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競争社会に競争心は必要か―ゲームが嫌いだった私―②本題

さて、①まえおきが長くなりましたが、最近アドラー心理学が面白いと思っています。
以下3冊を手始めに読みました。




そして、「何なん」読書記録で紹介した『自尊感情革命』『学力格差を克服する』に、非常に通じるところがありました。

劣等感は悪玉ではなく善玉

アドラーは、劣等感に着目しています。
まえおきに書いたとおり、人が集まれば、それぞれ個性があり、能力や得意不得意もまちまちです。
誰にでも、劣っている能力や性質が必ず存在します。
「ああ、自分これできないな、いやだな、恥ずかしいな」
こんな劣等感は、よくないものと捉えられがちですが、
アドラーは、「人間を成長させる良いもの」と捉えています。
いい考えですよね。多かれ少なかれ誰しも感じる劣等感を、「悪だ!」といわれたら、身も蓋もないです。「いいよ!チャンスだね!」といってくれるところに、「勇気づけ」の心理学とも言われるアドラー心理学の一貫した姿勢がよく表れているようにも思われます。

「劣等感が、人生の有用な面へと向かう刺激になりうる」
―アドラー『人はなぜ神経症になるのか』P8

劣等感が悪玉になるとき

でも、劣等感が悪玉になることもあります。
アドラーが劣等コンプレックスと呼ぶ状態です。

「無能感が個人を圧倒し、有益な活動へ刺激するどころか、人を落ち込ませ、成長できないようにするときに初めて、劣等感は病的な状態となる」
―アドラー『個人心理学講義』P45

要は、劣等感をネガティブに捉えたらば、道を誤るということです。

劣等感を克服するには

正しく劣等感を克服するためにはどうすればよいのでしょう。
アドラーは、適切な目標を設定することが必要だと説きます。
そして、適切な目標とは、他者や共同体、社会、あるいは人類が価値あるものと考えているものを実現するものだとしました。
背景には、アドラーが共同体への所属、「共同体感覚」を重要視していることがあります。
完結に言えば、人は共同体で生きることが宿命づけられていて、共同体に貢献することを考えなければならない。人生の課題はすべて対人関係に関するものであり、共同体に貢献していけば、人生の諸課題を解決し、幸せに生きられる。にわかアドレリアンとしてはこのように理解しています。
つまり、共同体の利益を考えて目標を設定し、劣等感を克服していけば、人生を、社会を、より良いものにしていくことができるということです。

相乗効果でヨクなろう

裏を返せば、自分のことばかり考えて目標を定めると、劣等感を上手く克服できず、そればかりか人間関係の問題を誘発してしまうということになります。
まえおきに、書いた、ゲームの話。
この例では、ゲームが下手というのは一つの劣等性です。
不適切な目標
「いつか圧勝してやる、誰にも負けないぞ」という目標を立てて、技術を向上させたとします。
するとどうでしょう。ゲームに勝てない限り、満たされることはありません。上には上がいます。勝てど勝てどえげつないゲーマーが出てきて、負け続ける限り自分が満たされることはありません。傍目には、もう十分すぎるほど強くても、です。そして、強くなるより前に自分が負けた相手に勝って、鼻を明かしたとしても、おそらく空気が悪くなるでしょう。「いつも空気を悪くしてしまう」という劣等性が新たに生じるかもしれません。人間関係もギクシャクしそうです。いずれにしても、正しく劣等感を克服したとはいえません。
適切な目標
他方「みんなと楽しめるようになりたい。そうすればみんなと相互に互いの健闘を称えられる」という目標を立てて、技術を向上させたとします。
すると、仮にゲームに勝てなくても、共同体に属している感覚があって、共同体全体として楽しい雰囲気であれば、非常に満たされることになります。同じ行動をするにしても、共同体感覚を持って、共同体の利益を考えて目標を立てているかが第一義的に重要なようです。前者では、自分のことを考えているようでいて、結局最後まで自分を利することができていません。一方、後者では、共同体の利益を考慮した結果、自分を利することにも成功しています。相乗効果でヨクなろう!ってやつですね(by B’z先生)。

自律的自尊感情が大事

こうしてみると、山崎の言う「自律的自尊感情」とエッセンスがよく似ています。
氏は、他人との優劣で自分が勝っているか、あるいは人に負けないために自分に設定する高い基準に照らして十分か、というような、他律的な自尊感情は、不安定で望ましくない自尊感情だとしています。それはそうですよね。負けている限り自尊感情が高まらないのですから。自尊感情の高低が、相手の状態に大きく左右されます。そうではなく、「自律的自尊感情」が重要と説きました。その要素は次の3つです。

①やること自体に興味を持ち、好奇心旺盛に頑張ることができる(内発的動機づけ)
②他者を好意的に見て、他者からも好意的に見られているという安定した感覚のもとに他者を信頼している(他者信頼心)
③自分に自信があり、有能であると捉える(自己信頼心)


アドラーの言葉を使うと、②の他者信頼心は共同体感覚の基盤であり、これに基づいて適切な目標を設定し行動すればおそらく①の内発的動機づけができているはずです。
外発的動機づけの場合は他者からの評価や報酬、名誉が行動の動機となり、他律的自尊感情やアドラーのいう不適切な目標に親和的なものと思われます。前述の、「みんなと一緒にこころから楽しむためにゲームをやる」というのは、内発的動機づけのように思うのですがいかがでしょうか。
そして、適切な目標にむけコツコツ頑張るためにはかなりの勇気が必要です。アドラーはこうした場面で勇気づけることが必要だとしており、この「勇気ある状態」はまさに③自己信頼心が高い状態ではないでしょうか。

学校はなにができるか

また、志水の言う「C学力」とも共通する要素があります。
志水は、学力をABCにわけ、そのうち第一義的に重要なものは、C学力、すなわち、学びに向かう力・人間性であるとしています。
C学力の要素は ①自尊感情 ②学習習慣 ③目的意識 であり、さらに、よりよい社会をつくるという志向性を備えているとき、真の学力になると説いています。
「よりよい社会をつくるという志向性を持って、目的意識を持って学習する」というのは、アドラーの言う、共同体感覚を持って適切な目標を設定し、劣等感を克服するというのと似ていませんか。
氏は、

・周囲からの保護的働きかけや愛情・承認が、自尊感情を形成する。
・学習習慣や目的意識も、家族・先生・同年代の者・その他地域で出会う人との相互作用の中での経験が蓄積され、形成される。
・豊かな人間関係のもと育つことができる子どもは、育った社会に貢献する気持ち(志向性)を持つ。


としており、このようにしてC学力を育むことが、実はアドラーの言う健全な性格(アドラーは「ライフスタイル」という語を用います。)を育むことになっているのではないかと思います。逆に言えば、アドラーの教えが、C学力の育成に役立つのではないかとも思います。

競争社会を生きるために必要なもの(まとめ)

少し話がそれました。
放っておいても競争社会なので競争は存在します。
だからといって、性格まで競争的になる必要はなく、むしろ競争心はない方が健全に生きられるのではないかと思うのです。「○○に勝つ」という積極的な競争心も、「○○には負けてばっかり」という消極的な競争心も、両方手放した方が競争社会をよりうまく生きられる、ということです。
アドラーの弟子ドライカースは次のように説きます。

―「競合的な人は勝てるときだけ参加する。競合的でない人は、他人が何をしているか気にしないで、自分が何をすべきかをもっぱら考えるので、現代社会の激しい変化の中でよりよく生き残ることができる。競合性は、仲間や、さらには家族をさえ、潜在的な敵にしてしまう。」

「こころの中に、仮想共同体を飼う」ことが、競争社会において他者と良好な関係を築き、健康的に生きていくために必要だ。
ここまでの話を自分なりに表現すると、このようになります。
劣等感に苛まれたり、人間関係(自分の中で他人と比較したりといったことも含めて)でモヤモヤしたとき、こころの中の共同体が言います。「~~してくれたらうれしいな。」
それを聞いて、「~~したら問題を克服し、共同体に貢献できるかもしれない。そしたら相手も自分も満足できるに違いない」と勇気づけられます。
そして、そのとおりにしていくと、こころの中の共同体が「ありがとう」と感謝してくれる。あるいは、現実の相手や共同体から感謝されたり、望ましい行動を引き出せるかもしれません。そして、困難を乗り越え成長していくとともに、他者との関わりの中で幸せに暮らしていったとさ、めでたしめでたし……
そこに、「○○に勝ちたい・負けたくない」という競合的なパーソナリティは存在しません。
Sexy Zoneの「男 never give up」では、「(人生は)ゲームじゃない、勝っても負けてもこの風にまかせよう」という一節があります。
いいですよね。競争じゃないんだと。
「おまえらしくススメ。」等身大の自分を大切にしろと(自己信頼心)。
ジャニーズの曲は、とても勇気づけが上手だと思います。

おわりに

そんなこんなで、競合的なパーソナリティを徹底的に吸い出し、しっかりデトックスして身体に一切残らないようにしようと心に決めたわけであります。過去の私のスマブラ嫌いの背景には競合的なパーソナリティーが見え隠れするように思われます。
では、今、私はスマブラを好きになれるでしょうか。
否、そのためにはやはり①の関門、技術が必要です。
やっぱり、たまには勝てた方が楽しいですしね。
そして、もはやスマブラをする機会もありません。だから、動機づけられません……
結局、嫌いでなくなったとしても、好きにはなれないままかもしれませんね。
(完)

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