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もう一歩、写真の世界へ。恵比寿の東京都写真美術館で感じたこと

いつか行ってみたいと思っていた、東京都写真美術館に行ってきた。

最近、といってもここ2年3年だろうか。何となく写真に興味がある。写真展に伺うことはほとんどなかったが、美術館や博物館で メインの展示の中の一部、あるいは、脇の展示に写真があって、いい写真だなーと思うことがある。自分で撮りたいと思うこともあるが、正直iPhoneで十分で、カメラも持っていない。最近は、こんな本も読んだ。

この本にあるように、実際にいい写真を撮ろうと思えば、カメラで撮って、JPEGよりデータ量の大きいRAWデータの現像までしないといけないらしい。きっと質感や存在感を感じさせるためには、必須の作業なんだろう。

私は「写真」について、本格的な入り口には立っていないが、今はとにかく、iPhoneで写真を撮るだけでも楽しいし、いい写真をもっと見てみたいという気持ちがある。

で、有休の日の午前中、恵比寿まで行ってきたところだ。

写真の見方もわからないが、展示を見始めてすぐ、絵とは見方が違うことに気が付いた。絵の場合、最初にタイトル、作家の名前、制作年などの情報を見て、絵自体を見ることが多いが、写真は、なぜか、タイトルや説明文を見ずに気に入ったら、タイトルをみる、という流れになっていた。

「いい写真」がなにかもわからないのに、写真の何を信頼して、こういうアクションをするのだろう?

絵は、モチーフ、タッチ、見る人がどう感じるように描いてあるか、という以外にも、他にも情報を含んでいるという予備知識がある。なぜその場面を切り取ったのか、なぜ、このタッチを採用したのか、なぜ遠近法ではないのか、誰からの依頼で描いたのか。でも、写真だって、素材のまんま、事実を写したものではないだろうことは理解している。普段、文章を書くことが多く、インタビューの内容、人が書いた文章を編集することもあるので、そこには、編集者の意図があることを知っているからだ。受け取ってほしくないことは削るし、同じ意味でやわらかい言葉に替えたり、強調したい文章を先に持ってくるなどもする。受け手の印象や情報の価値を操作する。

しかし、写真は、一枚の写真になるまでに、どこを、何を変えられるのか、変えたことでどんな印象になるのか、何もわかっていない。とりあえず、「いい」「悪い」という判断ができない今、「好き」を探す段階なんだろう。だから、まず「好き」かどうかで、写真を見て、好きだったら、そのラベルをとりあえず確認しているだけなんだろう。

きっとこの先に、自分の中の「好き」が明確になってくれば、同じ作家の他の作品を見て、「好き」な作品との違いを見つけたり、同時代の同じモチーフの写真との比較をして、違いについて、言語化していくプロセスを踏むのだろうと思う。その過程で、これは「まずい」「うまくない」「こうしたほうがいいんじゃない?」みたいか感想も出てくるだろう。

2階で見た、篠山紀信さんの写真では、特に、古い家屋の中を撮った写真が好きになった。

B1階の木村伊兵衛さんの作品は、教科書で見たこともある写真(谷崎潤一郎の写真とか)がところどころにあったが、おもしろい写真、味わい深い写真が多かった。ようするに今のところ「好き」になる写真が多かった。

戦前の那覇の写真もよかった。

どうも、人を写った写真が好きらしい。特に、生活感を感じる写真。人の匂い、音が聞こえるようなものがいい。静かすぎて、耳が「キーン」となるようなものも含めて。

私は、1970年代に生まれているので、子どもの頃は、まだ舗装されていない道もちょこちょことあったし、きれいな現代の街じゃない、もっと言えば汚い街の記憶が残っている。街の臭さも含めた、人間の生活感がある場面だ。

自分の知る昭和の日本以外にも、1954年のローマで撮られた「裏町の子ども」も人間味があった。

でもきれいな部屋で撮られた人物写真もよかった。木村伊兵衛さんの作品は、芸術家や作家の写真が多かった。「画室の河合玉堂」、里見弴と泉鏡花の二人の写真もよかった。

現代の写真家の方は、こういう街で、人物の写真を撮ることはできているのだろうか? 勝手にWeb媒体に掲載すれば、クレームが出そうだ。いい写真が撮れたからといって、誰でも許可が撮れるとは限らない。

実際に、街中の写真を撮っている写真家やカメラマンが現在、どのように許可取りして、掲載しているかわからないが、こういう写真を見ると、人の写真を撮ってみたくなる。

複数人が写っていても、誰も視線を交わしていないだけでもおもしろい。建物を中心に据えたものでも、建物とは無関係に人がどこかに向かって歩いている場面、立ち止まった人の背中に感じる哀愁があると、いいスパイスになる。あとは、構図の妙だろう。整った丸や四角じゃない、ものが、バラバラに、かといって、写真のバランスを崩さない、絶妙な収まり具合が好きらしい。


最後に4階の図書室に寄ってみた。
「日本の写真家シリーズ」「残したい日本の風景」シリーズといったものを片っ端から見て、特に、人物以外に好きな写真がないか、確認してみたが、人物が写った写真に優るものは、今日のところでは、見当たらなかった。人ではないが、土門拳さんの仏像の写真は、迫力も勢いも、そして、人の表情もあって、楽しめました。今度は、もっと図書室で過ごす時間を長めにしたい。自分の「好き」をもっとはっきりさせたいところ。

あと、まだiPhoneで十分なんだが、人の写真を撮ってみよう。本当は、人の表情を撮りたいが、街中で勝手に撮りまくるわけにもいかないだろう。まずは、人物を特定できない、人の背中なんかを街中で撮ってみよう。

とてもいい午前中でした。

今日は、息子の誕生日だ。

直接「おめでとう」も言えず、コミュニケーションも取れないけれど、お父さんは、毎年感じる、このちょっとしたさみしさを、自分で紛らわせることができるようになりました。

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