大乗仏教批判について考える、良い仏典とは何か

大乗仏教批判として最たる例は『大乗非仏説』だと思う。大乗仏教はそもそも紀元前後に成立したもので、釈尊入滅から500年近く経った後に成立した為、その教団が仏説としている経典は、果たして仏説と呼べるのかどうかと云う問題である。これは、歴史上の人物釈尊の思想から逸脱している可能性の指摘であり、大乗仏教にとっては非常にクリティカルである。

しかし、私の考え方はこうだ。そもそも、所謂原始仏典と呼ばれる仏典も、最古とされているもので釈尊入滅後200年程後に成立したものであり、釈尊の思想を完璧に反映しているものかどうかは疑わしいのではないか、と私は考えている。つまり、大乗非仏説は大乗仏教に対してもクリティカルな批判であると同時に、全仏典に対してクリティカルな批判ではないかと思うのである。

なので、仏典の価値を判断する際に用いるべき指標は、『如何に多くの人を救ったかどうか』にある様に思う。仏教的に言えば、多くの人を涅槃へ導いた仏典が素晴らしいのである。そこに原始仏典も小乗の仏典も大乗の仏典も差は無いのではないか。それと同時に、我々仏教徒に対してはやはり悟りの追求、そしてその為の根気が求められている様に思う。その目標の為に、今日も仏典を検討し、日常的な実践を行う事にしたい。

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