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PANK PONK magazine vol.4.1 ロゴが出来ました!とパンクその他の余談。

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当連載「PANK PONK magazine」のロゴができました!
「スペル間違えてるよ。"PUNK"だよ。」との声(幻聴)が聞こえてきますが、わざとです。意味を持たせたくなかったので"PANK"にしました。パンクポンクはエッセイ書き始めた時、なんとなく頭に浮かんだだけなのですが、たぶん僕が生まれてはじめて読んだ漫画のタイトルです。父親の幼馴染みの饅頭屋の娘さんが貸してくれました。小学生になるかならないかくらいの頃だったと思う。
太ったウサギが主人公のギャグ漫画だということくらいしか覚えていませんが当時は大のお気に入りでした。同時期に「あさりちゃん」も貸してもらったけどそっちはそんなにお気にでなかった。
自分は言葉に二重、三重の意味を持たせる癖があるので(駄洒落好きなので「おぼっちゃまくん」には人格に多大なる影響を受けています。茶魔二ストです!)今回は無意味なのがなんか良いなあ、と思っていたので「パンク ポンク マガジン」に決定しました。
別に「パンクミュージック」自体そんなに好きじゃないしね。中学のころ数ヶ月ハマったことはあるけど(授業中にいかに隠れてセックスピストルズをウォークマンで聴くかが重要だった。もちろんセックスピストルズのことはピストルズと略していた。童貞の僕に"セックス"を口に出して言う勇気はなかった。)
学生服の内ポケットにウォークマン(カセットのやつね)を忍ばせ、長袖の制服の袖にイヤホンのコードを通し太宰治の有名な頬に片手を添えたポーズみたいな感じで机に肘をつき、耳に片手を添える。これで授業中に「アナーキー・イン・ザ・UK」がど田舎の山の頂上にそびえる香川第一中学校の校舎の教室の僕の脳内にこだまするのだ。
まあ、授業中に(セックス)ピストルズ聴きたいと言うよりはただたんに反抗したかっただけだ。
若い頃はありがちだと思うのだが当時はシド・ヴィシャスがかっこいいと思っていた。若者が太宰治にハマるのと同じようなものだ。が今思うと恥ずかしい。今では断然ジョンライドン(ジョニーロットン)派。
シド・ヴィシャスなんてあとからよくよく考えるとルックスが良いだけのただのDQNだろう。ダサい。(シドの唄うマイウェイはカッコいい)

余談だが専門学校に通っていた時に自作の「SID VIRTUE(肯徳、美徳みたいな意味。vicious=背徳、悪徳の逆)と描いたTシャツ を着て登校していた。当時はパソコン使えなかったのでボール紙に定規とコンパスで書いて切り抜いて夜中にステンシルでしこしこプリントした。

僕の学生時代はビッグスクーターが流行っていた。何かで読んだが「モッズが現代にいたらベスパでなくてビッグスクーターに乗っている」とあって、僕はその通りだと思った。
それと同じでパンクファッションとかカッコいいと思わない。コスプレにしか見えない。自分のファッション論を語ると「似合いすぎるとお洒落じゃない。コスプレだ」と言うのがある。
例えばファッションにワークウェアを取り入れてみたらとする。もしそれが似合いすぎると、ただの現場作業員になってしまうだろう。それと同じように革ジャン革パンみたいなステレオタイプなジャンルファッションはカッコいいとはまったく思わない(例外的に異常なくらい似合っててめちゃくちゃカッコいい人ももちろんいるが)。ヒップホップファッションでも何にしても同じだ。自分の趣味に合わない。
"微妙に似合ってない"というのがお洒落というのが、自分の考えだ。


パンクミュージックに対する気持ちは熱病のように数ヶ月で過ぎたが(高校1年の頃メロコアのハイスタンダードが流行っていてクラスメートがアルバムを貸してくれて「うおー。かっこいい!』と一瞬思ったが2週目再生する時にはもう飽きたのでそれよりは長く続いた。)当時のパンクの持ってた熱量や思想みたいなものは今でも好きだ。バンドは組まなかったが僕のスリーコードは①アンディウォーホル②裏原宿ブーム③アドビのイラストレーターだ。この話はまた別の機会に書こう。

余談だが(余談多いな)パンクの標語のDIY(Do It Yourself)という言葉も嫌いだ。ユアセルフって誰目線/視点だよ?と考えてしまい居心地が悪い。だから僕はDIM(Do It Myself)と言うことにしてるが、僕の標語は「餅は餅屋」だ。変に自分で全部しようとするより得意な人に頼んだ方がクオリティが高くなることの方が多い。それよりも自分の得意なことに時間使いたい。(それに昨今のDIYってパンクの精神とかから離れて単に節約を指してることが多いと思うんだよね)
2011年の震災の後に溢れていた「がんばろう!日本」も気持ち悪かった。「何様だよ。誰目線でだ!自分は含まれてないのか!!他人事かよ!!!」
「がんばるぞー!日本」とかならまだ当事者意識がありそうで、まだそこまで気持ち悪くないのですが。

園子温監督の「ヒミズ」でラストシーンに土手で走る染谷将太くん(←ファンです)に二階堂ふみさんが「がんばれー」と声をかけるシーンがあるのですが、ここは感動して号泣しました。詳しいことはネタバレになるので書けませんがそこに至るまでに様々な嫌なことや困難があって、それでも染谷くんはなお走り出すのですが、もし自分の友人に運悪く様々な苦難が襲ってきて、でも考えても自分には手助けすることができないこと。そんな時にそれでもなお何かできるとしたら「がんばれ」と声をかけるくらいしかないかもしれない。ただの「がんばれ」だけどそこに至るまでのふたりの苦しさや葛藤を想像できた。震災後の生き方をある種、示してくれた大名作です。おすすめです(他にもハンター×ハンターのメルエムの最期はこれも震災後の生き方を示してくれた超大名作)。

なんだよ!「がんばろう!日本」とか。
昨今、広告"代理"店やコンサルタントみたいなのが多すぎる/力を持ちすぎてると思うのですよ。代理でやるから何か他人事みたいなアイデアがでてくるのだと思うのですよ。これだけ簡単に色々と作ったり出来る時代なのだから、それこそみんなDIY/DIMしまくれば良いと思う。だったら広告やチェーン店だらけの寒々しい街の景観も変わると思うのだけどな。

最後の余談だが、先日、エッセイの参考にでもと町田康の「つるつるの壺」というエッセイを久方ぶりに読みかえしてみたらあまりのクオリティの高さにおののいて、自分との違いに打ちのめされてしまった。かなりへこんだけど「やっぱり町田さんすごいな。これからは師匠と仰ごう!」と町田町蔵時代のパンクの名盤INUの「メシ喰うな!」を買いに走り、20年振りくらいに聴いてみたらなんか元気が出てきて。やる気も復活。一気に躁状態っぽくなってロゴもつくり、この原稿も一気にいきおいで書き上げました。パンクミュージックも今ではアルバム通しでずっと聴くのはしんどいけど、時々でかい音で聴くと元気が出ますね!町田康に落ち込み、町田町蔵で復活する1日でした、余談。終わり。

※今の時代「メシ喰うな!」とか断言口調をみるとほぼ全てホリエモンとかの新書のタイトルみたいに感じてしまいますね。嗚呼。。


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