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「大丈夫、すぐマヒる!」

仕事人間だった僕だが、唯一心休まるひと時が友達と過ごす時間だった。その中でも特に大好きだった時間が、通称“ゆとり会”みんなとの時間。

ゆとり会ってなに?ってことに関してはこちらの記事から。

年齢が近いこともあるし、この年齢層(25歳以下)でインドにいる人って、なんだか色々な境遇や背景があって来ている人たちが多い。ような気がする。会社の命でインドに来たわけではない人、いわゆる“現地採用”の人たちが多いのもこの世代の特徴だ。

現地採用って、自分で「インドで働くんだ!」という訳のわからん意志(褒めてる)を持って、自分の選択でインドに来た勇者たちだ。その人たちのこれまでの人生は確実に面白いものを持っている(いや、面白くない人生歩んでる人なんていないんだが)。

ある仲良くしていた、僕の2個下くらいで補習授業校で教員をやっていたTくん。僕も元々教員志望。大学は東京福祉大学の教育学部。持っている資格は小学校教諭と特別支援学校教諭。大学4年間通いきり、教育実習も2回行き、完全に先生になる道を歩んでいた。親も当然その道に行くと思っていたに違いない。僕だって先生になると思っていた。だからこそ4年間で500万円くらいの学費を出してくれていた。今となっちゃ本当に申し訳ない。

話が逸れた。
そのTくんは新卒でインドでの教員生活を選んだ。まっすぐ教員にもなれたはずだし、補習校の先生ってめっちゃ給料安い(秋平ほどではない)。なのに、だ。日本での教員生活を選ばずに違う道を歩み始めたもの同士、会話が弾んだ。理解できるところ、理解できないところ、両方あった。両方あったからこそ、一緒に話していて楽しかった。

19歳から家族の都合でインド・チェンナイで生活、社会人をしていたという女性もいる。19歳!?青春真っ只中!きっと日本にいるみんながしたであろう経験を彼女はしてこなかった。でも、何千万人という人ができなかった経験を彼女はしているはず。想像するだけでも壮大で、偉大で、訳分からない。

そんな彼女の一言が鮮明に記憶に残っている。それは僕と拓がインドに来てまだ間もない時期。そのとき既に彼女はインド3年目。ベテラン。日々巻き起こる予測不能な、インドならではの事件を嘆いていた時に、彼女がサラッとこんなことを言い放った。

「大丈夫。すぐマヒる。」

なんだ、この子は。とは思ったが、この言葉が僕らを支える大切な一言になったのは言うまでもない。何かにつけて「大丈夫!マヒるマヒる!」と言って乗り越えてきた。僕が3年半インドに居れたのも彼女の言葉通り「マヒったから」だ。

また、大学院生活をこのチェンナイという地で過ごした人もいた。大学・大学院なんて言ったら超楽しい時期じゃん。自分なんか、めっちゃカラオケ行ってた時期じゃん。それを単身海外で勉強。現地人に混じって現地人と同じ生活水準での生活。おかげで現地語であるタミル語ペラペラ。想像がつかない。凄すぎる。この経験って、話を聞いて「面白いな〜」とは思うけど、きっと彼女にしか感じられなかったことも多々あると思う。唯一無二の経験ってこういうことだな、と思う。

2019年2月。今、チェンナイに残っている当時のゆとり会メンバーは、僕とこの子だけになった。そう、この海外生活中に出会った人たちとは、

いつか必ず、別れなければならない。

帰国という2文字は、僕らには避けては通れない末路なのだ。『いつかこの人とは別れる』と思って人付き合いすることって、僕はあんまりしたことがない。でもこっちだと絶対に意識しちゃう。終わりを見据えて付き合う。

「あ〜、3月で帰国なんだ。じゃあ最後に飲み行こう!」というやりとりが、一年に2〜3回は発生していた。

楽しくて、大切な時間を過ごしてきた仲間たちを、僕は幾度となく見送ってきた。過ごした時間は、日本の友達よりきっと短いけど、ずっと深い絆みたいなもんが生まれてると思う。だって、みんなそれぞれ頑張ったもん。人によって頑張るベクトルは違っただろうけど<20代>という人生で一度しか訪れない大切な時間を、チェンナイという地で一緒に過ごした仲間だから。

ここには書ききれていない、面白い経歴を持つ人たちはまだまだたくさんいた。終わりを見据えて付き合わなくちゃいけなかった関係だからこそ、これからだってずっと続けていきたい、めちゃくちゃ大切な仲間になった。きっと、人生の節目節目で「俺、これからはこんなことするんだ!」って報告しあっていると思う。

これからも頑張ろうぜ。

ゆとり会、万歳!!




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