

―――仕事をする上で大切にしていることは何ですか??

 前提として、僕は「自然とやって自然とうまくいく人・組織・社会のあり方とは?」という探求テーマを常に持っています。言い換えるなら、「やるべき」よりも「やりたい」を尊重できる世界のイメージです。だから自分自身がそんなあり方を体現することを大切にしています。もちろん、全然完璧ではないですが。
そのために具体的に意識していることは「やりたくないと感じることは、勇気を持ってやめる」ことです。「やりたいこと」というと、“死んでもやりたい”というレベルから“やってもいいよ”というレベルまで幅があったり、流動的だったりするから、明確に定義したり固定化することって結構大変だと思うんですよね。それに比べると、「やりたくない」はまだ自己認識しやすいし、ストレス源はそこに集中しているはずなので、まずは「“やりたくないけどやる”をゼロにする」という意識や習慣をつくることは効果的かなと感じています。


―――そんな田幡さんの今の興味、関心は何ですか??

1つ目は、人の学習自体に関心があります。例えば、「人ってどんな時に学ぶのか」とか、「人と学びの関係性はどうあるのか」とかです。2つ目は、マネジメントや組織論に興味があります。
「社会全体の発展」と「一人ひとりの幸せ」を同時達成する鍵は、間違いなく「組織(会社)の質を高める」ことです。
逆に「なぜ人は組織をつくるのか?」の答えが「社会と個人の幸せの最大化」とも言えるかと思います。 では「組織の質を高める鍵は何なのか」を考えた時、それは「構成する“人”の学習(成長)やパフォーマンスの質である」と考えています。そんなわけで、結局「学びのデザイン」が自分の関心になっています。
今は、学習の形をアップデートしたいと考えています。今の学習の形って、誰かが学習を管理して、それを教育という形で分配して、みんなが受けさせられるという状況です。言い換えると、学びが個人の外にあってそれを他人に与えられている状況です。でも自分は、学びというものは人間の根本の行動の1つだと思っていて、その根本的な行為を一人ひとりの手に取り戻す行為が必要かなって思っています。

2019年3月24日
文章 上木康太郎


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