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これからのキーワード"柔軟性"

こんにちは、お疲れ様です。rinnです。

アメリカ的な、誰よりも強くなりたければ身体をデカくしろ、強くなれ(概念)みたいなマッチョな思想が流行らない今のこの時代は、占星術では「女性性の時代」と言われています。

そもそも精神的なもの、目に見えないものに重きが置かれるこの時代において、何かを「成し遂げる」という分かりやすい形を「多様性の社会」で創りあげるのってめちゃくちゃ難しいのかもしれません。
でも、それでも形あるものが大きくなっていくこともあると思います。

そして今の時代はどちらかと言うと、拡大に必要なのは精神的なものであったりするように感じていて、例えば何かのブランドのモノを買う際に消費者が気にするものがあると思います(もちろん各々によって違う。)が、私は今の風の時代に求められているものは一貫性があると思っています。

それは「付加価値」だと思います。 
こんなん、私が言わなくても分かるやろ。って思うと思いますが、!笑
この付加価値っていうのはめちゃくちゃ精神的なものなんじゃない?!と思うのです。
これから書かせていただく「精神的な」話にお付き合いいただく前段階の例え話として書きたかった!笑

ありとあらゆるモノが出尽くして飽和状態になっている今、求められているのは「付加価値」だと感じる訳です。

ちなみに私は最近ドライフラワーと、お花が瓶に入っている「ハーバリウム」というものをプレゼント用に買ったのですが、正直ドライフラワーのブーケもハーバリウムも様々な場所で買えます。

でも、私は一直線に百貨店の地下の方にある小さな売り場へドライフラワーとハーバリウムを買いに向かったわけです。
そこで私はドライフラワーとハーバリウムに付いている「付加価値」を買いました。

デザインが他では見ない珍しいものであった、という「付加価値」。
人目見た瞬間に「買おう」と決心が付いていました。
また、売り場にクリエイターの方ご本人が在廊されていて、とても楽しそうに御自身が作った作品についてプレゼンしてくださるのと、そこでのクリエイターの方とのコミュニケーションが楽しかったんです。

最近私はGWからPOPUP三昧で、暇さえあれば好きな作家さん、気になる作家さんのPOPUPへ足を運んでいます。一日の中でPOPUPをいくつも梯子したりします。
POPUPの楽しいところって、必ずと言って良いほど作家さん、クリエイターさんご本人が在廊されているんですよね。
そしてみんな作家さんご本人へ会いに行く。
コミュニケーションをとる。
ここで、作家さんとのコミュニケーションという付加価値がまた生まれるわけです。

🔮比較のされ方が前の時代と違う気がする

ちょっとこの見出しの意味が分からないと思います。

どういう事かといいますと、これまでは目に見えるものに重きが置かれていたのですが、
これからは精神的なものに重きが置かれて比較されるのではないかと思うのです。

これ、すごく風っぽさを感じました。

これまでの「正しさ」が土、地だとしたら、「気持ちの問題」は精神的な、内面の問題です。

例えばですが、これまでの時代は「目に見える肩書きが優秀であること」で評価されました。
しかしこの時代は「精神的な豊かさ」が評価されるのでは???と勝手に思うのです。
この「精神的な豊かさ」なんてのも目に見えないし、分かりやすい「正解」がないのが風っぽいですね。色々な形の「豊かさ」があるわけです。

嫌な人にとっては嫌な話題をこれから書くのですが、飲みの席で「学歴」を比較する人がいました。
私の大学時代の友人は、大学受験に失敗してその無念を持ち続けている子が多かったので、このようなデリケートな話題は絶対に誰かに出さないのですが、正直その「学歴」を飲みの席の話題に持ち出して、みんなをその物差しで順々に比較する話のターンが回ってきたときはぶっちゃけ(デリカシーないなぁ。。)と思ってヒヤヒヤしたのが本音ではあります。

私は別に良いんですよ、そういう物差しで人を比較することが無意味だと分かっていて、かつ「人には元々価値はない、価値を付けてしまっているのは自分」というのがあるので、

(例えば、ガラスのコップにおいて、ガラスは水を飲むために貢献しているけど、このガラスが割れてしまい、その破片が人の目を刺してしまったららガラスの価値は変わるのか?というものです。
いや、ガラスはガラスですよね。人間も人間なんです、そういう類の話です。)


そういう考え方もあるよね、で済む。
でも、受験の失敗がトラウマになっている子を何人も私は見てきています。
お酒が入って楽しくなってるとはいえ、もしかしたら目の前の席に座ってる子が、そういったトラウマを抱えているかもしれない。という想像力が働かないのかなぁ、と思ってしまいました。

これこそ、「正しいか、正しくないか、ではなくて気持ちの問題」なんじゃないかと思うんです。

でも、その話題を選んだ人はその話題で楽しくなるかも思いきや、全然楽しそうじゃなく、寧ろその話題でうまく盛り上がらなかったときに
やっぱり楽しそうじゃなかったことを加味すると、この話題を選んでいたのは、話題を選んだ本人にとっての「気持ちの問題」、話の持っていき方において本人の気持ちが安心するから、この話題を選んでいたのかな、と思えなくもない、そういう席でした。

(その人は、誰かにマウントをとることで笑いを取ろうとする。笑 )
(しかし、その卓の人が「まぁ学歴とか関係ないっしょ」と発言したので、彼のターンでマウントをとって笑いを取ろうとすることが叶わなくなってしまったのではないか、と思われる。彼の「マウント」癖は彼自身にとっての安心要素なんだと思う。彼が会話の輪に加わって盛り上がるための安心要素。それが叶わなくなってしまうと、会話の「パターン」に困るのでは?と予想。ある意味、この場で「まぁ学歴とか」と発言した人は、彼の安心要素を奪ってしまった役回りとも言える。)
(まあ、マウント使うパターンの会話だけ手持ちだと苦しくなるよね…そういうのが気分悪い人きっと沢山いるし。頭が良い人って頭で会話しようとするよね〜っていう、そういう感想でした。)

彼自身、「笑いを取る」ことが目的だったわけで、どんどん話題がその場にいる人に合わせて移り代わっていくことに関してはやはり範疇にはなかったようです。もしくは計算外だった。

この、話題が移り変わることも精神的な側面があると思います。
だって人間は感情の生き物だから。

🔮"強さ"とはしなやかさだと思う。

ひと口に「強さ」と言っても、これからの時代ってやはりしなやかさ、"柔軟性"がキーワードなんじゃないかと思うんです。

その場その場に対応する順応性は、精神的なものと関連するものであるかと私は思います。

また、これからの時代の「成長」にもしなやかさは重要であると思っていて、
すぐこれまでの価値観が移り変わるので、成長にはある種の「痛み」が伴うのではないかと思うんです。

これまで積み上げてきたものが通用しなくなったとき、これまでの自分を一度全部ぶち壊して、再構築することで変化するのではないかと。
AをA´とか、それぐらいの変化では済まない、これまでの自分のアイデンティティすら一度全部壊す必要があるのかと思う。

自分が頑なだと、柔らかくないので変化に「痛み」が伴うが、しなやかさがあることで、破壊と再構築が可能になり、変化へ対する過度な恐れもなくなるのではないか?と、
そういうことについて今日は書いてみました。

しなやかさをエンパワーメントするということで、キーワードが「女性性」なんじゃないかと。
変化へ対する柔軟性。変化を「受容」するも女性性ですね。受け入れる力は女性性ですので、これからはやっぱり女性性、大事なんだろなぁ。