歴史を学ぶ大切さとは

私は人よりもやや歴史に興味のある人間だが、では何故興味があるのかと言えば、それはやはり、面白いから、である。人の生き方を、社会を、客観的に見回してあの時はこうだった、あの人はこうだ、と、勝手な事を言う事が楽しい。面白い。例えば、私はアドルフ・ヒトラーは全く酷い事をした人間だと思っているが、仮に私がアドルフ・ヒトラーと知り合いであれば、いやあアドルフ・ヒトラー氏は全く酷い存在ですよ、とは言えない。しかし、実際は私にとってアドルフ・ヒトラーは歴史上の人物であって、時間的にも距離的にも遠い々々存在であるから、好き勝手言える。

勿論歴史の面白さは他にもある。今、たまたま言語化が出来た私の感じる歴史の面白さが上記のようなものであったからこんな調子な訳だが、つまる所何が言いたいかと言うと、私は歴史に触れるのが楽しいから面白くて、好き、という事が言いたいのだ。特に何か思想があって歴史が好きという訳ではない。

そう言えば以前、哲学カフェというイベントに参加をした事がある。哲学的な話をあーでもないこーでもないとするイベントな訳だが、その時のお題が、歴史を学ぶ大切さとは何か、というものであった。私はこう述べた。「私にとって歴史は面白いものであり、好き。好きな事をするという事は私にとって大切な事だから、私にとって歴史は大切。」と。いや、哲学というぐらいだから、普遍的な話や一般化できる話をした方が良かったのかもしれないと今になっては思う。私の述べた事は完全に主観である。ただ、私と歴史の関係はそういうものだ。

歴史というものは全く面白い。もっと色々な歴史を知りたい。今日はそんな事を強く思わされる一日であった。仲間の川端さんと臨夏さんとの三人で、桜井市の巻向駅を起点に、古墳等をブラブラと歩きながら探索をしたのだが、お二方、特に臨夏さんの歴史知識は物凄い。一寸何か歴史的なものがあれば、どんどんと知識が出て来る。
私は恐らく臨夏さんや川端さんの半分以下、いやもっと少ない量の歴史しか知らないだろう。しかしそれだけまだまだ発見の余地がある訳だ。成程こういう歴史があったのか、と、驚く機会が私にはまだまだある。今からとても楽しみになってきた。もっともっと色々な歴史を知りたい。聞けば中古の歴史の教科書とか、そういうものは学びを深める上で役に立つらしい。成程。では私もそういうものをブック・オフででも差がしてみようかしらん。

こうやって仲間と、別れるのが名残惜しいような時間を過ごす事が出来るのもまた歴史の醍醐味であるように思う。これもまた私にとっての歴史を学ぶ大切さなのかもしれない。近鉄特急に揺られて、今こうして日記を書いている。この時間が心地よい。

そうそう、桜井市と言えばそうめんが有名だそうで、桜井駅の周辺にはそうめん工場等もあった。その工場の外には何故か信州そばも商品として掲示してあったのだが。何故だろう。まあそれはいい。
それを知った我々は、折角だからそうめんを食べて帰ろうという話になって、桜井駅前にあった、いにしえ茶屋、という個人経営のそうめん屋さんに入ったのだが、ここのにゅうめんが非常にに美味であった。この日記の最後にその事を綴っておきたい。相変わらず作務衣一枚で歩いている事もあって、にゅうめんのあたたか差と柔らかさが身に沁みた。或いは三人で机を囲んで温かいにゅうめんを食べた事で余計に美味しく感じたのかもしれない。それはわからないが、とにかく、このお店は良かった。これを読んでいる方々も、もし桜井市に足を運ぶ事があれば、是非に寄ってみてほしいと思う。

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