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PANK PONK magazine vol.8 大切にしているもの

今回は「大切にしているもの」というお題をいただいたので、じっくり考えてみた結果「無い!」という結論が出てしまいました!!

もちろん愛着がある品々もあるのですが大切となると何か違うような気がします。大事にするや大切にするという概念も人と話していると何か僕の大事に仕方は人と少し違うようです。
僕の場合、気に入ったものを大事にするというのは「壊れるまで使う」ということなので、大事にしているからといって特に丁重に扱うということではないので結構雑にぽんぽーんと扱うのですが、多くの人にとっては、お気に入りのスニーカーや車を磨いたり、ケースに入れて眺める、神棚に飾る、特別な時だけ使う、などがどうやら大事にするということっぽいのです。

先日腕時計が壊れたので修理にするか、新しいのでも買おうかなと時計店を覗いてみたら、いい感じのオメガのアンティークの腕時計があったので値段を尋ねたところ13万円程でした。ロレックスやオメガなど高級時計に興味を持ったことはないのですが程よく高級な値段と程よく品のあるデザインでかなり惹かれて「ちょうど8年間頑張ったお店辞めたばかりだし記念にでも買ってみようかな」と思ったのですが「ああ、でもこの時計買ったら何年かに一度オーバーホールで数万円かかるし、古い時計なので防水もたいしてついてなさそうだしな、急な夕立とか降ると嫌な気分になりそうだな」と思い、いつもの千円のカシオの腕時計を購入しました。カシオのF-91Wというモデルです。これ良いですよ。少し前にチープカシオで流行ったので知っている方も多いかと思いますが、僕は10年前くらいに友人が付けていて良いなと思って真似してからずっと愛用しています。タリバンが爆弾のタイマーに使うらしいので(安くて正確だから)一時期外国旅行でつけてると危ない奴だと思われるとCIAの文書に書いてあると聞きました。テロは言語道断良くない!と思いますがそのアウトサイダー的なストーリーにも惹かれてしまいました。
僕は右利きですが腕時計右手につけるのでゴツい時計だとキーボード操作の時とか諸々の作業の時邪魔になるので小さくて薄い時計が好きなのです。さらに安い上にどこでもいつでも買えるので大事にしなくていい。ここが一番のお気に入りのポイントですね!
もし高いスニーカーやお気に入りの限定スニーカー履いている時に急に友人が「サッカーでもやろうぜ!」とか「ケードロしようぜ!」とか言い出したらなんか「汚れたら嫌だからしたくないな」と思ってしまうじゃあないですか。高い腕時計のオーバーホール代を毎回払うのも何か囚われの身っぽくて嫌じゃあないですか。
自動車も維持費かかるし、普通に兵器だし(雨の日によく見かけるのですが道路に横たわってるネコちゃん見るたびに自動車なんて無ければ良いのに。と思います。)ど田舎に住んでるとか、足がわるい方や運送業の人などやむを得ない状況の人は車も必要だとは思うので、認可制にしたら良いんだよ。と思うんです。(それか一家に2代目以降は自動車税めちゃくちゃ高くして、その分を公共の交通機関の充実に使ったら良いのではと思います。)

だから「お気に入り」のものって「大切にしているもの」とは真逆なのです。大切にしなくていいから気に入っている。
「大事にする=壊れるまで使う」なので10代の時に買った服とか今でも着てたりします、10年以上使ってるものはざらにあります。僕アトピーなんで着る服の素材とか気にするのですが、やっぱ買って着てみないと分からない部分も多いので着心地良い服はずっと着てます。なのでけっこう破けてたりボロボロの服が多いのですが、これがまたボロボロになって生地が薄くなったりしてきた方が着心地が良いのですよ。

自分は昔からオーディオ好きなのでオーディオはわりと高級な良いやつ使ってるのですが、これがまた悩みなんですよ。たまに旅行とかで何日か家あけると2日目の昼過ぎくらいには「早よ家帰って良い音で音楽聴きたいなあ。帰りたいなあ」と思って楽しめなくなってくるのですよ。コロナ騒動なければ「30代の最後に1年くらいバックパッカーでもしてくるか」と思ってたし今でも落ち着いたら行きたいなあ、と思っているので「せっかく行ってもすぐ帰りたくなるんじゃあないかなあ」てのが悩みなのですよ。

しかれどもある程度値段高いもの(手持ちの値段の高いもの:オーディオ、パソコン、カメラ、自転車くらいかな)が大事ってのもなあ、もし壊れたり盗まれたりなどなどで失ったら何日かへこむと思うけど、それは大切だからでなくてかかった金額とまた買い直す手間とお金にへこむだけ(クレジットカードとか免許証入った財布や携帯落とすのと同じようなことですよね)で、大切かというとなんか違うような気がするし、かと言って思い出の品的なものも、なくしたら何日か嫌な気分になるけど大事なのは思い出の方であってもの自体は無くなってもまあいいかな、と思うしなあ。
あ、今思い出したけど10年前くらいに一緒に住んでた新井草太くん(体重100キロ。通称ジャイ。ジャイアンに顔が似てる)が鍵忘れて玄関脇の僕の部屋の上の方の窓から侵入の際に柳宗理のバタフライスツールの上に飛び降り着地して真っ二つに破壊されたの思い出したよ。(出世払いで買ってくれるって言ってたけどそろそろ出世したかな?)

ああ、でも僕も休みの日にお気に入りの車磨いたり、宝石磨いたりなどなどして過ごしてみたいなあ。フェティッシュないのですよ。何事にも。もの作ったりする上でフェティッシュある方がいい気がするだけどなあ、フェティッシュが。
矛盾してるけど大切なものを出来るだけなくすように生きるようにしてるけど、大切なものがある生き方も羨ましいのです。音楽好きだから何千枚とかいろんな人のCD持ってるけど「aikoしか聴かない。他のなんて知らない。aikoしか必要ない!でもaikoならすべての曲を歌詞見なくても全部歌えるよ!」みたいな人にたまに憧れます。

僕のベストムービー「ファイトクラブ」のエンディングテーマ。10代の時劇場から出たら世界が変わって見えたよ。そんなこと10代の時にしかないな。(最近遅ればせながらサウナに週一くらい通ってるのですが、サウナからストリートに出た時は少しだけ世界が変わって見えます!)
今でも何年かに一度観なおす。10代の頃のバリバリに尖ってた気持ちを思い出す。いやあまじで鬱も酷かったし、人殺しそうな目で歩いてたと思う。むしろ眼つきだけで人を殺せないかなと念じながら歩いてたわ。可愛がってた従兄弟が事故で3歳くらいで亡くなってしまった頃だったし、コギャル全盛期だったので街行く馬鹿みたいに見える(ごめんなさい。当時の若気の至りの偏見です。)彼女らが生きててなんで僕の従兄弟が死んでしまうのだ!もし仮に彼女達をの魂を10個くらい捧げたら生き返るかな?とかヤバい妄想に浸ってました。恥ずかしながら。←ここまでは思い出したくない10代の気持ちです。

やっぱり生きてたらお金とか地位とか名誉とか欲しいなとか思ったりするけど、たまに観かえすとそんなのどうでもいいや、と思える。10代なんて怖いものとかほぼなかったな(まあ想像力の欠如とも言えるけど。)
いやあ、まったく要らない訳じゃないんだけどね。それに執着して生きるのはちょっとね。やだね。
上京してから通ってた専門学校が高松では見たこともないような20階建(もっと高かったかも)とかのビルで、エレベーター嫌いだからいつも階段で降りる時に新宿のビル群が見えるのだけれど、頭の中でこの曲が良く鳴ってた。where is my mind。大都会爆発しないかなあ、とか考えながら。ね。

※読んだ人はもしかしたらシンプルな素敵なミニマルなライフを送っていると思うかもしれませんが掃除片付け洗濯もろもろ苦手なので、ゴミ屋敷とまでは言いませんが、かなり散らかったライフを送っております。

Photo by 浜吉竜一
Model by 新宿のホームレスのおじさん

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